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【イベントレポート】「ポンコツ」と向き合うのは「編集」か?ーーー三者三地域の取り組みから考える、仕事につながる(かもしれない)地域での「過ごし方」

8月29日(火)に京都府・京丹後市の「まちまち案内所」で「編集領域を編集する〜それいけポンコツ三人組」が開催されました。

こちらは、「さかみじゃの思ってたんと違う」を共に進める坂田真慶さん(京都京丹後)、大見謝さん(鳥取大山)の二人と、上泰寿さん(鹿児島阿久根)をゲストに迎えてのトークイベント。

それぞれの地域で「編集」を軸に活動している3人が東京の「バザール千駄木」のポンコツイベントで出会って以来、6年振りに京丹後に集い、語り合いました。

イベント名にもあるように、今回のトークテーマは「編集」です。雑誌や映像などのメディアの編集に限らない、もっと広い意味での編集の領域について、参加者の声も混ぜながら、どう進んでいくのでしょうか。

会場では鹿児島や鳥取のローカルフードやドリンクが準備された。画像は「みんなの鹿児島案内」として上さんが行商に持っていくこともあるドリンク「ボンタンサイダー

共通点は「地域×編集」な三人組

大見謝さん(左)、上泰寿さん(中央)、坂田真慶さん(右)

グラス片手に乾杯から会がゆるやかにスタート。まずは3人の自己紹介から。

上さん「一言でいえば、情報整理の仕事をしています。個人に対して向き合うっていうところと、それを引き出して整理するっていうやり方でやってます」

そう話すのは上さん。公務員を経て独立し、編集の道へ。最初の1年は、人と向き合う力を鍛えるため、「てまえ」というメディアを立ち上げ、全国を取材して回っていたそう。現在は、発信しない前提のインタビューサービス「はもん~hamon~」や、企業や福祉施設でのヒアリング・社会復帰支援サービスなどを行っています。

上さんが関わるプロジェクト

「地域でどう肩書きを名乗るか」を悩む人もいるなか、テーマの「編集」と一緒に次のように触れました。

上さん「『編集』という言葉を『情報を集めて編み込んでいく』という意味で捉えると、じつは世の中の人みんながやってることだと思うんです。だから、自分も『編集者』って名乗ってるんです。自分の持っている能力と軸を大事にできることだったら何でもやります。っていうか、やってます」

編集は普遍的な行為。雑誌や映像のための多くの人が想像する狭義での「編集」ではなく、広義で意味を捉えた「編集」。この考え方が、この後広がるトークの軸になっていきます。

ゲストの自己紹介が終わると、次は、主催の二人へと続きます。

大見謝さん「TENG(テン)という会社をやっています。TENGの“G”を読むと天狗(テング)が現れるように、地域や人の点と点をつないで、“見えないもの”を見える化するのが役割だと思ってます。というか、活動のほとんどが駄洒落ではあります(笑)」

メディアの編集事業(am事業)だけでなく、多世代の学びづくり(i事業)や地域の拠点づくりなど広い領域で、地域の見える化に取り組んでいるとのこと。

地域の拠点づくりとして、無人駅の使われていないスペースをリノベーションして新たな地域の交流の場に

水木しげるを追っかけて鳥取に移ったやってきた大見謝さんは、その活動のところどころで“妖怪”のエッセンスが散りばめられてます。合同会社TENGの代表として、地域や人を点と点で繋いで線にすることで見えないものを見える化するという活動を行っているそう。大見謝さんも上さん同様、メディアの編集事業(am事業)以外に、多世代の学びづくり(i事業)や、地域の拠点づくりなど広い領域で活動しています。

大見謝さん「ちなみに、個人屋号は“ケケケ”って言います。ハレ(非日常)とケ(日常)のケのことで、日常における働き方とか地域の選択肢を増やしていきたいなぁという思ったのがありまして」

そして、自己紹介のトリを任されたのは坂田さん。

インドネシアでプロサッカー選手を目指していたときの一枚(今よりだいぶハツラツとした表情:本人談)

坂田さん「人間の欲望とか宇宙とか死とか、そういうことをずっと考えてる人間でした(笑)」

「写真で語るサカタ」と称して、20代からの仕事にまつわる写真のみのスライドが展開されていきます。

幼少期から人の物語や海外に興味があり、海外に行って調査をすることで言語や社会について学んできた坂田さん。帰国後は福岡柳川で地域おこし協力隊として活動し、東京での京都への移住コンシェルジュ業務などを行ってきました。そして現在は、「丹後暮らし探求舎」での移住支援や「まちまち案内所」で地域の場づくりを行っています。

坂田さんの軌跡をふり返る三枚の写真では、この間の容姿(主に髪型)の変貌ぶりに笑いが起こる場面も

和やかな雰囲気のもと三人の自己紹介が終わったところで、イベント参加者の自己紹介も行われました。「私もポンコツだなと思って」「お酒飲めるかなと思って」「地域でどんなことをされているのか気になって」性別も年齢も参加理由もバラバラのみなさん。地域おこし協力隊(現役・OB)の方が多いことに驚く声もあがっていました。

「ニート」してたら始まっちゃった「地域ではたらく」

参加者の人となりに触れた後は、さっそく「編集ってなんだろう?」と考えるクロストークへ。

大見謝さん「『バザール千駄木』や『なわのわ』などぼくは場づくりに関わること多いんですけど、死んでるスペースをどうやって生かすかっていうのは、ある意味空間の才能(ポテンシャル)を引き出すことであり、編集(視点での取り組み)なのかなと思ってます」

人に限定せず、場所や物や事の「才能/個性を引き出して世に出す役割」が(広義の)編集だと大見謝さんは言います。

編集を軸にした、それぞれの地域活動の入口はどこにあったのか。3人が東京にいた6年前からの変化をふり返るなかで、語られていきます。

ほぼ同じタイミングで京丹後と大山へ拠点を移した坂田さんと大見謝さん。その地域1年目は、どのように過ごしていたのでしょうか。

坂田さん「やることがなくてニートやってたから、東京や海外から来た友達とひたすら飯を一緒に食ってましたね」

大見謝さん「僕も一年間ニートしてたので、ほぼ同じで仕事せずにアマプラで映画やドラマ観まくったり畑いじったり、たまに近所のじいちゃんたちと酒を飲んだり、暮らしのリハビリってことでだらだら過ごしてました」

ニート生活をしていたというまさかのポンコツな共通点に思わず笑ってしまう二人

そんなポンコツだった状態から、坂田さんは通っていたシェアオフィスでその場の人たちの相談に乗り始め、いつのまにか相談を受けていたら今の仕事につながったそう。

「今思えば、上の年代の人に対して話し合相手になれる、というのが強みだったのかもしれない」と話す坂田さん。以前海外のフィールドワークを通じて自然と身についたスキルが、新たな地域でコミュニケーションに役立ってたとのこと。

それに対して、大見謝さんは今の仕事のきっかけをこう語ります。

大見謝さん「ニートなりにも、家で住み開きを始めたんですけど、やりながら『あ、来てほしくないやついるな』ってことに急に気づいちゃったんですよね(笑)。だけどパブリックな場所だったら受け入れられるなぁと。そこでおもしろい人に会えるようになったらラッキーだし、じゃあまずは自分たちからおもしろそうなこと仕掛けなくちゃってのが今の活動の入口でした」

そうして、地域組織「なわのわ」の立ち上げに関わるようになり、場づくりを進めるなかで、「大見謝は何ができるやつなのか」が見える化され、ちょっとずつ仕事が増え、今の会社が生まれるきっかけになったとか。今まで自分がやってきたことは「人に引っ張られてきたな」という感じがすると大見謝さんは話します。

お二人の共通点は「意図していないものに乗っかってみる」というところ。地域との付き合いは自分の意図していないところから偶然始まることもあるのです。

点でなく線で捉える「取材前後の関係性」

地域で暮らし働くうえで切っても切り離せないのが「関係性」ですが、どのような意識で普段から取り組んでいるのでしょうか。

話はそんな問いを深ぼる展開に。

一つの地域に何度も通うという点では、7年前から兵庫淡路島には毎年通っているとか。また他のプレーヤーがあまりいないエリアを動き回り、足で稼ぐのが上さんの流儀

上さん「距離は違えど、人間関係の築き方って日本中どこも同じなんだなって気づいたんですよね」

前職の東京(出向)時代、上さんは、ローカルでの出会いを求めて各地を回り始めたそう。その時期の意識にあったのは「むやみにたくさんの場所に行くのではなく、一度行った場所に何回も行く」こと。そうすることで関係性が深まっていくことに気づきました。また、それは上さんが役場で働いていた際に学んだ地域の中の人間関係の築き方に似ていたとか。

関係性をしっかりつくるところから始まり、それがゆるやかに仕事にもつながっていく。ただ仕事につながるまでには時間がかかります。そのスローな時間の流れで築き上げた関係性こそが今の上さんの武器となっているようです。

そんな上さんが特に大事にするのは「取材前後の関係性づくり」。取材から関係性が始まるのではなく、信頼関係ができてから取材をお願いする、またその取材をきっかけに今後もさらに関係性を育てていけるように意識しているそう。

また、上さんの関係性づくりは取材が終わった後も続きます。取材後にご飯を一緒に食べに行ったり、別の仕事をお願いしたり、相手によって距離感を測りながら、関わり方を変えているそう。

上さん「時間はかかるけれども、やっぱり今の仕事は関係性を積み上げてきたからこその部分があるなと感じます。関係性という意味でも応援という意味でも、相手を『取材対象として消費しないように』はもちろんですが、可能な範囲で自分がお金を使えるように心がけています」

そんな上さんのマメなやり方を大見謝さんは農業に似てると言葉を添えます。

大見謝さん「そのやり方ってめちゃくちゃ丁寧だなと思ってて、種をまいて何年間も水やりを怠らないみたいなコミュニケーションがあって、僕にはなかなか真似できないからすげえなと思ってます」

この地道な関係性づくりは誰もができるようなことではありません。「ポンコツな自分でも積み上げてきた関係性のおかげで仕事ができている」と上さんは話します。

「場づくりは、編集で、スローメディアづくり」

上さんの話を受け、「地域における物事を動かすスピード」について、大見謝さんは自身の活動をふり返る場面がありました。

クロストークで広がるかもしれない、と準備されたキーワード。「スロー」の話は「時間感覚」をきっかけに

大見謝さん「『なわのわ』の旧保育所を活用した地域の拠点づくりも、6年でやってきたことって詰め詰めでやれば、ぶっちゃけ3年ぐらいでできたなと思うんですよね。でも、急かさずゆっくりスローでやってきたからこそ、関係する人を置いてけぼりにしすぎず、今の形があるなと思う部分も正直あります」

スローな流れに身を任せて急かさずやっていくやり方は「人の性質の生かし方やチームづくりにも繋がる」のだとか。

また、拠点運営をするにあたって「場自体がスローメディアであり、時間をかけてゆっくり人が集まってきたリアルなメディア」だと考えます。

大見謝さん「ぼくの役割は、場に集まる人の『やってみたい』をサポートするだけなんですけど、その人たちにスポットライトが当たる場づくりっていうのはめっちゃ編集だと思ってて。最終的には『よしやってみよう』という空気感とか背中を後押しする企画とかが大事になってくるんですけど」

この一言には大見謝さんにとっての「編集」の意味合いが詰まっていました。

「近所付き合いの延長線上の仕事」と「外貨を稼ぐための仕事」は混ぜるな危険!

途中にちょっとだけ質問コーナー。参加者からこんな声が上がります。

「チームメンバーを増やしたいけど、その人の生活を養っていけるほどの仕事ができるのかだったり、人件費以上に収益をあげていけるのかっていうのを考えたときにどう仕事をつくっていけばいいですか? 全部がスローに進みすぎるとお金がついて来にくいと思うのですが」

この質問に大見謝さんから話が広がります。

大見謝さん「ぼくも答えを模索中ではありますけど、仕事のお金をどこでもらうかっていう市場の話かなと思ってます」

現在受けている地域の仕事を「近所付き合いの延長線上にあるもの」と捉える大見謝さんは、地域内の受託案件ではそれほど稼ぐことはできないと考えているとか。その代わりに、クリエイティブの単価が上がる東京などの地域外の仕事で稼ぎ、そのお金を地域に循環させるよう意識されているそうです。

同様に「自分のいる町での投資回収率はゼロ」だと言う坂田さんは一つの策を話してくださいました。

坂田さん「外貨を稼ぐ会社と地域のことをやる会社を分けたほうがいいと思うんですよね。地域の仕事は短期的に稼ぐことが難しく、本質的な部分を積み上げていくためには長い時間が必要になるはずなんで。そのため、お金をある程度『短期で稼ぐことができる会社』と『長い時間軸の中でお金を稼ぐ会社』に分けるイメージです。ただこの2種類の会社は「混ぜるな危険」という注意点はありますよね(笑)」

地域で仕事をつくり、続けていく。そのために、別の地域のお金の流れを読み、稼ぐ術を見つけることも選択肢の一つ。そうすることで、地域の大事なスローな流れを壊すことなく、進めていける可能性を模索できます。

「自分でつくるチームがコミュニティになり、自分の居場所になる」

トークも終盤に差し掛かり、話題は3人の「地域でのしくじり談」へ。

それぞれのしくじりが語られるなか、坂田さんは「チームづくり」に関するしくじりに触れます。話は地域おこし協力隊時代に遡ります。当時、新規企画を立ち上げて、結構面白い感じになっていたのだけど、離れた後に持続的ではなくなってしまったとか。その原因を坂田さんは振り返ってこう言います。

坂田さん「ゼロから創り上げることはめちゃめちゃ好きなんだけど、そこから運営したり、継続していくためのチームづくりをしたりするっていうことが当時はできなかった。苦手なことも含め、全部自分でやっちゃってたんですよね。全部自分でやってたから、自分が離れると全部が止まっちゃうわけで」

地域おこし協力隊として活動していた頃の坂田さん。そもそも何かを引き出し/活かす「編集」は一人じゃやりにくいからこそ、自然と「チームビルディング」の発想へ

そして、そこからの学びもあったそう。

坂田さんチームをどうつくるのかっていうのが、自分の性質や能力を活かしていくためには一番大事だなとつくづく思ったんです。京丹後では新しい事業をつくりながら、お互いが強みを活かし、苦手をカバーし合って、仕事に面白みが増すようなチームづくりができたらと意識してます」

また、チームをつくることは、仕事にとどまる話ではないようです。

坂田さん「生きるためにも、チームづくりは学んだほうがいいと思うんですよね。どちらかといえば僕は誰かがつくった他のコミュニティに入っていくことが苦手なのもあって、自分でつくるチームがコミュニティになり、自分の居場所になっているのもあって。その居場所がなくなってしまえば生きていけない。自分がより生きやすくなるためにもチームづくりの力をもっと磨いていきたいです」

「ポンコツだから...」とネガティブではなく「ポンコツだからこそ!」とポジティブに自分とまわりの性質を気にしながら、それを活かせるように仕事を進めていく姿勢も3人の共通点だった

できないことや苦手なことがあっても(たとえポンコツであっても)、チームを組むことで、その性質を乗り越えたり、活かすこともできる。そういった人との付き合い方、コミュニケーションにも「編集」の考え方が垣間見れました。

ちなみに最後に見つかった3人の合言葉は「ポンコツに光を!(笑)」でした。

クロストークが終わった後は、雑談タイム。気づきや学びを消化するための参加者も交えたトークはじんわり白熱。夜も深くなり、イベントは終了となりました。

クロストークの雑談タイム、今日の学びや気になっていることなど、自由に飲んだり食べたり話したり

広がる編集領域、何をどう編み込むかは自分次第

「編集」というキーワードから考える地域や仕事。その中でそれぞれが考える編集の領域や仕方が見えてきました。

これまでの私にとって、編集は文章や映像に関する作業でしかありませんでした。しかし、今回ゲスト三人のそれぞれの考え方を聞き、自分の中の編集の領域が広がったように感じます。

その広がった領域をのぞいてみると、私自身も実は気づかぬうちにいろんな編集をしてきているのだと実感しました。

私は今年の春から大学生になり1人暮らしを始めました。最初は部屋に何もなく、言ってしまえば、入ったばかりの部屋は死んだ空間も同然でした。しかし、今ではベッドや机、お気に入りのクッション、一目ぼれした緑のラグなどが置かれた居心地の良い空間になっています。

自分の好きな家具を置き、死んだも同然の部屋を居心地の良い空間に作り替える。これも一つの編集なのかもしれません。

そして私は、編集は自分の好きなようにできることに気がつきました。先に壁紙を変えるもよし、まずは理想の部屋をリサーチするのもよし。編集に正解はありません。編集者の数だけ編集のやり方があるのだと思います。私もこれから自分なりの編集の仕方を見つけていきたいです。

また、編集は人と人、人と地域などあらゆる間に立ってつなぐ仕事でもあります。地域はこれからも地域の編集者によって繋がりを生み続け、新たな出会いをくれる場であってほしいです。

自分にとっての編集の領域が広がった、特別な夜になりました。

ここまで読んでくださったみなさんの編集領域に少しでも変化がありますよう。

「地域で何か活動してみたい」「もっと編集について考えてみたい」と思った方は、ぜひ「さかみじゃの思ってたんと違う」も併せて聞いてみてください。

photo: Masumi Terai、あゆな 
edit: 大見謝

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