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出雲という存在 173/365

出雲は神々の國と言われ、縁結びの神様、大国主を祀る出雲大社は全国的に有名です。
島根と聞いてもピンとこない人も、出雲大社と聞けば、あの!出雲!となります。

出雲は神々の国、神話の国として有名ではありますが、詳しく出雲のことを説明しようとすると、中々難しいところがあります。何となくボヤッとさせられてしまった。
神話の世界に引っくるめられてしまった。
そんな感は否めません。

僕自身、出雲神話や出雲の古代史を学んでみて感じたのは、出雲には何か秘密が隠されている、何かが伏せられてきた、ということでした。

歴史はいつも、為政者によって都合の良い解釈で残され、語られて来ました。
おそらく、歴史書などもたくさんの改ざんがあったことでしょう。

しかし、そういう内容を超えて、人々の言い伝えや直感などから、イメージされてきた歴史観もあったと思います。

だから、歴史は色々な方面から見ていくことが大切です。
時には反対側から見ることも。

出雲においては、おそらく歴史の片隅に追いやられた事実などもたくさんあったのではないかと思います。

以前、ブログに書いた「思想としての出雲」

ここ近年、日本の古代史が見直されて来ています。
その陰に出雲の存在もあるようです。

それまで、出雲は神話の舞台になっても、古代史の歴史に上ることはあまりありませんでした。
近代史にすれば、尚更。
しかし、明治以降、神道が国家神道として中央集権体制に組み込まれるのに反対した勢力として、出雲国造の存在があったようでした。
そういったことも、ほとんど明るみに出て来ませんでした。

近代化は科学を推進力にした時代。
基本的に見えるもの、計測できるものを基準に世界が作られました。
その結果、それ以外のものはないものとしたのです。

近代化が進む中で、出雲はそのないものの方に入れられ、まともに扱われなかったのではないかと思うのです。

しかし、実はそこにこそ、人類の本当の叡智があり、本質があった。

いよいよ、ここのところの扉が開かれる時が来たのではないかと思います。

これから面白いのは間違いなく出雲。
出雲という存在です。

ここのところを僕自身はフィールドワークとして進めていきたいと思います。

出雲の再発見です!