「底辺グループ」村社会の恐怖

よくある話。
脱サラした都会人が家族連れで田舎の村に引っ越す。
そこで村社会による監視や序列、干渉によってひどい仕打ちを受ける。

或いは、地元でイキってた不良グループが土地から離れられず、
そのまま惨めな井の中の蛙のチンピラ厄介オヤジと化す。

価値観を更新しないままずっと同じ人間関係を続けると、
人は精神年齢が低い子供のまま、異常なコミュニティを維持する。
そこでのみ通用するヒエラルキー、まるでカルト宗教の様な狂気だ。
彼等は親元地元、成人しても子供の位置にいる。
関係性が固定され、永久にやんちゃのつもりで立ち回る。

水は流れずに留まると澱んでゆくものであり、現実から取り残されていく。

地域住民は余所者に対し、彼等の常識を押し付ける。
村においては彼等が多数派であり、法だからだ。
余所者は最下層に入れられ、序列と価値観を強要される。
平然とプライバシーに踏み込んで、詮索し、支配する。
まるで動物園のサル山である。

彼等に関わるべきではない。ヤバい。

各地域、土地土地で我が物顔で生活している土着の連中は、
その澱んだ世界観がそのまま余所でも通用すると錯覚している。

じゃりん子チエの人間関係は村の中では成り立つが、外では通用しない。
彼等が外部に出るなら、あのままでは通用しないのだ。
譲歩するのは本人達であって、彼等に世間は寄せてはくれない。
巨大な外の世界では村での地位は役に立たない。
親元地元の外因的なアディンティティは崩壊し、
個人個人が本当の自分自身で勝負しなければならない。
どんなに感情荒げても、誰も無条件では認めてくれないのだ。

ところがこの村の力学ごと、実社会に持ち込んでくる連中がいる。
人が実社会で築き上げた信用の上に、
親元地元のヒエラルキーをそのまま載せてこようとする。
「コイツより俺の方が偉いんだ」と、図々しくも当り前の様に。

この辺の理解力の無さ、想像力の無さ。怖ろしい。
まさかと思った。常軌を逸している。

余所者に対する地元民の優位性を、
人の社会生活にそのままトッピングしてこようとする。
他人を都合よく一方的に世渡りのツールにする。
彼等は公私混同し、全てを壊し、パニックになった後逃げ出した。
全ての責任を人に押し付けて。

あんな連中がいるとは思いもしなかった。
本当の馬鹿というのは手に負えない。

これが自分の教訓である。誰か役立てて欲しい。
この途方もない損失を誰かのメリットに変えて欲しい。

そうすれば少しだけ報われる。

おしまい

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