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【ゲーム話】The last of us part2、感染者が蔓延る本当の理由【考察】

※この文はps4ゲーム「The last of us part2」の若干のネタバレを含んでいます

こんにちは何するため、すらぷるためです。

遅れながら先日PS4のパンデミックサバイバルゲーム「the last of us part2」無事クリアしました。エリーとアビー二人の視点と立場から始まる展開が凄まじくて、終盤すっかりアビーに肩入れしてました。エリーよりもアビーの方が偉く描かれてたし、アビーだなやっぱうん。

このゲームは大きなテーマとして、アビーとエリーの「復讐と赦し」がありますけど、このことについては色んな人が語っていて既に答えが出ていると思ったので、同じこと言うのはやめます汗

そんなわけで今回はこの傑作ラスアス2を別の視点で考えてみたいと思います。

ラットキングという救済

個人的に注目したのは本作の敵キャラクターである感染者のボス「ラットキング」です。この敵の造形がかなり示唆的だと思いました。(若干閲覧注意)

本編のボス「ラットキング」ラスアスの「感染者」は個体同士が繋がり合う「菌類」!


これは初期の感染者達が病院で隔離され放置された結果、感染者同士が融合して巨大な怪物になったというもので、ゲーム中盤あたりの強ボスキャラとして出てきます。

このボスを見て、このゲームの裏テーマ、「そもそもなぜ感染者がいるのか?」について解ったので話そうと思います。

結論から言うと、感染者はラストオブアスの世界において「人間同士の争い」に対する一つの救済の意味が込められているんじゃないかと思います。

ポイントは初期の感染者達が融合していたという点です。感染して一番時が経っている個体が融合しているということは、このままいけば全ての感染者は最終的に「融合して一つになる」ということを示唆しています。

何故感染者が生まれたのか

ここでもう気がついている方もいると思います、つまりエヴァンゲリオンの「人類補完計画」みたいなもので

「他人」という存在がいるからアビーとエリーのように人間は争う→全員感染者になって最後は全て融合し一つの生物になれば(他人という存在がいなくなれば)争いは起こらない→世界に平和が訪れる、、、というように人間の「争う」ということに対する一種の危険な救済措置で感染が始まったんじゃないかと思います。

そうなると感染者が菌類の姿をしているのも意味が出てきます、菌類は菌類同士で融合して一つになるスゴ技を持っていて、このことが本作で「融合ができず分かり合えない他人がいる、人間の世界」との対比になっています。

粘菌の凄さがわかる記事ドゾ

余談


この図式はまた、現実の話だと資本主義と共産主義の思想の違いにも見えてきました。個を尊重するが争いが起こる資本主義(感染していない人間)と、全体で(表向きは)平等になるが個が無くなる(感染者)共産主義の対立みたいなのがあると思います。

これは以前noteでも書いた映画「ミッドサマー」の中でも各々の個を持つ大学生達と、「個が許されない、集団で一つの生き物」のホルガ村という図式があって、共通してる気がします。

これを踏まえて余談ですが、2020年代は「資本主義を見直す!じゃあ共産主義はどうなんだ・・・?」みたいな年で、だからこの問題が色々なジャンルで象徴して描かれるのかな、とか

それとは関係なくlast of us part2もミッドサマーも内容は思想の対立というよりはネットのSNSで起こってる事が可視化されてるというメッセージで、例えば同じ人(感染者)同士が集まって思想が補強されるから余計に相対主義的に外部(感染していない人間)と対立するんだろうなとか、このゲームで色々考えてしまいました。とどのつまり

last of us part2、神ゲーだよこれは!!!!!!!!!!!!!!

おわり(文に収拾がつかなくなったのでデウスエクスマキナします)

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