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朝ドラが観られる幸せ

リモートワークになってから、朝ドラを毎日続けて観ることができています。これはずっと味わえなかった、ちょっとした幸せです。

朝の8時に家にいることは永い間なかったので、私にとっては画期的な事なのです。録画すればいい事ですし再放送を観るって手もあるのですが、そこまでの気持ちがなかったのは、自分次第ではありますね。

4月から始まった『虎に翼』も前作の『ブギウギ』も『働く女性』という部分が大きくて、注目しています。あたりまえですが、今なんかより、ずっと厳しい。

私は幸い、健康にも職場にも恵まれて、子供たちも丈夫だったので、働き続けることができていますが、母の事を思いました。

昭和13年 寅年生まれ
しかも祖父母の都合で、上海生まれです。
両親と姉と双子の弟と一緒に3歳ごろ日本に戻ったようですが、その後にお姉さんが重い病気にかかったので、家事の負担も大きかったようなのです。時代背景もあるので、辛い生活だったのではないかと思います。


思い返せば、母から直接は嘆きの声を聴いたことはないのです。口の重い人だからか、気が強いのか、言っても仕方ないとあきらめているのか、愚痴はこぼさない。泣き言も言わない。古い話は、叔母から教えてもらいました。

 「ケッセラッセラ~ なるように~なる~ ♪」

って昔、よく歌っていました。

ただ、口が悪いので、ビックリするようなことは言います。
ここには書けないなぁ 笑

唯一、書けるとすれば...
私の大切な愛しいネコ君に
「どけ!」「じゃま!」
なんて言うので、「なにを!」って思います。

母自身も、母のお姉さんとは別の種類の病気をして、せっかく就職した大手化粧品メーカーを半年で退職したそうで、それがなかったら結婚せずに化粧品店を開きたかったようなので、私は生まれないことになりますね。


父は
「行き遅れをもらってやった」
なんて言ってましたが、実のところ惚れた弱みだったんだろうと思います。

父の商売の、看板おかあちゃんとして働き者だったのですが、またもやの病気で、てんかん発作を起こすようになります。私が中学生の頃。
脳波や血液の検査をしても原因は分からないまま。

本人には発作の記憶はなくても、発作後は頭の中にモヤがかかったようになったり、体がだるくなる。発作の状況によっては、窒息したり、転倒したりで命に危険があるから、発作を起こさないように薬を飲む、すると副作用で、とにかく眠い。

このことは、最近また発作が起きて薬を飲むようになったから分かった事です。当時は中学生で両親とは別々に暮らしていた私は、全く理解していませんでした。

自分の体が、思うように動かせないって、本人の悔しさは、強かったと思うのです。早々に諦めてしまったのかもと思うのです。


それが分かっていても、ずっと苦手なままの母ですが、静かに思えるようになったのは、noteに出逢えたおかげだと思います。色々な立場のみなさんの記事を読ませていただけるのと、私も、心の中を書くことができるようになったので、感情の整理整頓をしているように思います。

今の母を世話できるのは私しかいないので、息子やケアマネさんはじめ介護関係の方々に助けてもらいながら、私自身が元気になれることをたくさんして、我が家の太陽でいることが一番の目標です。


朝ドラ『虎に翼』のヒロインの
「はて?」
というセリフが出ると、思わず笑ってしまいます。
母とおなじ寅年生まれの、強い女性の話なので、とても楽しみです。






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