見出し画像

「日本式産業革命モデル」を超えた、「コーポレーション・ボーダレス」社会へ

パラダイムシフトの遅れた日本
私としては、日本に対してかなり焦っている。
正常性バイアスはもちろん各国にあれど、ここまで硬直化した国は珍しいのではないか。
いつから変わってないのかというと、大きく言うと明治時代からではないかと思っている。
変わっていないのは、「日本式産業革命モデル」とでも名付けておく。

「日本式産業革命モデル」
産業革命時代下の工業生産では、生産性は【「単位時間に於ける作業量」×「労働時間」-トラブル】と言える。つまりミスのない一定の作業量を、とにかく殖やすことが重要。創造力ではなく、求められるのは「皆と同じことを、同じように」出来ること。
イノベーションではなく「カイゼン」が得意で、かつ忍耐力の塊だった日本には、それが実は非常にハマった。
恐らく「ハマった」からこそ。日本の産業革命モデル社会は輸入元の欧米以上により「純度が高い」とも言える。

「日本式産業革命モデル」の申し子~学校・企業~
単位時間内に、「皆と同じことを、同じように」出来るようにするための場所が、学校である。日本でも、殖産興業と国民皆兵の必要性から学校教育は始まった。
家庭や地域に代わり生産の場となった企業も、まさにこのモデルの申し子である。全員で集まり、皆で同じことを、長時間馬車馬のように働き続ける。「24時間戦えますか」で栄養ドリンクが売れたのは、まだたったの30年前である(一応平成と考えると戦慄が走った)。
その時点までは、「日本式産業革命モデル」は”Japan as NO.1"と称揚された。企業の生産力と、その背景にある勤勉さ(を作り出した教育)はまだ明らかに輝いていた。当時子どもだった私からすると、大人は「ギラギラ」して、学校にはどれだけ殴られ、罵倒されようが行かなければならない引力があった。

「崩壊した」実態と「何も変わらない」制度の乖離
最も瑞著としては1970年、そして90年代に全ゆる形で顕在化したのは、「もはやこのモデルは持たない」ということだった。
企業の国際競争力は地に堕ちた。日本の一人当たり名目GDPは1990年の9位(G20中1位、アメリカより上)だったが、2018年には26位に陥落。
学校をどの指標で測るかは難しいが、日本の若年層の死因の1位は自殺である(G7のうち唯一)。先進国では韓国に次ぐ自殺率の高さである。私はこれこそが最も重要なデータだと考えている。
また、学力に於いても上がっていないことは、様々な調査が証明している。

そりゃあそうだ。もう産業革命・工業生産時代なんてとうの昔であり、その150年前のモデルがうまくいくわけないのだ。

「企業が崩壊する10年(100歩譲って、その始まりの10年)」へ
※本稿では、学校を措いて、企業のみについて言及します
とんでもないことを言うようだが、真剣に日本のこれからにとって大事だと思っている。
もう、「日本式産業革命モデル」は機能していない。その申し子の学校・企業は「制度として」存在しているのみ。だからとっとと離職するんです。
テクノロジーが進展すればするほど、本来的に労働時間は減る。工場用ロボットはもはやホワイトカラーを代替するRPAやAIとなり、通常の「みんなで同じように働く」の必要性はより希薄になる。
むしろ、「誰もあまりしていない、誰も気づいていないことを誰かとは違うやり方でやる」必要性の時代。

もっと言うと、旧来の企業が作る「境界線」、もう世の中的に邪魔なだけではないだろうか。少ないパイを国家間の戦争のように取り合う時代でもなく、共有する仕組みを作る方が勝ち。その点、一般の企業の「垣根」は、風通しが悪過ぎる。その垣根を取っ払っているのがプラットフォーム。
プラットフォームのように、風通しを良くする大企業は残ればいい。あとは高木新平氏の投稿にあるような「サードコミュニティ」を創造したり、小規模だがイノベーティブな「集団」が残ればいい。あとは緩やかに繋がる個人事業主わんさかで良い。

だからこそ、離職率が高いのは実は大歓迎。もっと風通しが良くなれば、企業という枠に縛られずに、もっと個人はその上の「世の中」と関われる。その風通しの良さが解放する可能性に、私は光を見ている。

「コーポレーション・ボーダレス」社会
上記、企業の垣根を取っ払い、風通しが良い社会を「コーポレーション・ボーダレス」とでも呼んでおく。これは働き方改革以上に重要だと考えている。そもそも産業革命モデル下の働き方改革だから、「時間」という過去の遺物で労働を捉えてしまう。「ワークライフバランス」も、本当は概念として旧いと思っている。
目指されるものは、「ワーク」と「ライフ」の境が意識されなくなること。落合陽一が「ワークアズライフ」と呼ぶ概念の方が、目指すべきものだと思う。

まだまだ下書きとして表に出すレベルにないものだと思っているのだが、一旦アウトプットすることで、思考として洗練させていきたい。

画像はsupercar「Futurama」のジャケット。2000年に、未来のパノラマを示した作品。確かに、未だに色褪せない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?