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音楽にまつわる話① 音楽教師になったきっかけ

音楽教師を目指したきっかけ

小学生のころ、苦手な算数の時間は、心はしばしば、
空想の世界を漂っていました。

4年生の時、担任の先生が夏休みの直前、産前休暇に入られました。
その先生は、明るいはきはきとした子どもが好きで、私のように
うじっとした無口の子は、お好みではありませんでした。
「テストだけよくても、発表できないとだめだから。」が口癖。
私は、テストもあまりぱっとはしなかったけれど、、、、

代わりの先生は、学校を出られたばかりの優しいお姉さんのような人。
人吉出身の山下幸子先生というお名前です。
今まで担任の先生の周りに行けなかった子どもたちが、私を含め
先生の机を取り囲み、たわいもないおしゃべりをしました。

ある日、先生が私の手相を見て、
「あなたは、外国に何度も行くわね。」
と言われました。
その当時、一番遠いところは、隣の県のおばあちゃんちだった私は、
「そんなこと、あるのかなあ。」
と思いました。
私の生命線はとても長く、両手とも先が二股に分かれているのです。

その言葉通り、教師になってから、気分転換はもっぱら海外旅行に
なりました。好奇心のおもむくまま、いろんな国を訪ねています。


ある日、歌のテストを兼ねて、一人一人が歌うことになりました。
私は声にまったく自信がありませんでした。その当時、子どもの声は
明るくかわいらしいのが主流で、自分の声は暗く感じ、好きでは
ありませんでした。

でも、先生は私の歌を聴いて、「歌心があるね。」
と、ほめてくださいました。
私には、歌心の意味が分かりません。でも歌+心だから、よっぽど
いいものだと思い、うれしくて空にかけあがりたい気分になりました。

歌った曲は『わかば」です。

わかば
あざやかな みどりよ
あかるい みどりよ
鳥居をくぐり わら屋をかくし
かおる かおる わかばがかおる

文部省唱歌

私は5月生まれなので、この時に歌った「わかば」がいっそう
好きになりました。

帰り道、私はあることに気づきました。
いつも見ている周りの色が、全然違うのです。
うれしさのためか、景色がきらめいていて、葉っぱの色が
濃い緑から、黄緑色に変化しました。
こういう体験は、後にも先にもこの時だけです。

そして私は決めました。
山下先生のように音楽の先生になりたい。
そのためには、苦手な算数もがんばらなくっちゃ。


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