フリーザは界王拳を使ってるよねという話【ドラゴンボール考察】
悟空たちの前に圧倒的な力をもって立ちはだかったフリーザ。
フリーザは劇中、戦闘力のコントロールができると言われている。
戦闘力のコントロールはこの世界ではレアな技術のようで、劇中に登場した地球とナメック星以外の宇宙人でそれができるのはフリーザ、ギニューだけである。(魔人ブウは微妙だが)
その中でフリーザの気のコントロールは、悟空の使っている界王拳と類似点が多いようにも思うのだ。もしかしてフリーザは界王拳(に近しい技術)を使っていたのではないだろうか?
今回は劇中描写を見ながらそれを検証してみたい。
しっぺ返しがあるフリーザの100%
フリーザが100%の力を出す際、悟空は以下のように言及していた。
それに対してフリーザはこの表情で沈黙しており、真実だと考えて良いだろう。
そしてフリーザが実際にフルパワーを出した後は、1-2分程度ですぐに気が減っていってしまっていた。
悟空の界王拳は体の限界を超えて気を引き出すことが可能だが、限界を超えると代わりに「しっぺ返し」がある技でもある。実際に悟空も20倍界王拳後は大きく気を減らしていた。
フリーザもそれと同じように気を減らしており、限界を超えると何らかのしっぺ返しがあるという点で、フリーザの気のコントロールと界王拳は似ていると言えるだろう。
気を高めた時だけ纏うオーラ
100%のフリーザはもやもやとしたオーラを纏っている。
このオーラは気を高める最中から発生しており、ところどころ省略されているものの、気が減少するまでは全編に渡って描かれていた。
またフルパワー以前の状態でも、力を込めて攻撃に移る前や怒りを込めて話す場面などでこの特徴的なオーラが確認できる。
界王拳も気を高めると赤いオーラが発生する技である。(そして割と省略して描かれていることも多い)
オーラ自体は超サイヤ人でも現れるし、他に見られるケースも多々あるのだが、フリーザと界王拳との共通点の一つであると言えるだろう。
自分が出している力を気にしている
フリーザは自分が「どのくらいの力を出しているか」を割とこまめに気にしている。
悟空と戦っていた際は、悟空の実力を測りながら少しづつ力を上げて50%の力で倒せると宣言し、概ねそれ以上の力は出さずに戦っていた。
普通は長期戦でも無い限りは自分の力の割合をそこまで気にしないだろうし、相手が格下ならなおさらである。だがフリーザはそれを気にしていた。
その後、100%の力を出す途中にもフリーザは力の割合を精緻に話している。
やはりこんなにもしっかり力を意識するかというと、普通はそこまでしないだろう。(ちなみにメタ的にはこういうのがこの頃のジャンプ漫画の流行りだった)
悟空も界王拳の倍率は気にかけて戦っていたが、何故そうするかと言うと界王拳にはしっぺ返しがあるからである。同様に、フリーザも制御に失敗するとしっぺ返しがあるから自分の力の割合を気にしていたのではないか?
自分が出す力を気にして細かく制御しているという点も、フリーザと界王拳との共通点と言えるだろう。
全力を出す前に悔しがるフリーザ
フリーザは超サイヤ人悟空と戦った際、何故か全力を出す前なのに負けを認めて悔しがるシーンがある。
この後にフリーザはナメック星を消そうとするのだが、この時のフリーザは実はまだ7割未満の力しか出していない。普通に考えて勝負を諦めるには早くないだろうか?
そして実際に全力を出した際には短い時間だが悟空と互角以上の戦いができていた。やはり勝てないと判断するには早計すぎるのである。
このことに辻褄が合うように解釈するなら、この時のフリーザは既に”何も代償を払わずに出せる全力”だったのではないだろうか?
フリーザにとってこれ以上の力は肉体限界を超える未知の領域であり、それ以上の力を出すと自分もただでは済まないとわかっていたのである。
だから負けを認めて悔しがり、より簡易かつ確実に勝てる方法として星を消すことを選んだ。
悟空も似たような発想はしており、ベジータを追い払った際、以下のように発言していた。
この時、確かに2倍界王拳の悟空をベジータは上回っていた。しかし3倍、4倍では逆に悟空が圧倒しているのである。それなのにベジータを「ずっと上」と評価するのは少し違和感がある。(大猿ベジータには敵わなかったが、尻尾があれば自分も条件は同じということも気づいていたはず)
悟空は恐らく、しっぺ返しをくらう3倍、4倍は自分の実力では無いと考えていたのではないか?悟空にとって、使いこなせない力で戦うのは”ずる”であり、力が上回ったとは言えないのだ。
フリーザもそれと同じで、しっぺ返しが無い本来の自分の力では絶対に敵わないと察したため、プライドが傷ついて悔しがったり、星を消そうとしたのではないだろうか?
フリーザは武人ではなく純然たる悪人だが、それでも自分の強さには絶対的な自信を持っていた。使いこなせる範囲の力で全く敵わなかったからこそ悔しがったとすると、つまり、この描写もフリーザが界王拳のような限界を超える気の高め方をしていたことの裏付けになるのではないかと思うのである。
変身はしっぺ返しを防ぐため?
もしフリーザが界王拳的な気のコントロールを行っているとすれば、3段階に変身を分けている理由も想像できそうだ。
フリーザは変身前に以下のように発言していた。
この発言は嫌味ではなくまぎれもない事実だったのだろう。
この「コントロールできない」という言葉には、相手を過度に痛めつけてしまうという意味だけではなく、自分自身がしっぺ返しを受けてしまうという意味も含まれていたのだ。
だからこそ変身を挟むことで、暴走しないよう強制的に制限をかけていたのではないだろうか?
気のコントロールと界王拳についてはこちらの記事で詳しく考察しているが、
フリーザは実は肉体限界を超える界王拳(的なもの)ができていた。
だが気のコントロールの概念を持った指導者がいなかった等の理由で制御能力が身につかず、一気に力が暴走して致命的なしっぺ返しを受ける危険があったため、変身で体を慣らしながら徐々に力を出していく仕組みにした。
そう考えるとなかなかに辻褄が合うのではないだろうか。
まとめ
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