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「樋水の流布」 第三話

 大学の三年生から、私は、竜ヶ崎先生の竜舌庵に移り住むことになった。条件としては、大学には、そのまま、きちっと通い続け、必ず、卒業すること。門下生として、必要な家の中の仕事は、全て取り組みながら、覚えていくこと。そんなわけで、家の仕事は、人数割りなので、私が入ることで、今後は、一人頭が、楽になるそうだ。

 その前に、私は、先生から「書庫の掃除」を仰せ遣っている。それが済むまでは、それが仕事として、優先となる。大学と、その作業が、中心の生活が始まった。その実、学校は通いが、少し近くなった。門下生の取り纏めは、例の渡会だった。買い物や、渉外的なことも、やっている。先生のスケジュール管理という、秘書的な役割もあるが、自身の作品の執筆にも、当然、取り組んでいる。今となっては、そっちでもいいか、とか言っているが、デビュー作は、御伽屋文学賞の新人賞をもらっている人だ。門下生は、渡会の他に、三人おり、私が入って、合計五人ということになる。

 実は、数年前、先生は、奥様を月鬼症候群で亡くされていた。私は、そのことは、全く知らず、驚いた。この日はまず、亡くなられた奥様にもご挨拶をしたいと言ったら、お線香を上げさせてもらうことができた。写真を見ると、綺麗な方だった。仏壇も毎日、綺麗にされているようで、これは、担当がいて、武内という若手が行っているという。聞くと、最後まで、先生は、奥様の看病をしていたそうだ。それを、補佐的に手伝っていたのが、彼なのだという。一時期、先生の新作が出ないことがあり、その頃が、奥様の闘病の山だったのだそうだ。あまり、ひけらかす話でもないから、この辺りは、自然に、そのような形となっていたらしい。

 つまりは、門下生が家のことをやる。先生に申し遣ったことを熟しながら、それ以外の時間は自由、つまりは、執筆や取材という、作品作りの個々人の時間となる。

 まずは、掃除道具をもらい、私は掃除を始めた。大学に通いながらとなるので、一ヶ月で目途をつける予定だった。それから、自分の家具を持ち込む。アパートの解約は、それからだ。それまでは、布団と着替えのみ持ち込み、部屋の角に置いていた。少し、上の方に、明り取りの嵌め殺しの窓があるぐらいで、薄暗い、じめっとした部屋だったが、妙に、私は気に入った。秘密基地のような妖しさがある、そんな感じが良かった。怖いとは思わなかった。

 部屋は、門下生一人ずつに与えられているという。自由ではあるが、鍵はかかる。しばらくは、知らなかったが、私の部屋は、他の門下生は入室厳禁だった。まあ、女性だったからなのだろうが、大概、用向きで部屋に来ても、彼らは廊下で、それを済ませた。大概が、先生からの伝言や、仕事のことだった。外部の者は、基本的に、門下生の居留部分には、立ち入りは禁止だった。編集者など、仕事の関係者は、応接室か、先生の仕事部屋のみに通された。

・・・・・・・・・

 初めての夕食となった。能福のうふくという者が、食事の担当をしていた。鍋のメニューだった。配膳を手伝う。メンバー、それぞれが自己紹介をする。私を見て、女の子がいると、食卓が華やぐと、調子づいたのが、寛算かんざんだった。三十歳になるという。近くの安楽寺の跡取り息子なのだという。今日は、たまたま、こちらに来ているらしい。先生の熱烈なファンで、不思議と気に入られ、作品も見てもらっているという体だ。もう一人が、池田だった。ちらりとこちらを見て、頭を下げた。物静かに、鍋の灰汁をとっている。一度、四十過ぎで、所帯を持って、ここを出たが、鳴かず飛ばずの作家志望の中年は、昨年、離婚したそうだ。そして、舞い戻って来たという。すると、常に、ここに居留しているのが、纏め役の渡会、食事担当の能福、若手の武内、年長の池田の四人ということになる。

 昔の時代の香りのする食堂だった。テーブルが設えられ、真ん中に、鍋がコンロに置かれている。

「能福は、相撲取りに、推薦されたんだよな、昔」
「いやあ、身体だけだよ」
「こいつ、これでね、綺麗な字を書くんだ」
「そうなんですか?」
宿祢すくね、ちょっと、そっちの白瀧、入れてくれ」
「はい」

 宿祢って、武内宿祢のことかな・・・?渾名なんだね。きっと。武内は、28歳になるという。

「遠慮しないで、食べなさい。流布」

 先生から、声がかかった。一応、席はこの家に来た順に、先生の両隣から順に、下座に着くというきまりらしい。寛算は、いつも末席で、私は、その向かい側になった。

「いいな、やっぱり、流布さんがいるから、より美味い」
「気を付けて、流布さん、寛算は生臭い」

 寛算の言葉に、能福がゆっくりした口調で、笑いながら、声をかける。

「はい、これ、先生、どうぞ」
「ああ、いいよ。奥から、あげなさい」
「・・・どうぞ」

 お椀にたっぷりとよそられた、鍋の具がやってきた。渡会から、池田に渡り、隣の私の席においてくれた。

「頂きます」
「どうぞ」
「美味いよ、能福。料理屋にいたから」

 色々な形と、タイミングで、それぞれのメンバーのスペックを知らされる、そんな賑やかな夕食となった。朝食と夕食は、在室している者は、必ず、同席することになっているらしい。昼食は、自由に台所を使ってよいのだ。冷蔵庫を覗くと、記名のある食品があり、何やら、微笑ましく、それが物珍しく、つい、笑ってしまった。その後、片づけを、率先してさせてもらった。先生は、食後、台所を覗かれた。

「いいですね。やはり、女性が水仕事をしている姿は。では、部屋に戻ります」

 一同は、手を止めて、頭を下げた。慌てて、私も手を止め、それを真似た。

 皆、先生のいらっしゃる時とも、特に、態度を変えることなく、それぞれが良い人たちなのだということが、よく解った。和を乱そうという人もいないし、少し、冗談を言い合ったりしているが、大概が、用が済むと、それぞれの私室に戻った。それぞれが、創作に必要なことをしているのだろう。遅くまで、灯りがついている部屋もあれば、すぐ消える部屋もある。そんな感じだ。

 実は、私の部屋の隣に、小さな風呂の設えがあった。昔、奥様用に作ったものなのだそうだ。それを使うように言われている。綺麗なままで、あまり、お使いにならない内に、病床についてしまったそうだ。専用のお風呂なので、管理は自分でする。トイレも隣についている。恵まれている。部屋こそ、妖しいが、水回りが個人の環境として、許されている。後、洗濯機を持ち込むことが許されたので、やはり、その管理も、自分でできることになった。ちなみに、男性諸氏は、居室が隣接で、その辺りの設備も共同だという。私の部屋も、先生と同じく、玄関からは、一番遠いが、自分の領域が許されているので、気楽ではあった。その水周りには、部屋から直接、出入りできるようになっていた。

 こうして、私の竜舌庵での暮らしが始まった。大学は、三年目で、講義に行き、帰ってから、最初の一月は、部屋の掃除となる。古い本、新聞、色々なものが出てきた。まずは、埃が凄いので、掃除機をかける。ここは、どうやら、地階に当たるらしく、窓がない。しかし、空気清浄機と、エアコンはついている。全開にしても、構わないから、と、渡会が言った。廊下側に面している外の庭が、少し地面を掘り下げたようになっているが、ドアを開け、そこから、空気を入れることはできた。廊下に本を出す。埃を掃除機で吸い、堅く絞った雑巾で、周囲を拭いて、分類別にした。部屋に入って、左側に当たる、北側の壁の側面は、その実、本棚になっている。びっしりと、様々な本が収納されているが、それぞれを、一つずつ出して、棚毎に整理をしていくことにした。辞典、図鑑、様々なものがある。地図や歴史書、外国語で書かれた本もあった。興味深いものもあり、これは、創作のヒントや、資料となるものだろうと思った。そして、古いものばかりだった。本棚だが、もしも、地震が来たら、大変なことになるなと思った。これが全部、崩れて来たら・・・しかし、良く見ると、最初、気づかなかったが、引き出す形の扉が、棚の両サイドに隠されており、それをまず、手前に引き出すと、その実、観音開きの扉となる。そんな風に設えられた本棚が、八つもあった。こんな設えは、余程の凝り性で、本好きだ。先生のお父様も、確か、学者だったと、そんな来歴だった気がする。だからか・・・とか、思った。いつか、その話も聴いてみようと思いながら、片づけた。

 そして、その本棚の一番上の壁の中央に、扉を見つけた。これは、なんだろうか?こんな所にあるのは、もしかしたら、非常口で、外に出られるのかな、とか、また憶測する。思えば、こんなに不思議で面白い、蔵というか、納戸みたいな書庫というか、凝った作りが、また、私は、甚く、気に入った。これは、やはり、秘密基地の扉の一つみたいに、感じていた。本棚に組み込まれるように、取り出せる梯子があり、それを昇って、ドアノブに触れるが、そのドアは、決して、空かなかった。重い扉だ。・・・そう、それは、先生の部屋の観音開きの扉と、同じ設えのものだった。

・・・・・・・・・

 部屋が片付いたので、先生に報告すると、見に来てくださった。

「ああ、成程、とても綺麗だ。引越しの日は、渡会に手伝ってもらいなさい」
「はい」
「後ね、必要なものは見ての通り、机もあるし、古いものだが、良いものに間違えのないものだからね、タンスとかも使っていいよ。持ち込んでも構わないが、まあ、有効活用して」
「はい」
「それから、ちょっと、聞いてた件だけど・・・」

 先生には、少し、相談する形で、この話はしていた。

「自由だけど、ここに連れてくることはできないのは、解ってるよね?」
「あ、すみません。・・・あの後、話が拗|《こじ》れて、意見が合わなくなってしまって、結局、こちらから、お別れを申し出て・・・」
「えー・・・そんな、いいの?それで?」
「はい、もう、いいんです」
「素敵な彼氏だったのにね」

 会ったことないのに、先生。あー、文章の中で、そうか・・・。

「・・・んー、もう、いいんです」
「そう。君が決めたならば、仕方ないね、こちらの言うことではないね」

 ここに移り住むことに、恵一先輩は、断固、反対した。ならば、逆に、どうせなら、一緒に住まないか、とまで言われていた。喧嘩しながら、彼は、私にプロポーズをした。下手糞だな、と思った。なんで、こんなに拗れた時に、そんな大事なこと、言い出すんだろう。そして、最も、残酷な形で、私は、彼を振ってしまったのだ。まだ、こっちだって、学生だし、先輩だって、勤め始めたばかりだし。そう言うと、まだ学生なのに、中年作家の家に転がり込んで、と、悪態をつかれた。一番、カッコ悪い、けいちゃんの姿を見ることになった。最低のお別れをした。本当は、お互い、好きだったからこそ、そんな風に、ダメになったのかもしれない。その実、彼は、第一希望の東教図書には入れずに、結局、あまり、気が進まなかった、香蘭舎に合格し、採用され、勤めることに決まっていた。けいちゃんのこと考えると、ついて居てあげなきゃいけなかったのかもしれないけど・・・。私は、こちらに来て、小説を書くことを選んだのだ。

・・・・・・・・・

 それからは、他の門下生に教わり、竜舌庵での家の仕事に、まず、専念するようにした。初めの頃は、大学の課題と、それしかできなかったのは、事実だが、そんな中でも、着想は、不思議と浮かんできたので、よく書きつけをしていた。課題より、そっちがやりたいぐらいのこともあった。寝る間を惜しんで、PCにプロットを打った。少し、本文の触りも書いてみる。半年ぐらいは、そんな粗いことをして過ごした。

 先生からは、生活に慣れること、大学を無事卒業することを目標にして、余裕が出たら、まずは、親御さんに許可を取ってきなさい、と言われた。この半年は、仮です、と。そして、夏休みを利用して、少しの間、里帰りをして、両親に、小説家になりたい旨を伝えた。

 今時珍しい、住み込みの門下生の制度だが、大事にしてもらえてること、女性一人だからと言って、怖いことも、変なこともないと伝えた。母は、その実、恵一先輩と面識があった。一度、実家に紹介がてら、遊びに連れて行っていたので、優等生の彼を気に入っていた母は嘆いた。将来の解らない道よりも、女性としての幸せを選べた筈なのに・・・となじられた。恵一先輩から、プロポーズされたことは言わないでおいた。竜ヶ崎先生を昔から、私が信奉していたことは、父が知っていた。父も竜ヶ崎先生の、ドラマ化された剣客シリーズが、気に入っていたので、案外、母よりも、父に快諾してもらえたのが、拍子抜けだった。父が許したので、母も半ば諦めるように「御伽屋文学賞とれるぐらいになってね」と言ってくれた。

 両親の許可を得て、正式に、先生から、門下生としてのお許しを頂いた。そろそろ、生活に慣れたのなら、書いてみなさい、と言われた。畸神や、月鬼などの作品紛いのものを何回か、先生に見せた。頷いて、ご覧になるが、君らしさが出ていない、の一点張りで返された。

「好きなことを書くのはいい。是非、やってほしい。でも、君らしさが足りない」

 作品まがい、と言ったが、本当に、紛いだったのだと、今なら、よく解ることだった。

・・・・・・・・・

 私が、大学を卒業して、すぐの頃、香蘭舎から、竜舌庵に、企画が持ち込まれた。それは、竜ヶ崎先生の作品の解説とレビューを、門下生がするものだった。誰が、こんな企画をしたんだろうか?面白そうではあるが・・・と、先生が呟いた。若手の編集者が企画提案したらしい。その提案者が担当となって、竜舌庵に訪れた。最初は、先生と渡会が、その編集者と会うことになった。企画意図と進め方によっては、やっても構わない、ということを、先生は、その編集者に返事をした。私は、棒茶を淹れた。彼は、中野の水羊羹を持ってきていた。

「はじめまして、香蘭舎の、今回の企画の担当となりました。親見ちかみ恵一です」

 スーツを来た彼は、立派な社会人という感じになっていた。私は、ああ、来たんだな、と思った。なんか、彼なら、こんなことしそうだ、と思った。様子を見に来たわけでも、もう、ないだろうけれど。・・・と、不思議と驚くことなく、彼と対面していた。

「こちらを、先生の大好物と、お聞きしておりまして」
「はい、ありがとうございます」
「女性のお弟子さんはとらない、と伺ってましたが・・・」
「そんなことはありませんよ。いいと思ったら、男も女も関係はありませんからね」

 先生が坦々と仰った。私は、頭を下げて、応接室を出た。その時、渡会が追いかけてきた。

「流布さん、ちょっと、戻って」
「あ、はい」

 応接室に戻り、ソファに座るように、と、渡会に言われた。

「今回、弊社で、先生の単行本を、新しいカバーで増刷する予定です。全てのシリーズを一新することになっています。それは・・・」
「ええ、君の前任の方かな、芝崎さんと打ち合わせしていた通りで」
「ありがとうございます。それに併せて、作品の解説とレビューを、渡会さんを始めとしたお弟子さんの視点からして頂く、小冊子のようなものを考えておりまして」
「ああ、聞きましたよ。その件ですね。悪くないと思いますよ。得意がいますから」
「そうですか。是非、御願いしたいのですが」
「まあ、僕の作品は、女性から、嫌われがちでね。暗いとか、渋すぎる、とか、言われててね。女性に解り易くね、手解きして、理解してもらえるような形でね、やれるといいなと思って」

 先生は、私を見る。
 先生、解ってないと思いますが、ちなみに、彼が、彼です。

「えーと、こちらが、先程、お話のあった、お弟子さんの、女流作家の卵の方、ですね?」
「初めまして、樋水流布と申します」
「香蘭舎の企画部所属ですが、今回は、こちらで責任編集となるので、僭越ですが、担当となります。親見恵一です。よろしくお願いします」
「よろしくお願い致します」
「初仕事になるのかな、決まったな、流布」
「あ、そうなんですか?これ」
「そうだよ。仕事だよ」

 涼しい顔ができるようになったんだね。先輩。良かった。これは、お仕事と割り切ってね。

「えーと、樋水流布さん、これはペンネーム、ですか?」
「本名ですが、そのまま、使っていく予定です」
「そうですか。良いお名前ですね。珍しい感じのお名前なので、読者に憶えてもらいやすいかと思いますね」
「あれかな、キラキラネームみたいだよねえ」
「ああ、見る方によっては、そんな感じかもしれませんね」

 感じの良い担当さんだ。そういう風に、先生は感じているんだろうな・・・。

「ああ、済まないんだけど、流布、この後、白樺社の担当が、打ち合わせに来るんだ。それは、僕の仕事場に通すから、ここで打ち合わせ続けてくれ。まあ、こちらは、僕は書かないでいいんだよな。じゃあ、親見君だっけ?流布のこと、よろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ、よろしくお願い致します」

 彼は、先生が立ち上がると、頭を最敬礼で下げて、見送っていた。大物作家ってことだよね。やっぱり。竜ヶ崎先生って。

 先生が退室されると、彼は、座り直して、初めて、私と目を合わせた。

                             ~つづく~


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