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「大地」と著者パール・バックを語る 其の3 後半

 パール・バックは、キリスト教布教の目的で中国に派遣された宣教師の娘として、生後間もない時期から三十数年に及ぶ年月を大陸で過ごしました。
 のちに夫となったジョン・ロッシング・バック博士の農業指導に同行して北部の一農村に足を踏み入れます。
 彼の地でパールが目にしたのは、苛烈な環境に身を置く農民の姿、そして怨嗟の声でした。この時の体験が作品「大地」の骨格となったのです。


 父のもとを去って親戚に身を寄せた淵(フェン)でしたが、父から無謀とも言える内容の手紙が届きます。
 ——本人同意の有無に関わらず代理人を立てて挙式すれば結婚は成立する——
 父の謀は決して無謀ではなく、当時の法律に適ったものだったのです。

 悲嘆に暮れる淵に従兄弟の生(しゅん)は、気にせず自分の意思に従えば良いと進言し、猛(めん)は革命が掲げる救国の意義は、そうした古い慣習を改革する事にあるのだと主義主張を展開しました。
 この猛のひと言で革命の意味を理解した淵は「自分自身を救う為」に革命党員の秘密結社に名を連ねます。

 猛との繋がりで淵と生は監視の目にさらされ様になり、女同志の裏切りで淵だけが捉えられ死刑を待つ身となってしまいます。数日後朦朧とした状態で解放された直後、路上で倒れた淵は洋上の舟の中で意識を取り戻します。
 ベットの傍らに居た生から留学目的の脱出である事と、なぜ渡航の手引きに成功したかの事情が明らかにされます。
 父は息子の自由を買う為に、なけなしのお金を賄賂としてつぎ込んだのでした。

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 新天地に降り立った二人は其々の方向に歩き出します。

 淵にとって、新しい出逢いは有色人種への侮蔑と差別の連続でした。心の痛手は軍閥の息子というプライドと民族の誇りを呼び覚まし、自分のために、祖国のために、弁明する孤高の人となって行きます。
 一方こだわり無く異文化を受け入れてゆく生は、淵に広く人と交わる事を進言しますが、淵はますます孤独を囲ってしまいます。

 孤独な淵を家庭的な雰囲気で受け入れたのは、敬虔なクリスチャンである大学教授の一家でした。
 とりわけ知性と教養で淵の心を捉えた娘のメアリーは、西洋人であるにもかかわらず中国が母国であるかの様な高い見識を持っていました。

 ある時淵の論文に触れ、彼女は古代中国(紀元前5~7世紀?)の学者【チャオツォ】の論文の一節を誦んじます。

  罪は貧に始まり 貧は食の足らざるより起る
  食の足らざるは 土を耕すを忘るればなり
  土を耕す事無ければ 人は大地と結ばるることなし
  結ばれざれば 家を離れ故郷を去りやすく
  空の鳥のごとく 野の獣のごとからんのみ
  城邑深濠(じょうゆうしんごう)  苛法厳罰(かほうげんばつ)も
  その心中に強く存する放浪の精神を制するに足らじ

: 城邑深濠とは——外敵から都を守るために城壁を高く築き、深い濠を巡らせ、内にあっては厳しい法律をもって秩序を保った社会——その様に恵まれた土地であるのに、鋤鍬を棄てて他所の土地に移って行く人心を止めることは出来ない——という意味になるのでしょうか。(文献にたどりつかず、私なりの解釈にすぎません)

 古代中国の論文にまで及ぶメアリーの知見——。メアリーはパール自身の投影では無いかと推測してしまいます。また、メアリーについての性格描写は緻密でパールの自己分析の表現ともとれ無いでしょうか。私のもしかして?は、果たして的を得ているでしょうか…

 知り合って2年という年月の間、拭いきれない民族の違いに苦しみながら若い二人の心は揺れ動きますが、母国の動乱が淵の帰朝を促し決別を余儀なくされます。

 帰国後直面したのは、往年の勢力を失った組織と老いた王虎でした。
 それ以上に淵を打ちのめしたのは、留学の費用が伯父からの借金で賄われていたと言う事実…それは彼の身に負債という新たな束縛を生み、後に大学教授の職を得て借金の返済に充てる事になります。

 時代は、祖父王龍(わんろん)から三人の息子たちへ、そして孫世代へと移っていました。
 生は、洗練された装いと所作に至るまで西洋人に変貌し、猛は新政府の上官のもで部隊長となっていました。その猛の紹介で大学教授となった淵は学生に農業を教える事になります。
 義妹の愛蘭は妻子ある男性と恋を貫き結婚しましたが、奔放で一番近代的と言えるかもしれません。

 孤軍奮闘する淵を支えたのは愛蘭の母が実子として迎えた孤児の美齢(メイリン)でした。
 民族の違いで苦しんだメアリーの時と違って彼女は「同胞」でした。悩み続けた淵にとって美齢は相応しい相手となってゆきます。

 近代化の中で地方は古い時代のまま取り残されていましたが、ある日匪賊と結託した農民の反乱によって襲撃を受けた王虎は、再起を絶たれ「土の家」で最後を遂げます。
 裏切り、密告は常でしたから信頼できる腹心はごく僅か。そうした中で戦う組織を率いると言うことは孤独との戦いであったでしょう。

土の家」は、父王龍から初恋の人を奪われた王虎(ワンフー)にとって堪え難い思い出があるにせよ、その人梨花(リホワ)が障害のある彼の姉と共に暮らした場所でもありました。
 養育の人生を送った清らかな彼女の存在は、パール自身の投影ではないかと思っていた私にとって、王虎の梨花に対する回想が一行たりとも描かれていないのが残念でなりません。

 王虎の最期を一緒に看取った淵と美齢は自分たちの新しい未来に向かって手を取りあいます。
 かつて父の支配下にあった時、淵が味わって来た深い絶望と孤独は烈しい怒りとなって周囲や自分にさえ向けられていましたが、漸く美齢の中に安らぎと居場所を見出したのです。


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              —— 読み終えて——

「大地」がノーベル文学賞を受賞した当時、在米中国人の間で受け入れ難い内容として批判にさらされたと言います。しかし読み進めて行きますと、作中人物の会話を通して中国への深い理解と愛が語られている場面に何度も出逢いました。最後に登場する淵の生き方がそれを証明しています。

第一部の始めには貧しい農民の悲惨な生活が描かれていますが、日照りや水害による大災害の後、連鎖して起こる飢饉は苛烈極まるものでした。そうの惨状は日本に於いても「寛政の大飢饉」として記録が残っています。

大地の草木は全てむしり取られ、人畜共に喰らいあい、人間が人間でなくなる壮絶な生き残りの惨状……犠牲者は農民平民で、彼等から搾取した備蓄によって富裕層はやり過ごす事ができたのです。

今、飽食の時代に生きる私達には考えも及びませんが、大地を揺るがす大災害が起きた時どう対処したら良いか、深刻な課題を突きつけられた気がします。

全体を通して阿片摂取の風習が散見されますが、中国に限らずヨーロッパに於いても同様でした。ただ中国の場合キセルによる吸引が主で、より強いダメージを及ぼした様です。その恐ろしさは次第に量が増えるという耐性にあるそうです。阿片の蔓延は中国の国力を揺るがす禍いとなりました。
そして貿易相手国イギリスとの間でアヘン戦争が勃発しました。(その前後の経緯は広く知られており割愛させて頂きます)

今回、私が手に取ったのは『大地』『息子たち』『分裂せる家』の三部作です。
正直言って読み切った——と言うより、疲れました。大それた事にその上感想文など……当然のことながら纏まりません。
なので私の勝手気ままなお喋りとして読んで頂けたら幸いです。

最後に——パールは自国アメリカについてメアリーにこう言わせています。

「私たちの国は未熟ですから」

古い歴史と伝統を持つ中国に対する賛美の言葉です。

                 ( 完 )


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【新潮文庫】 大  地

   訳者 新居 格
   補訳 中野好夫

参考 1 :  中野好夫氏 解説

☆      見出し画像はホットギャラリーより 番茶さんの作品を拝借しました。

     












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