小説「告発」
登場人物等は架空のものです。
僕は高橋勇気。50歳のタワマンの45階に住んでいるオトコだ。昨年みんなが私を知るようになった事件があり、金と影響力を得て、多くの人の知るところになった。
朝新聞の記者ヒカルから取材を受けているところだ。
これまでの人生を振り返りたい。
高校生までは内気な少年であった。勉強はしなかったので、いわゆるEランク高校に進学した。
クラスの多くから、イジメられており、高校生の時のイジリなイジメは酷く、神経症やうつ状態になってしまった。
高校は卒業できたが、うつ状態等の治療で精神科に通うことになった。
家族関係は悪く、姉や両親からは僕のある事情を知らずして、穀潰しだとかいい加減働けとか言われてきた。
そのため、僕は色々なバイトをすることになったが、1日も続かなかった。
理由はあることにより、ピンクのサングラスをしなければ外にでれない状態に追い込まれ、僕は何も悪いことはしていないのに、変質者呼ばわりされることもあった。
大学受験は三浪し、関東圏の某公立大学に合格したが、精神的状態から進学を断念した。
その後、自暴自棄になり、僕はインターネットの世界にのめり込んでいった。
専ら人間関係はインターネット経由だ。
40近くになると誰も相手をしてくれないので、トランスエイジとして、僕は永遠の30歳として活動することになった。
ぼくの悩みは髪が薄いことであり、人と会わないので、スキンヘッドにしていた。
しかし、ある時、メディアがスキンヘッドよりパーマにすべきというメッセージをcmで送ってきた。
僕はなけなしの金を払い、パーマをかけてきた。
とはいえ、僕は自己研鑽に取り組み続けた。
本を読んだり、ブログを書いたりし続けてきた。そう、首謀者らは僕のアイディアに目をつけたのだ。
これが、今日の成功につながる。
40歳のときに、ネットである青年とであった。
翔平という男だ。
翔平は無職であったが、ネット上に沢山の友人がいた。
拓郎という男を紹介してもらった。
翔平とは縁が切れたが、拓郎とよく話したりあったりするようになった。
拓郎は宝石大学の学生で頭がよい人物だった。
その頃、僕のことが日本の中枢部に知れ渡りイタズラに加え影響力を発揮し始めた。
僕の影響力は、メディア、芸能界、政界、財界の方針変更を迫るほどだった。
ぼくは、歌姫キーコのライブで目が合った。その後、キーコは精神的に参って休養期間にはいった。
ユーコから今度は歌詞でメッセージが送られてくるようになった。どうやらぼくに近づきたいようだ。
また、他にも沢山の有名人が千葉の僕に会いに来ていた。
メディアも僕のブログや考えていること、ネットで公開していない保存中のものも含めて、ハッキングしたり、盗聴盗撮したりして僕の手柄を取り上げた。
政界においても、僕の意見を参考に政策が作られた。
財界においても、僕のアイディアを仕入れてそれをビジネスにしていた。
僕には何も実益はなかった。やりがい搾取だ。
IT企業も僕に嫌がらせをして、ボクが活躍することを妨害してきた。
僕がネットで知り合った人はみな、僕が搾取されているという陰謀を話すと去っていった。
このような権力者らによる妨害行為により、僕が成功できないのに、拓郎から色々言うなら結果をだしてから言うべきだという主張への僕の上記の反論は信じられなかった。
たくろうは、決まって、高卒無職職歴なしの引きこもりと僕をバカにしてきた。
僕を家族まで病気扱いするが、僕には妄想などは一切なく、事実であり、アメリカも僕を参考にしているのだ。
こういった被害は、盗聴器等を探す業者や弁護士、警察にも話をしたが相手をしてもらえなかった。みんな、グルだった。
僕が45歳を過ぎた頃、親や姉の僕への当たりが強くなり、就労体験のない引きこもりを立ち直らせる所謂引き出し屋に相談し僕は抵抗し暴れた。
それを不憫に思ったか、引き出し屋から強制連行されることは避けれた。
しかし、さらに孤立した僕は陰謀を告発するためになけなしのお金を払い、インフルエンサーに依頼することにした。
インフルエンサーや今回取材している朝新聞記者とも詳しく、朝テレビ社とも親しい。
僕は思いの丈を話した。
インフルエンサーは納得し、私の話を発信したところたちまち話題の人となり、多くの人に知られることになった。
その後、法曹関係者の中に助けてくれる方がいて、裁判外で和解し、僕を搾取した人や集団から莫大な賠償金と正当な評価を得た。
今、暴露本を執筆中で、僕の半生の暴露ドラマも制作中である。
そう、僕は正しかったのだ。
外では、チュンチュンと雀がないている。
どうやら、朝になったようだ。
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