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とばり舎はじめました


書店ではない。出版社でもない。

私がただ、主に読書感想を綴るために作ったインスタグラムのアカウントで、知り合いのフォロワーは一切なし、フォローしているのもいくつかの書店のみという、やる気があるのかないのか分からない活動である。

snsではインスタグラムをよく使う。趣味であるフィルムカメラの写真をあげることが多い。あとは好きな音楽をストーリーであげたり、まあそんな程度。
当たり前だけど知り合いに見られるわけで(そりゃ知り合いを主にフォローした身内アカウントですから)そうなると邪念が入るわけです。
こんな人間だと思われたい、も勿論あるし
こんな人間だと思われてるだろうから、あんまりイメージ崩さないようにしないとな、っていうのもたまにある。

くだらない。しょうもない。
分かっていても思ってしまうのが私というしょうもない人間なのだから仕方ない。

読書アプリに読書の記録を付けて、感想も書くようにしている。読書アプリでは知り合いに見られることはないし(映画アプリなんかも)そうなると、読む人の顔を思い浮かべて文を書くことはない。記録をつける間はすごくのびのびとした表現の時間で、見られることを強く意識する必要がなく、でも誰かの目に留まる文章を書けることの心地よさがあった。でも読書アプリは読書のための空間、映画アプリは映画のための空間。全部適当に、時々関係ないことも言いたいからインスタグラムにした。

noteでもいいんだけど、素晴らしい執筆者の方がたくさんいてちょっと敷居高いから一旦やめといた。

なんで“帷”かといえば、単にこの言葉が好きだから。“夜の帷が降りる”という言葉はよく使われる現代日本語の中でもかなりロマンチックな言い回しだと思う。帷って優しいよね。今日の胸に残る蟠りも、恋焦がれたあの気持ちも、夕闇が覆っていけばまたひとつ、ちょっと過去の出来事になる。そんな思いは小箱にしまって(オルゴールみたいなできるだけかわいい小箱に)、帷の向こうの透けて見えるところに置いておいて、微睡みながら「憎いけど好きだよ」と見つめたい。反対側からあしたが近づいてくる、だからまた今度ね、と目を閉じて鼓動に耳を澄ませて、指先が温まるのを待たずに眠りたい。

わたしの投稿より

モニョモニョした、手書きのロゴも作った。

私の長所とも短所ともいえない特徴は、拘るのが得意ではないが故に、なんでもサッと、ササッと、サササ〜ッと終わらせて満足するところ。
全部その場の直感で、そこで完結させたくなる。良いところにも悪いところにもなり得るのは分かっている。
あとモニョモニョしていたい。
どっちなんだよ、何なのアンタは、と咎められてもモニョモニョどっち付かずでいたい。
そんな願望もちょっと込めた。

わたしの投稿より


もし、この文書に興味を持ってくれる人がいて、私のアカウントを見てくれたらなんか面白いから、リンクも貼ってみる。
面白くなくても、一緒に退屈じゃなくなればいいなと思う。

そういえばアカウントを作った時に、何も考えず名前をガンガン変えていたので2週間変えられなくなった。だからまだ、名無しの権兵衛。よろしくどうぞ。

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