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ドラマ『MIU404』をみた。刑事ドラマの刑事が「自首してください」と言うには深いわけがある。


はじめに

ドラマ『MIU404』をみた。私にはトレンド力が足りないと無意識に摂取することになった。俳優スゲー、脚本家スゲー等ということは置いておいて(そういう所がトレンド力足りてないんだが)私なりに多角的に解析したので参考程度に読んでくれる人がいる事を願う。

Q.なぜ刑事ドラマには相棒がいるのか

刑事ドラマには相棒が必ず出てくる。という相棒なんでいるか論はYahoo知恵袋にサクッと任せておく。

Q.刑事ドラマで思ったのですが、なぜ犯人の取り調べの時刑事は厳しく追求する刑事と優しく冷静に言う刑事の二人がいるのですか?

A.これは容疑者の心理を突いているのでは? 恐怖を与えて次に優しく接し、落ち着いたところで吐かせるみたいな。 「西部警察」ならタツ・ゲンが厳しく攻めて、リキ・谷さん辺りが 優しく接していますね(笑) それでもダメなら団長が出てきて鉄拳です(笑)

Yahoo知恵袋より

Q.なぜ刑事ドラマや探偵ドラマは魅力的なのか、その仕掛け

私が大好きな『ケイゾク』『トリック』、ちょっと毛色が違うけれど『サイコメトラーEIJI』『銀狼怪奇ファイル』『金田一少年の事件簿』みたいな解決系のものも好き。

そのドラマと今回のドラマは何が違うのか?そして、何が見る人を惹きつけているのか?その視点で見ていくと無意識に仕掛けれたら様々なドラマ脚本の技術が隠されていることに気づく事が出来る。

MIU404は倒叙ミステリーっぽさがある


刑事ものや探偵もののドラマは大きく『ミステリー』『サスペンス』と別れており、MIU404は犯人を追い詰めるシーンを最大の山場とする【倒叙(とうじょ)】という手法に当たるのではないかと思う。

倒叙ミステリーの代表的なドラマとしては『古畑任三郎』や『刑事コロンボ』があげられる。この手の脚本は刑事側からみていくと犯人をいかに巧妙に自白させていくかというところが山場となっている。

例えば、古畑任三郎は執拗に相手のいる場所にチャリで現れたり、刑事コロンボは『もうひとうだけ質問いいですか?』と相手を油断させてから決定的な情報を引き出す。かなりのディベート能力が必要なのだ。

『運転免許の筆記試験がおかしい』と指摘してニュースになっていたクイズ王はこのシステムを理解していないという訳だ。彼は犯人だったらまんまと自供させられている。(お、トレンドっぽい)

この手の誘導尋問の目的は相手に揺さぶりをかけてどう行動するか?をみているわけで、自分が正しいという思い込みが強い人ほど引っかかる。

つまり、変な質問に対してのカッとなりやすい性格なのか?冷静な性格なのか?という事は殺人を犯したと仮定して、その時にこの人はどう反応するのか?という状況証拠にもなるわけだ。クイズ王は人を殺した(ルールを外れた)としてバレそうになったらブチ切れだすタイプという事になる。

Q.MIU404のカタルシスは刑事側か犯人側か

話を戻そう。ドラマの冒頭に犯行シーンや犯行現場のシーンからスタートして犯人を視聴者に理解させたあとに、通報や捜査から証拠を集めていく。
倒叙というシステムを使うため、かなり犯人に偏った情報が取り扱われるシーンが増え、犯人側にも一定のカタルシスがあるように感じる。

第一話『煽り運転』、第二話『パワハラと自殺』、第三話『若者』、第四話『女性』、第五話『外国人労働者』、第六話『上司と部下』、第七話『指名手配犯』、第八話『刑事』、第九話~最終話『動画クリエイターとテロリズム』みたいなテーマだったと思う。

シェアード・ユニバースという、登場人物は同じだけど複数作家で話をつなげていく海外ドラマの作り方に倣ったのはいいがそれがうまくいってるかどうかわわからない。なんかぐちゃぐちゃな一貫性のない話になってしまってるようにも感じる。かなり主人公のMIU404のメンバーのキャラを立たせないといけないけれど、アニメ大国日本にはこれがいいのかもしれない。誰もあらすじなんて気にしてないっしょ!な制作側の意図も少し感じられる。

Q.『正義』をどう取り扱うか?

個人的には第八話が重厚ミステリー感がぎゅっとつまってて面白かった。事件が複数からんでいて、犯行動機もかなり偏った思想。この手の映画が好きな民としては入れてくれてありがとうという感じだった。サイコパス役者ももう板についた小日向さんがなんだかタモリさんに見えた瞬間もあった。

元警察だった蒲郡は『法は赦しても自分は赦せなかった』という正義。

志摩は『警察は圧倒的な権力ゆえにルールを外れてはならない』という自分の正義感と、それによってルールを外れる人を許せなくて部下を殺してしまったという下りがある。(無理やり回収されるんだけどw)

隊長の桔梗は『いじめは暴行、傷害、強要、侮辱罪。児童への性的ないたずらと呼ばれる行為は、いたずらなんて軽いもんじゃない。性的な加害、性暴力です」とルール厳守かつ厳罰を求めた結果、保護していた人がひどい目に合うという下りがある。(そこも無理やり回収されるんだけどw)

そして、久住は『なんでも楽しけりゃええんや』というルールを無視するという享楽こそ正義と言いながら、被害者側に立ったときにルールの意図を知るという下りがある。(そこも無理やり回収されるんだけどw)

つまり何が言いたいかというと、正義という者には必ずカウンターが存在しているということだ。これが先ほどいった『自分が正しいと思っているひとこそその正義に足をすくわれる可能性がある』ということだ。

すごくおおざっぱにいうとMIU404は『正義』という仮面の中に隠されている欲望をガン見してみたら、それに囚われている自分に気がつくという算段ということになる。

さいごに

ああ、やっとたどり着いたよ。では、刑事ドラマではなぜ『自首してください』というのか?とっととルールにのって裁けばいいじゃないか!と思ってしまうのも、また正義の仮面をかぶった殺人欲求なのである。

犯罪者には大きな共通点がある。それは世界が自分ではなく他人がつくっているものという意識で動いているということだ。だから馬鹿にしたくなる。煽りたくなる。なくなればいいとさえ願う。そこから抜け出すにはどうすればいいのか?

刑事は『自首をしろ!』とは言わない。『自首してください』と自分で意思決定をさせることで囚われた世界からの解放の手助けをしている。
正義なんてもんはそんな程度なものなのだ。吹けば飛ぶような些細なこと。
些末な事。だから何が自分にとって大切か?をその都度、査収する必要があると思う。


最後までお読みいただきありがとうございます、今日もいいことありますよ!