見出し画像

映画:『メイキング・オブ・モータウン』、裏のテーマは「教育」。

今朝、朝刊を買いにコンビニに行ったら、レジ横に「鬼滅の刃おせちは売り切れです」とかなんとか書いてあった。え、おせちとかあんの、それもすでにもう10月で売り切れ……鬼滅、おそるべし。さて、本日は映画。

画像1

■「メイキング・オブ・モータウン」
監  督 ベンジャミン・ターナー/ゲイブ・ターナー
製作年度 2020年
状  態 映画館で観た

モータウンは、1959年にアメリカはデトロイトで設立したレコードレーベルである。ソウルミュージック、ひいてはポピュラー音楽を語るときに絶対外せない音楽会社で、ダイアナ・ロス、スティーヴィー・ワンダー、スピナーズ、テンプテーションズ、マーヴィン・ゲイ、ジャクソン5、マイケル・ジャクソン……など名だたるミュージシャンがここでヒット曲を連発した。本作は、創設者ベリー・ゴーディが初めて密着取材を許可したとのことで、1960年代~1970年代の黄金期をたっぷり語っている。だからというべきか、作品は終始、「ベリー・ゴーディさん、リスペクト!」「モータウン万歳!」という雰囲気である。ほんとうはもっといろいろあったっしょ?と言いたくなるが、ま、それは歴史をどうみるかということで……

もちろんわたしもモータウンの楽曲たちが好きで、サブスクで流したりする。が、本作を観ると、音だけで満足するもんじゃないなあ、と思わされる。映画ではアーティストのライブ映像がたっぷりとつかわれていて、彼ら彼女らのステージパフォーマンスも激しさとダイナミックさといったら! まだ10代のスティーヴィー・ワンダーが客とコール&レスポンスをしながら即興で曲を作り上げている映像があったが、時代を超えてわたしも熱狂した(このときの音源は"Fingertips Part 2"としてリリースされている)。

本作の裏のテーマは「教育」だったようにおもう。当時のデトロイトはフォード社などの巨大な車工場があり、画期的な生産システムで高い生産力を誇っていた。街と労働者もその恩恵を受けていた。そんなデトロイトは公教育で音楽に力を入れていたようで、レーベルの初期の最重要ソングライターチーム、ホーランド=ドジャー=ホーランドのホーランド兄弟は、クラシックのコンサートを社会科見学(のようなもの?)で観て、音楽に目覚めたことを作中語っていた。あの、都会的で洒脱なモータウンの音楽は、もともと豊かな文化的インスピレーションを育む土地ならではのものなのだ。

また、ベリー・ゴーディは自身のことを「教育者だった」と振り返っている。彼はアーティストを育てる仕組みを用意した。衣装、振付、マナーなど各部門で専門トレーナーを雇い、一流のバックバンドを前に歌わせた。また、リリース曲を決める会議では風通しの良い議論の場を設定していた。そうすることで、アーティスト、裏方がそれぞれ刺激し合い、ものすごい集中度でクオリティの高い楽曲がつぎつぎ生まれていった。こうやって1960年代に育てたアーティストたちは、1970年代になると自分の曲を自分でプロデュースするシンガーソングライターとして「自立」して、ポピュラー音楽界のスーパースターになっていく。

終盤、ベリー・ゴーディは、モータウンのなかでもっとも優れた曲は1971年のマーヴィン・ゲイ「ホワッツ・ゴーイン・オン」だと語る。この曲は、マーヴィン・ゲイがみずからプロデュースしたベトナム戦争への反戦歌だが、当時、ベリー・ゴーディは政治色が強すぎるということで発売を渋ったという。しかしマーヴィンの熱意におされリリースするが、その結果、多くの若者の心とらえて大ヒット。いまや、ポピュラー音楽史にのこる名ナンバーである。この曲を語るベリー・ゴーディは、経営者というより、生徒を誇る「教師」のようにわたしには映った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?