SUPERNOVA

はじめまして。音楽に関して、教育や世の中に関してなど日々生きる上で自身の中から湧く言葉…

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はじめまして。音楽に関して、教育や世の中に関してなど日々生きる上で自身の中から湧く言葉を紡いでいくこととします。

最近の記事

「褒める」ではなく、「共に喜ぶ」

教育者やメンターに必要な要素とは?(人間関係構築において)前職(塾講師)の際、社内の掲示板で「生徒に懐かれるには?」がお題になりました(今思うとその言葉もおこがましい。目指すべきは「人間関係構築」です)。 「それはお前だろ」とご指名を受けて書いたのがもう10年近く前になりますが、未だに当時講師として担当した方々とはオンライン飲みをしたり飲みに行ったり、とにかく飲んでいます。あ、あと勉強会一緒にやってたりもします。 振り返って、未だにずっと仲良くさせてもらってたり、「人生変わり

    • 6/23 75years later

      「6/23」の意味するもの6/23という日付は、沖縄戦の終結日で「慰霊の日」と記念日制定されています。一般的に国の終戦記念日は8/15ですが、沖縄の人にとっては、やはり今日、6/23の方が大きな意味を持っています。 75年前の父私の父は、75年前の今ごろ、何をしていたのだろう。 父は、旅行地として有名な慶良間諸島の渡嘉敷島に生まれました。1937年3月29日の生まれなので、太平洋戦争時は8歳です。 沖縄戦は慶良間諸島からスタートしました。米軍は1945年3月26日座間味島を

      • ポジション志向/タスク志向

        「ポジション志向なのか、タスク志向なのか」 ※画像は、こちらからお借りしました。当該画像への価値判断を表明する意図はありませんこの記事は、めちゃくちゃ勉強になった。ポジション志向(安倍晋三や小池百合子)とタスク志向(NZ首相ジャシンダ・アーダーン)を対概念として置くと、過去からずっと疑問だったことが腑に落ちた。 言葉に中身がないのは、ポジション志向だから 子どもの頃から、なんで政治家の言葉は中身がないんだろうと疑問だった。 議論をする上で絶対に使わないだろう婉曲表現ばかり。

        • 「優秀さ」の定義

          「優秀である」ということ この前(といっても1か月ほど前だけど)、友人に「お前の言う『優秀さ』をもう少し言葉にして欲しい」と言われ、ちょっとだけ後回しにしていたのだけど眠れないのでこの際書いてみます。 ちなみに、ここでは社会人としてのものではなく、過去教育に携わった者として、「学生としての『優秀さ』」を定義したいと思っています。 ※結果として、優秀さの定義の前提を固めただけで終わり、話は別の方向に向かってしまいました。。。ただ、原因分析は不可欠だと思っていたので、定義付けの後

        「褒める」ではなく、「共に喜ぶ」

          現代涵養すべき”力”~「変異する力」と、それを支える「探究力」~

          「同質性教育」の限界性 苫野一徳氏の「『学校』をつくり直す」を読んでいる。 数年前、一度お世話になっていた方の紹介で講演会を聞いたことがある。 研究者であり実践家でもあり、とバランスが取れた方だった。 本編1ページ目から、思わず膝を打つ感覚。 前稿でも触れたが、太字にした部分こそ事の本質だと思う。 「結論から言ってしまいたいと思います。  公教育が始まって、約150年。学校教育はこれまで、ずっと変わらず、基本的に次のようなシステムによって運営されてきました。すなわち、「みん

          現代涵養すべき”力”~「変異する力」と、それを支える「探究力」~

          「日本式産業革命モデル」を支えた、日本の「人間関係社会」と「同質性教育」

          本稿の前提 前稿「『日本式産業革命モデル』を超えた、『コーポレーション・ボーダレス』社会へ」は、この1年ほど自身が感じてきたことがいくつか結合し、頭をもたげてきたものを初めて煮詰めてみたものだった。 かなり粗削りの段階でのアウトプットだったため、各論かなり詰める必要があると思っている。 疑問~果たして日本人は「集団性が高い」のか?~ 私が進めたいと思っている議論内容に於いて大きな出発点となっているのは、「日本人はなぜブレークスルー出来ない/しないのか?」という点である。その

          「日本式産業革命モデル」を支えた、日本の「人間関係社会」と「同質性教育」

          「日本式産業革命モデル」を超えた、「コーポレーション・ボーダレス」社会へ

          パラダイムシフトの遅れた日本 私としては、日本に対してかなり焦っている。 正常性バイアスはもちろん各国にあれど、ここまで硬直化した国は珍しいのではないか。 いつから変わってないのかというと、大きく言うと明治時代からではないかと思っている。 変わっていないのは、「日本式産業革命モデル」とでも名付けておく。 「日本式産業革命モデル」 産業革命時代下の工業生産では、生産性は【「単位時間に於ける作業量」×「労働時間」-トラブル】と言える。つまりミスのない一定の作業量を、とにかく殖や

          「日本式産業革命モデル」を超えた、「コーポレーション・ボーダレス」社会へ

          「生/死」、「光/影」を追って~今の表現衝動の核となるもの~

          生/死を感じさせるもの 実質1回目のポストでどうかとも思うのだが、今湧いてきているものはこれ。 直近で「聖歌隊CANTUS」の太田美帆さんとお話する機会があった。 そこで「生と死を感じさせる表現を信頼している」という趣旨(だったと思う。勝手に歪曲していないか心配)を聞いて、深々と腹落ちし、共感した。 死を感じさせるもの 振り返ると、物心ついて以降、惹かれる表現の多くは「死」や「終焉」を感じさせるものだった。 中1~2時期にドハマりした、孔子ととその高弟顔回がテーマの「陋巷に

          「生/死」、「光/影」を追って~今の表現衝動の核となるもの~

          自己紹介と、これから綴っていきたいこと

          ・noteを始めました。 Facebookなりtwitterだと、どうしても向かないタイプの表現衝動に悶々としていたため、足場を移すこととしました。宜しくお願いいたします。 ・自己紹介 36歳、既婚男性です。10年以上教育業界に身を置き、現在は人事系のコンサルをしています。 生まれてから小学校卒業までを沖縄で過ごし、中高を長崎の学校の寮で、浪人・大学を東京でそして社会人以降は大阪に身を置いています。 ・書いていきたいこと ここでは自身が愛するものやこの社会に生きる1人とし

          自己紹介と、これから綴っていきたいこと