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美しい振る舞いは想像力から

この時期になると思い出すことがあります。

もう何年も前のことです。

昔から年末挨拶周りは日本のサラリーマン社会の風物詩。
当時の私たちも毎日連日あちらへこちらへとクライアントのもとへ出っ張る日々が続いていました。

挨拶だけでその1か月の仕事が成り立っていたなんて、、、
今じゃ、ありえないのでは。

そんな折、ある事件が全国ニュースで流れました。

恐喝事件。

容疑者はなんとうちの会社の社員。
見てびっくり!
容疑者が勤める会社名が出ることにも驚いたっけなぁ。

会社はあちこちに支店があって一部地域に工場もあるので、その犯罪をした人が誰なのかは私の周りは誰も知らなかった。

まぁ、それは置いといて。

そこで私が疑問に感じたことがある。

うーーん、今でもやっぱりそう思ってしまうからこうしてnoteに書いている。

それは悪質な事件によって社名が公表されたにも関わらず、翌朝は何ごともなかったかのように普段通り社名が入った手提げ袋を片手にカレンダーを配り歩く。。。
 
この行動に対して、です。

私はその週の挨拶周りは先輩と相談し、全て中止にしました。
予定していたクライアントにはお詫びして、カレンダーは郵送に切り替えたり。

その時に上司や役員から注意事項やコメントが何もないことを不思議に感じたもの。

被害者のご本人や身内の方々から見たらどう思うだろう、社名を見るだけで怒りが沸いてくるのではないか?

ニュースを知っているクライアントのもとにそこの会社員が年末挨拶でカレンダーや手帳を持ってくる。
『今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします!』なんて言われたらどんな顔を返せるんだろう?

ましてやニュースを見た人が全国に大勢いる。
その人たちが街でその社名入りの手提げ袋で挨拶周りをしている社員の様子を見かけたら、どう感じるだろう?

ライバル会社が見ていたら、ここぞとばかりに悪評を焚きつけるネタにしやしないかな?

と、年末になるとこんなように思い出してはモヤモヤしてました。

そこで先日、私はそのモヤッと感解消の答えを見つけたのです。


『美しきインタラクション』

ほたかえりなさんのご投稿です。

是非ご紹介したいので、私が特に強く惹かれた文章を引用いたします。

インタラクションとは【inter/相互に】と【action/作用】からなる造語。
基本的には〈人が何らかのアクションを起こした際、相手側のシステム・機器がそのアクションへのレスポンスをする〉という意味を持つ。
自動ドアの前に人が立つとドアが開く、スイッチを入れると電気がつく、キーを回すとエンジンがかかる等。
公共の場で身勝手な振る舞いをすることは、他人に対する思いやり、人がそれをどう受け取るか、その結果周囲がどんな迷惑を被るかが見えていない想像力の不足であり、それは言い換えればインタラクションの不足以外の何ものでもない。
周囲に目をやり心を配る「センサーの欠如」であり、人や世界との関係性において何が美的か、どのような振る舞いが美しいかを重視するという感覚と同じ。

ほたかえりなさん「美しきインタラクション」より

この記事を拝読し、私の長年どんよりしていた思いを一気に吹き飛ばしてくれました。
(ほたかえりなさん、ありがとうございます!)

事件を起こしニュースにもなった人と同じ会社の人間がとる行動として、何が正解で不正解なのかを知りたい。
そうではないんです。


私は今、周りの人たちの優しさに加えて表情豊かな四季や自然の奥深さに触れることで「自分は生かされているんだなぁ。」という実感があります。

(noteを通じて久露見庵さん師匠からいただいたお言葉も沁みています)

こうして私たちは社会や自然など様々な関係性のもとで生きています。
それらを想像していくことで美しくて知的な所作だったり優しくて温かい思いやりが生まれると思うの。

この記事を読み、また何度も読み返してみて、つくづくそう感じる。

時代も社会もAIの台頭もあったりと、これだけ世界が大きく変わってもそこは変わらないでしょ。


いつも年末に感じていたモヤモヤ。
この年の瀬、ほたかえりなさんのご投稿で一掃できたことは「心の大掃除」とでも言いましょうか。

とても気持ち良い清々しい記事に出会えました。

ありがとうございました♪♪

あとは、実家と自宅の大掃除が残っています。(泣)

タイトル写真は今日の東京の朝空です。
雲を突き差す金色の陽光、その左に飛行機が小さく小さく見えます。


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