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【上級者向け】自分に主導権を戻す話

なにが上級者やねんって感じなんですが、今日書きたい話は自分の『負(と思い込んでる部分)』とまぁまぁ向き合ってもう飽きてきたな(笑)くらいな人にちょうどいい温度感ということで上級者向けというタイトルにしました。

散々っぱらnoteで恨みつらみを吐きだしたおかげで、かなり自分の中で癒しが起きて『あ、こんなダメな感じでも同じ状況の人いるんだ』とか『あ、
この苦しみってすでに言語化されてるんだ』と目の当たりにして、どんな薬よりも私の励みになっています。今日の話がイラつく人の気持ちも超わかる。偉そうにいいやがってって癒されていないときは必ずなる。だって私自身もそうだったから。そして、偶にそうなるし、そうなるタイミングもまたあると思うからです。(以前よりは減ると願いたい)

嫌な出来事は全て自分で起こしている

生きていると嫌だなって思う人が誰しもいると思います。いないという人は単に蓋をしているだけなので、まだまだ時間がかかります。この『あの人なんか嫌だ』という感覚は自分の個性を見つけるために必要なクロスワードパズルです。このパズルを解いたら、新しい自分(という名の本当の自分)に気がつくことができます。

私の話を例に出します。私は前に出ることが苦手です。この苦手になった原因をいくつも所持していました。まるで大麻のように時々吸ってはトラウマに酔っていたのです。(あ、本物の大麻は吸ったことありません)

私のトラウマになった出来事は、小さい頃に年上の人からいじめられていたとか、学級代表で舞台に上がった弁論大会で全然成績残せなかったとか、学園祭でステージに立ったときに他の子の方が盛り上がったとか、地元のカラオケ大会に出たときに緊張しすぎて全く歌えなかったとか、コミュニティの中で選ばれないとか、選ばれても体調が悪くなるなどとにかく自分に呪いをかけていました。

環境が悪いとか、周りにいる人が悪いとか相手を責めてみたり、自分に価値が無いからだとか自分を責めてみたり、とにかく忙しかったわけです。何かに悩んでいる人はおおよそこういった思考回路になっていると思います。散々体験してきたので、そのお気持ち、ものすごくよくわかります。

でも、それってとっても気持ちがいいからやめられないんですよね。必ず自分にとってメリットがあるわけですが、往々にしてそれは相手をみていれば自分と向き合わなくていいという逃避行動だったりします。
本当の自分と向き合うのって強めの勇気とそして愛がたくさん必要です。

よくよく考えれば、大半の人がそもそもステージの上にたつ機会もそんなにないんですから、それだけでその才能があるといって過言ではないわけです。でも、その才能を信じられないと周りのせいにしたくなる。自分を疑う気持ちが外側に向いてしまっている状態になるわけです。

与えられる側から与える側へ回るとみてる景色が変わる

『引き寄せの法則』がスピリチュアルからビジネス界隈まで大流行して、色んな動画や本を読み漁りましたが、元々は欧米で流行っていたもの。日本で教育を受けてきた人にはなかなか取り入れにくい部分がありました。

それは、『自分の夢だけ叶えばいい』というスタンス。最終的にはここに辿り着くのですが、利他精神が強い日本人にはけっこう辛い。自分だけが抜きんでることへの罪悪感と風当たりの強さを考えると拒絶反応がでてしまうのです。

そこで、すごく和テイスト(笑)に作り直してくれた方がいます。その人のやり方は『とにかく周りに自分が欲しいものをあげまくる』というもの。
これは、『自分がこの世界に影響を与えている、っていうか全部自分がつくってるんじゃん』ということを感覚でつかむためにかなり有効なやり方なのです。

例えば100万円欲しかったとすると、道行く人に100万円を自分が配りまくる想像をしてみます。リアルに配る必要はありません。これをやっていくと毎日想像以上に『他人』に出会っていることにまず気がつきます。

買い物へ行く途中の道路、スーパーの中のお客さんや店員さん。その辺で散歩している人たち。ほんの数分でかけただけでも50人くらいとはすれ違っていることに気がつきます。その人たちは会話もすることもなければ、年齢も職業もしることもない人たちです。そんな人に与えまくると『あれ?なんか欲しいものどうでもよくなってきた(笑)』となるわけです。
ここまでが引き寄せの法則の話ですが、これをもっと深堀して考えると、こうやって執着を外すと同時に自分に主導権が戻った感覚がするのです。

100万円を配りまくれる自分を想像したとき、他のことも何だって想像できることが体感で分かります。それと同時に自分がトラウマだと思っていたできごとも『あれ?もしかして、これ自分でしかけてる?(笑)』と気づくようになります。良くも悪くもこの世界の決定権は自分にしかないのです。

だから、どんなに周りの人が『あなたは幸せだ』と言っても自分自身がそれを意思決定しない限り可決されません。周りの環境は国会でいうところの野党です。その野党に流されて意見を取り入れようとしていることも自分自身が方針として全部決めていることなのです。

自分の人生に一体何を与えたいのか?

人間に必要な問いとは『自分の人生に一体何を与えたいのか?』ということに尽きると思います。それを自分にとにかく主導権をもって問い続ける。
トラウマすらそれを作るための単なる材料(スパイス)に過ぎないのです。

責任感を主導権にすり替えていく作業

『こうあらねばならない』と大人になるほど責任感が出てきます。いや、こどもだって『子供だからこういうのすきとかいうふりしなきゃ』とか『女だから弱いふりしなきゃとか』役を真っ当しようとします。

巧妙に主導権を責任感とすり替えてきたように、これからは巧妙に責任感を主導権としてすり替えていくことが面白そうだなと実験中です。
むしろ、この実験をするために責任感を多めに抱えて生きてきたのだろうと今ならわかります。いつだって人生は伏線回収なのです。ミステリー!!!


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