遮光カーテンを開けると、眩しい朝の陽光が一瞬の迷いもなく部屋の中になだれ込んできた。 ガラス戸越しの庭に盛りを過ぎようとしていた花みずきが、昨夜の慈雨に再び勢いづいて白い花姿を楚々と輝かせている。 久しぶりに殉難のひとかけらも感じないで済んだ爽やかな朝の目覚めだった。毎夜眠りに落ちるまで、施設で暮らす妹のことを思わない日はなかったから…。 梨花はその存在を確かめるかのように妹の部屋を覗きに行った。 加奈は、ローズピンクの肌掛けを頭まですっぽり被ってベットに横たわ
梨花が滝沢医師から託された手紙を母は長い間手の中に握りしめていた。 看護学校に在学中、実習に入った施設の様子を思い出したのか不安を滲ませ、暫く不動のまま…。 ——この母と離れて暮らした年月がどんなに重く子供たちの上にのしかかっていた事か、やりきれない思いで過ぎた日々を振り返る。 重厚な無垢材のダイニングテーブルや縦横1・8メートルほどもある大きなカップボードや食器の類い。 この家にあるどれもこれもがかつての思い出に繋がるかけがえの無いものばかりだ。 これらを失
「長谷川梨花さん、どうぞ中へお入り下さい」 問診の書類を片手に自ら診察室のドアを開いたのは、小柄な中年の女性医師だった。 ー滝沢メイ・クリニック 精神科と心療内科の両科目を掲げ、しかも女性医師という条件をもって梨花が探し当てた診療クリニックだった。 滝沢医師は書類に目を落としながら 落ち着かない様子の梨花に椅子をすすめた。 「加奈さんのお姉さんですね。先日はお母様がいらっしゃいましたが……」 患者本人は同行を拒否して初診は母親だけの面談になった。 その母親
そぞろ歩きを楽しむ人に混ざって、商店街が軒を連ねる街路を歩いた。 辺りを覆いはじめた薄闇のなか、目の端にチラチラ映り込む店の灯火が、やっとの事で意識を正常に保っている気がする。 あの時、アルバムを捲っていた梨花の視線が一枚の写真の上でピタリと止まった。 執務室と思われるデスクの椅子にゆったりと座したスーツ姿の紳士。 几帳面な字で「父」と添え書きがあった。 短い時を遡るような一瞬の沈黙の後、梨花は呟くように言う。 「私の父よ。四年前に亡くなったの」 そ
皆さんよくご存知のズッキーニ。 イタリア料理に欠かせない夏野菜ですね。 頭頂部に大きな花を戴きながら育ちます。 我が家では花冠(はなかんむり)と勝手に命名してしまいました。 写真のような花冠のズッキーニは一般には出回らず、農家の畑や家庭菜園でしか見ることが出来ません。 緑色のボディに黄色とオレンジの花冠がエキゾチックで愛らしいでしょう? 花が咲いてから一両日中に早採りしたものは、花と実の多きさの比率が1対1の頭でっかちです。 これは“幼花“と言って意図的に
通された部屋は玄関脇の洋間だった。 緞帳のような真紅のカーテンが目一杯左右にひらかれ、金色のロープタッセルで括られている。 光沢のあるローズウッドの腰壁を巡らした白壁には、どこかの風景画のような油彩画が飾られている。どこの家にもある様な設えではない。正面の飾り棚には、あこや貝の殻内で成長する真珠の標本が立て掛けてあった。 小さいものから大きく成長したものまで、白い真珠の玉はどれも淡いオーロラのようにしっとりとした色彩を放っている。 もの珍しさに近づいて見入っている
集団のつるむ心理は抗えない弱者への虐待を生み、順境の者の心理は逆境の者への無理解無関心に通じる————「いじめに発展する構図とその周辺」 縷々
「蛍を見に行こう」と誘われた。 ずいぶん昔の梅雨入り前のことである。 その友人は、私同様転勤族だった。家事の合間を見計らっては団地周辺に広がる里山を駆け巡り、一人自然を堪能していた。 神出鬼没のスタイルはとても真似ができない。本人も思い立ったら即行動だから当然単独の探索になってしまう。 多動性ナントかと言って揶揄する人がいたけれど、金融系の頻繁な移動は一般企業とはかなり異なる。何処へ行っても異邦人の様な環境の中で、彼女が見つけたひとり遊びの極意なのだろう。しかしさっ
三春とは——遅い東北の春、梅,桃,桜が一斉に花開くことから三つの花の春と名付けられた福島県の地名、三春町の事。 「滝桜」は、その三春の地におよそ千年の昔から自生する枝垂れ桜の巨木です。 枝さしは太い幹から扇の様な弧を描いて広がり、枝から派生する細い小枝は流れ落ちる滝の様に幾筋も地表に向かって下垂して行きます。 薄紅の小さな花弁が、か細い小枝を滑りゆくかの様な軽やかさで咲き,風に揺らいで散りゆく様は、訪れた人の眼に,心に,絵画の様な一期一会の瞬間を刻むに違いありません。
パール・バックは、キリスト教布教の目的で中国に派遣された宣教師の娘として、生後間もない時期から三十数年に及ぶ年月を大陸で過ごしました。 のちに夫となったジョン・ロッシング・バック博士の農業指導に同行して北部の一農村に足を踏み入れます。 彼の地でパールが目にしたのは、苛烈な環境に身を置く農民の姿、そして怨嗟の声でした。この時の体験が作品「大地」の骨格となったのです。 父のもとを去って親戚に身を寄せた淵(フェン)でしたが、父から無謀とも言える内容の手紙が届きます。 —
パール・バックはキリスト教布教の為に派遣された宣教師の両親と共に,生後まもない時期から30数年に及ぶ年月を中国で過ごしました。 後に夫となった、ジョン・ロッシング・バック博士の農業指導に同行し、南部から北部の一農村に移りましたが、彼の地でパールが目にしたのは苛烈な環境に身を置く農民の姿、そして怨嗟(えんさ)の声でした。 この時の経験が、大河ドラマを思わせる壮大なスケールの作品「大地」の骨格となったのです。 時は流れ、歳老いた王龍はかつて愛着
指導室での梨花の武勇は二人だけの秘密にしたままだったが,彼女はその正義感と牽引力で早くも女性徒の中心的存在になっていた。 新しい友人関係を築くべく探り合いの中、私は誰よりもいち早く、最高の友を得たと言えるかもしれない。 一方で気になることもあった。 梨花は私的な会話を投げかけてくる男生徒に対して、悪い陰謀を企んでいる者を見る様な目つきでニコリともせず、言葉も返さず、じっと硬い表情を向ける事があった。 褐色の瞳の中でメラメラと炎が燃え上がる様な気配に、軟派の男生徒
パールバックは1938年ノーベル文学賞を受賞したアメリカ初の女性作家です。 その受賞作「大地」の舞台となった時代の中国は、古い時代から近代へと移行する過渡期にありました。 改革と銘打った「大小の革命軍」による抗争が続く一方、生活の立ち行かない貧しい農民を取り込んだ無法集団「匪賊」がはびこり、各地で殺戮と略奪が繰り返されるという長い恐怖の時期が続きました。 戦乱の続く不安定な状況下にあった農民は、一方で時を選ばず発生する干ばつや水害に心を痛め、引き続き起こる過酷な飢饉
お互いの名前も顔も覚束ない入学早々の時期だった。 梨花と私はそろって生活指導室に呼び出された。 私はパーマのような縮毛で…梨花は脱色した様な褐色の毛色で。 パーマを当てているのではないか、脱色しているのではないか——指導教諭は胸元に腕を組み、高圧的な物言いで椅子にふんぞり返った。 「先生私のこの眼、よ〜く見てください」 梨花は教諭の眼前に顔を突き出した。 「虹彩の色、薄いアーバン色でしょう?——メラニン色素のなせる技、この髪も同じです。メラニンの濃淡で髪毛の色
すっかりご無沙汰してしまいました。 一月初めの頃より体調を崩しずっと微熱と酷い倦怠感が続いていましたが、ここに来て漸く体調が戻って来たようです。 インフルエンザか、未だに猛威を振るっているコロナか不明ですが,ワクチンを打っていない私一人が長引いたことを思えば後者のだったかも知れません。いずれ抗体検査を受けようかと思っています。 味覚障害がひどく、体調が戻っても多分料理が叶いません。 もし、プロの料理人の方が味覚障害を起こしたら如何されるのかと、心配するほど旨みが抜
両手で抱えたひざ頭に顔を埋めて,少女は上り框にうずくまっていた。 明かりとりのガラスを漉して午後の眩い日差しが玄関のたたきに降り注いでいる。にも関わらずむき出しの細い手足は,近づく冬をただじっと待っているような冷たい硬さを感じさせた。 「ただいま、加奈ちゃん」 梨花は膝頭に頭をもたげたままの少女に声をかける。徐ろに面を上げた額の上に,白い光が流れると少女は眩しそうに瞬きながら瞳を上げた。 「美波,妹の加奈よ。さあ,ともかく…どうぞ上がって」 私は首を横にかしげて加