愛と涙と星のきらめき 4
通された部屋は玄関脇の洋間だった。
緞帳のような真紅のカーテンが目一杯左右にひらかれ、金色のロープタッセルで括られている。
光沢のあるローズウッドの腰壁を巡らした白壁には、どこかの風景画のような油彩画が飾られている。どこの家にもある様な設えではない。正面の飾り棚には、あこや貝の殻内で成長する真珠の標本が立て掛けてあった。
小さいものから大きく成長したものまで、白い真珠の玉はどれも淡いオーロラのようにしっとりとした色彩を放っている。
もの珍しさに近づいて見入っていると背後で声がした。
「ソファにお掛けなさいな」
婦人のような物言いにびっくりして振り向くと、梨花と一緒に奥の部屋へ行ったはずの加奈が両足を抱え、一人がけのソファに包まるように座っていた。
「ねえ,ねえ——“ミス髙木学園”はどんな仕事をするの?」
親しげに笑いかけながら唐突に“ミス”の話が持ち返されたが説明する言葉が見つからない。
ミス“髙木学園”は加奈が勝手に思い込んでしまった私の虚像なのだから……
答えを待ってじっと注がれる加奈の眼差しは、それまで心地よく安らっていた私の足場を奪い、危うく落下しかけた。
「うーん、色々ね,色々。そう、雑用係みたいなもんよ」
説明に窮して繕った私の言葉に、加奈はいかにも可笑しいというように手を打ち「アハッ」と大きな笑い声を上げた。
「ところで、ミス白百合はどうやって選ばれるの?」
私は加奈の質問を封じ込めるように質問を返してみる。
「そりゃあ何てったって美人が一番の条件。先ず推薦で選ぶの。選ばれた人は学級委員を選ぶ時みたいにね、獲得した票で決まるんだよ」
たとえ作話であったとしても話の内容はまともだった。意外でさえあった。
“ミス白百合”の意味を満たす加奈の思いは、戻ることのできない学校生活と青春への断ち切れない憧憬…いやもっと強い…渇望なのだろうか。
おそらく——加奈は“ミス白百合”の時が一番まともなのかも知れない……。
「それじゃあ、加奈ちゃんは獲得票数第一位、正真正銘の美人ってとこね」
弾むような私の言葉に加奈は細い肩を微かにすくめ、満足そうな微笑を浮かべた。
肩に落ちる細くしなやかな髪は赤みがかり、明るい茶色の瞳同様に白い瓜実顔を際立たせている。頬に広がる薄いそばかすを除けば、梨花とそっくりだ。
「姿が見えないと思ったら此処だったんだ」
梨花の声に、加奈は抱えた膝に顎を乗せて上目遣いにフフッと微笑んだ。
その肩にそっと手を添えて
「美波——この妹が私の秘密の秘密なの。謎多いという私の真実の一部分…」
梨花は謎多き人だね——生物室で思わず呟いてしまった私の一言。
その謎を打ち明けるために、今日という日を用意してまで心患っていたのだろうか。
「今日、家に来て欲しいの。母がシフォンケーキを焼いてくれるんだって」
梨花の誘導作戦にまんまと乗ってしまったけれど、大切な申し込みの手続きに行くはずだった。
人に知られたくないプライベートを打ち明けるほどに私は信用された事になる。
梨花の気持ちに応えることができて良かったと思うと同時に、改めて心から申し訳ないと思うのだった。
「事情も知らずに…ごめんなさい。もっと軽い意味で言ったつもりだったの」
「いいのよ美波。真実を知って貰いたかったの。分かってもらえたら問題じゃないわ。 少なくとも私にとってね」
梨花は大きく吐息をつきながら言う。
「良かった、美波と友達になれて——ううん、友達になれたのが美波で」
「んー? 私を称賛する言葉だけれど…ねえ、それって同じ言い回しじゃない?」
いつもの謎に返りながらつい聞き返してしまった。
「微妙に違うのよ。言ってみれば——深さの度合い」
「深さの度合い……か。梨花って、ちょとしたニュアンスの違いを巧みにサラリと表現するのね。高校生にしては出来すぎている。やっぱり謎よ」
今までの色々な出来事を思い出しながらまっすぐ梨花を見つめた。
「それって褒めてるつもり?あなたの謎々の答え、的を得ているかしら?」
そこまで言って梨花は吹き出してしまった。
あゝそうか…思い当たって私もつられて笑った。
「的外れだったかしらね?」
入学して間もなく、二人一緒に指導室へ呼び出された時のこと。
目をつけられた梨花の赤い髪の毛と私の縮れっ毛が、生まれつきだと分かった途端、指導教諭の鋭い舌鋒が引っ込んでしまった。
その時の「思惑は的外れ」で意気投合して今は無二の親友になった。
「あの時の先生の顔ったら!」
笑いこけている二人の傍らで、加奈は首を傾げて微笑んでいる。
しっかりと現実の世界に浸って二人と一緒に笑い、お喋りをし、フィニキュアの王女エウロパに入れ替わることは無かった。
母親の手作りだというシフォンケーキとミルクティーを頂きながらアルバムを見せて貰った。
どのページも幸せな写真で溢れていた。
加奈の笑顔が愛らしい。
今も変わりのない無垢の笑顔…変わったのは内側と外側の日付けだけ?
いつ、どうして、何故?——加奈の実質を変えたのは何だったのか。
梨花は加奈の病気について多少語ったものの、その事については一言も触れなかった。
分かったような分からないような——謎はかえって増えてしまったような。
心の問題は複雑極まりない数式を解くように、答えはいつまで経っても導かれなかった。
波打つ黒い後ろ髪を見せながら、私は時折振り返っては手を振り、残照の街中へ歩いて行った。
「あの人好きよ。私と同じ”ミス”だから」
加奈は名残惜しそうに何時迄も見送っていた。
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