専業主婦なりのキャリアを考えてみた~小学校でのPTA①
専業主婦だった私がキャリコンになって1年が経ちました。私がキャリコンになった大きな理由は長女が私立大学に行くことになったからです。このままでは次女と三女の娘の大学資金が底をつく💦と。
でも、なぜ?キャリコン?よく考えるとかなり遠回りをしています。ですが、自分自身の人生やキャリアを考えるためには良かったと思っています✨✨。
だって、長年、「社会の役に立っていない」、と悩んでいたから。でも、自分の人生を振り返ると、社会のために頑張っていたこともあるじゃんと認識できました。そして、その中で活かせるものはないかと考えるようになりました。
では、頑張っていたと認識できたボランティア活動のひとつのPTAを振り返っていきたいと思います。かなりの種類を経験したので、このページでは小学校のPTAだけ振り返ります。(幼稚園と中高校はまた後日)
〇小学校入学前に出会ったPTA
小学校に来年入学するいう時、小学校から案内をいただきました。小学校の運動会(ちょこっと走ってお兄さんとお姉さんから景品をもらう)と入学前検診と説明会の案内状です。
その当時は6歳、4歳、0歳の母親だった私。新聞を読むのもままならない生活をしていたため、(家からかなり近いこともあり)子供たちが楽しそうに遊べる&時間をつぶせる&お土産がもらえる「楽しそう🎵」と運動会に参加することにしました。
ただ、運動会に参加してみてびっくり。プログラムは未就学児の時間になっているのに、全然始まる気配がありません。ぐずる娘たちを眺めていると、おじいさんやおばあさんも加わり、たくさんさんの人が綱引きをしていました。さらに、その後、PTA種目。だらだらと長い💦。小学校のPTAって?に出会った瞬間でした。
〇PTAの良し悪しはやっぱり人~楽しさも辛さも人
長女が入学しました。入学式には三女をだっこ紐でだっこし、次女とともに参加。次女はようやく話せるようになったところで、つたない歩き。今思えば、恥ずかしい限りですが、余裕がなく、必死でした。
この時のクラスには優しく心の余裕のあるベテランママさんがたくさんいてくださったので、PTAの委員に参加せずに過ごすことができました。あとで思えば、投票制なので、外してくださったのだと思います。
ただ、夏祭りの準備は全員で行います。お祭りの当日、割り振られた仕事を先輩の話を聞きながらこなすだけ。お祭りを一緒に創り上げるという楽しさ、達成感を感じることができました。(火文字に巻き付ける布を切る&巻きつけるなど)
ところが、小学校にはいろいろな人がいます。事情を知らない違う学年の人もいるし、優しくない人もいます。今ならましに対応できますが、当時入学1年目、いつもイライラしているPTAのボス的存在もつゆ知らず。夏祭りの準備に子供と下の子を連れて参加したら、怒られました。「お化け屋敷の内容がばれる」と⁉。衝撃。PTAのイメージは急降下しました。
〇次女の入学でPTA委員に
長女の2年間は委員をやらずに来ましたが、さすがに悪いような気がしてきた頃、次女の入学です。次女のクラスで楽そうな委員になることにしました。
ところが、係決めの時のじゃんけんで一番最初に負けました💦。負けたということは、一番大変な係をするということ、つまりクラス代表になること。に。ここから、三女まで9年間もすべての委員を経験することになるとは思っていませんでした。
(長くなったので、また後日に)
どんな組織でも、結局は人だと思います。同じ組織内で過ごしていても楽にできる時はできたし、苦痛の時は本当に苦痛でした。
会社と違い、PTAは集まる人の「経験」・「人生の目標」・「価値観」がバラバラで共有されていません。異なる「あるべき姿」で進んでしまうことが問題だった、と卒業してから気づきました。遅かった💦。
でも、PTAは必ず卒業はきますからね😊💪
「子供の話を聞きながら、PTA役員をし、料理する‼️」のようにマルチタスクをこなした専業主婦が子供の成長とともに自分のことに目を向け、社会への思いを伝えることが出来たら、きっと社会は良くなるはず✨と思っています。サポートしていただけたら、嬉しいです❤