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ドラマを見る時代からドラマを作る時代へ

僕が育った時代はテレビドラマ全盛期だった。

見始めたのは80年代後半。時代はバブル期。
都会に住む若者たちの恋愛や仕事を当時のライフスタイルと共に描いたドラマが次々ヒットしていた。

その後も月9に代表される高視聴率ドラマが作られ、人気俳優が演じるキャストに感情移入して、ドラマにどっぷり嵌ったものだ。

週に2,3作品は観ていたかも知れない。
特に90年代はテレビドラマが社会に及ぼす影響は大きかったと思う。
ドラマから出てきた言葉が流行ったり、ライフスタイルも時代を映す鏡だった。
そして、ドラマとタイアップした楽曲がヒットし、ドラマと音楽のセットで世の中を彩っていた。

思い返すと、正にドラマチック。
当時流行った音楽を聴くと、ドラマのシーンが蘇る。

それから、時間は経ち、みんなが同じように見ているドラマなんてほとんど無くなった。

これはメディアがテレビからネットへ移行していったことが大きな理由で、こういった現象はドラマに限らず起きている。

国民的な対象というものが数少なくなり、興味の対象は細分化されている。

「人それぞれ」というのが今の時代の在り方だ。

そんな時代になって、もう数年経っているけど、それに合わせてもう一つ大きな変化が起きている。

ネット社会がもたらした大きな変化。

それは発信者という立ち位置。

古い時代はごく一部の人しか発信者にはなり得なかったなかったけど、ネットの時代、新しい時代はある意味誰もが発信者となれる。

SNSのアカウントを持ち、文章、写真、動画と誰でも手軽に発信が出来てしまう。
YouTubeのアカウントを使えばブロードキャスティングが個人で出来る。

そんな新しい時代に突入した。

だから、もうテレビを一方的に見るという若者は少ない。

自分が発信するか、自分のコミュニティに属する人の発信を見るか、そんなメディアとの付き合い方が一般的になった。

僕も最近は興味があるYouTubeチャンネルを見たり、オンラインサロンの動画を見たり、コミュニティのzoomに参加したり、一般的なマスメディアと接する機会が少ない。

マスが細分化されて、プライベートなメディアがたくさん生まれたことは間違いない。

そして、このプライベートなメディアとのつながりが自分自身のドラマや近しい人のドラマを体験できる装置のようになっている。

それを実感したのが、約1か月前から支援をしている、ある登山家との出会い。

登山を通じて、夢想家としての活動を展開している西川史晃さん。

彼も数年前までは普通の会社員だった。しかし、意を決して独立!
そして、セブンサミットプロジェクトという七大陸最高峰の山を登る登山家へと転身している。

そして、その挑戦の記録を常にSNSに残している。

これはよくよく考えると、ノンフィクションの物語。

彼の生き様のドラマだ。

ドラマを見る側から、ドラマの主人公に転身した訳だ。

これって、大きな変化だったと思う。

ここ20年やそこらで、あっという間に逆の立場を体験出来るようになった!

つまり、今現在のドラマの時代はドラマを見る時代ではなくて、ドラマを作る時代なのだ。

何も大きくなくていい。

自分が本当に好きなこと。

自分がどうしても追求したいこと。

それを主人公という立場で描いていく。
それだけでいい。

そういう時代がやってきた。

もちろん、タイアップの曲もオリジナルの曲。

そういう流れで、西川史晃さんの登山に向けてのテーマ曲を作った。

こういった形で音楽でドラマを飾れるって、ミュージシャン冥利に尽きる。

なんせ、このドラマは彼の人生を懸けた本物のドラマだから。

もう、これからは本物しか必要とされない。

自分が本物と思えるもの。

本当の自分の姿。

そういったものを人々は求め、表現する。

ここに目覚めた人が増えれば、もっと世の中は面白くなる!と確信している。



僕が音楽をやってきた理由はここにあって、自分の中の本物に気付くためのワークという意味も大きくありました。

音楽は自分自身を取り戻す力があります。

自分軸を立てるには最高の仲間です。

それは僕が長年音楽をやってきて感じた実感です。

もし、自分自身と向き合いたい、自分の中の本物を探りたいという方がおられたら、一緒に向き合ってみませんか?


興味があれば、コメントやメッセージを下さい!


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