間違いあい/救いあい【短編小説】
どうしてこうも間違っていくのだろう。喜びよりも哀しみに割合が偏っている。情熱は擦り減り、虚しさに慣れ、愛する人が夢に溺れた。
変化は遅効性の毒のように日常を蝕み、弾力を感じた確かさは徐々に磨耗する。
彼女はとても真面目な人だった。どんな困難に対しても最善を尽くし、理不尽な出来事が起ころうがじっと耐えられる、心の生かし方と殺し方の使用法が上手な人。
僕は誰からも好かれる彼女を当然のように好きになった。不思議と彼女も僕に惹かれたようだった。
「あなたの淋しそうで疑り深い目が好きよ」
彼女はお気に入りのマグカップに注いだジンライムに口をつけると、いつもそう言う。
「信じるって難しいから」心の中でこぼした。
僕は怯えている。いつか彼女を無くしてしまうのではないか。気が変わってほかの男性になびいてしまったら。そもそも僕のことを本当に好きでいるのだろうか。
暖かい二人だけの空間で彼女の微笑みとアルコールの巡りが僕の冷えた猜疑心を育てている。
そんな彼女が眠るとき、青い錠剤を飲んでいることに気がついたのはいつだったろう。
「薬を飲んでいるの?」
「そうね。薬という名前の切符かしら。よく眠れるのよ」
「不眠症になった? 切符って?」
「最初はそうだったわ。今は夢を旅するの」
僕は彼女が精神的に疲れているのかと心配した。真面目すぎる代償にストレスも溜まっているはず。寝息の聞こえる背中を優しく包むよう抱きしめると今日が消滅していった。
あれから彼女はよく眠るようになった。六時間、八時間、十二時間と睡眠時間は延びていき、最近では一日のほとんどをベッドの中で寝息をたてて過ごしていた。睡眠時間と比例して空になった青い錠剤の包装シートは増していった。
たまに起きてきたと思えば、不機嫌な顔で食事とジンライムを摂り、トイレに寄ってまた眠りにつこうとする。
「ちょっと寝すぎなんじゃない」
「いいの。今、とてもいい場面なのよ。続きをはやく見なくちゃ」
「それにしても異常だよ。薬も飲みすぎなんじゃ……」
パキパキと包装シートから錠剤を数錠取り出し朦朧とした表情で答える。
「夢の中が楽しいのよ。ふしだらでいられるの」
それじゃ、おやすみ。とベッドへ戻っていった。
不安になった僕は少し遅れて寝室へ向かい、すでに毛布にくるまっている温もりに添い寝した。頭をそっと胸に抱く。
「ふしだらな夢ってどんなの?」
彼女は頭を少し持ち上げて上目づかいで見つめる。小さく笑った。唇から柑橘系の吐息が立ちのぼる。
「あなたの知っている私じゃない夢。それ以外は秘密」
「そんな君を僕は許せるかな?」
「きっと無理ね。でも今のあなたの目、とても素敵よ」
穏やかな微笑みを浮かべたまま、まぶたを閉じた彼女は僕の知り得ない世界に旅立っていく。みだらな姿を想像した僕は嫉妬と執着とアルコールで肌を赤く染めた。
僕と彼女は屈折した愛情で繋がっている。
彼女は僕を寂しげな目にさせることで優越と安心を得ていたし、僕は彼女を疑うことで愛情が満ちる感覚に浸っていられた。
その気持ちはいつまでも現状維持のままではいられない。ゆっくり消費されていく。
枯渇から逃れるように互いの欲求は次第にエスカレートしていき、僕は彼女を出来る限り部屋から出さないという束縛にまで至った。
真面目な彼女は縛られた理不尽さに耐え、『ふしだら』な夢に溺れる。それが悲哀の瞳を誘い、猜疑の感情を駆り立てる。正しく二人の欲求を満たす術を心得ていた。
「んんっ」と艶やかな寝言が漏れる。
間違ってしまった僕たちの求愛は、自傷行為と変わらない。愛と呼ぶには程遠い。
「救いあえる方法が見つからない」
青い錠剤に目をやる。適当に何錠か飲み込んだ。後頭部から緩やかにほどけていく感覚が心地いい。楽園行きの切符となればいいのだけれど。
どうか夢の中では救われた二人でありますように。彼女を胸に抱きながら枕に顔を埋め祈った。
———「本当に愛しているわ」
現実と夢の刹那からライムの香りを漂わせた呟きが聞こえる。
女も夢の中で正しい愛を望んでいることを男はまだ知らない。