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全てを好転させる祈りと、何も変えられない願いについて!

2つ前の記事で、私達は祈ることで自分の中にある神性に繋がることができると書きました🤭


これは祈ることと、神の性質が殆ど同じだからです。(完全に=だと言い切る自信がないので殆どと書きました。)
祈ることで、自分が世界を創造している神的な存在であることを思い出すことができますし、


断言しますが、祈りを日常に取り入れることができれば人生のありとあらゆることが好転します♡


必ず、あなたは今より楽に幸せに生きられるようになるのですが、今日は私がオススメする祈りの方法を書く前に、伝えたいことがあります。


前回、自分とは無関係の人について祈ることが大切だと書きました。


なぜ無関係な人なのかというと、私が皆さんに試して欲しいのは不純物の混ざらない純粋な祈りだからです。


ここでいう不純物とは「願い」のことです。
願いと祈りは似ているようでいて、全く別物です。


神に感謝していても、神に祈っていても人生が全く良くならない!という人は祈っているのではなく大抵の場合、願っています💦


願いには必ず期待が含まれますが、祈りはただのイメージです。
何度も書いていると思いますが期待ってめちゃくちゃ重たいんです。
期待すればするほど沈んで息ができなくなって生きづらくなります。


期待を手放せば手放すほど人生は軽くなり、勝手に浮上します。


で、ほとんどの人が神社やお寺で手を合わせながらやっているのって祈っているつもりでも願ってしまっていることが殆どなんです。


おそらくですが、願いに人生を好転させる要素は1つもありません!(期待が含まれるから)



もし「私は神社で願い事をしたら人生が好転した!」という人がいたのであれば、それは願いではなく、祈ることができていたということなんです。


祈りの性質は力まない、緩んでいる、期待しない。


願いの性質は力んでいる、緊張している、期待している。


願いはとても身近にありますが、日常的に祈ることができる人って凄く少ないと思います。


なぜかというと私達は無意識に沢山期待してしまう生き物だから。


なので、自分のことや家族のことについて祈ってみようと思っても、すぐに願いに切り替わってしまいます。

だって、自分や家族に対しては「もっと〇〇であってほしい!」って思いがちですよね?


逆に見ず知らずの人には期待うんぬんの前にまず興味がない。フラットなゼロの状態でいられます。


このフラットなゼロの状態っていうのが純粋な祈りには物凄く必要です。


だから、自分とは無関係の人の幸せを祈れば、不純物である願いを介入させないことができます。



勿論、お釈迦様やキリストのようにすべての人に対してフラットなゼロの状態でいられる人は別です。

整っている人たちは祈るだけで、ありとあらゆる奇跡を起こせます。不可能はあり得ません。



しかし、まだまだ整っていない(ゼロになりきれない)私達でも純粋に祈るだけで、物凄い成長と拡大を遂げられます。人生は勿論、好転します。



さらに、無関係な人について祈るうちに、祈りの本質が掴めてくるようになれば自分のことや身近な人についても祈れるようになるので、そこはお楽しみに♫


予定外に長くなってしまったので、具体的な祈りの方法は次回、箇条書きにしてみますね!🤔



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