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声を

 僕のお父さんとお母さんは仲が悪い。毎晩のように喧嘩をしている。居間から響いてくる怒鳴り声は黒いモヤを引き連れて僕の部屋に留まり大きな塊になる。僕はそれが怖いから布団に潜って耳を塞ぐ。そのまま怒鳴り声が聞こえなくなるまで僕の体は固まって動いてくれないんだ。

 誤解しないで欲しいんだけど、お父さんもお母さんも僕には凄く優しい。僕はお父さんのこともお母さんのことも大好きだ。だから大好きな2人が喧嘩するのはとっても悲しい。

 お父さんとお母さんの怒鳴り声に混じってる黒いモヤ。僕の部屋で塊になる黒いモヤ。きっとアレが2人に喧嘩をさせているんだと思う。お父さんとお母さんは悪くない。あの黒いモヤさえ無くなれば2人は仲良しになってくれるはず。でも小学生の僕にはどうすることもできない…。
 
 
 
  
 学校からの帰り道。家に近付くほどランドセルが重たくなるから、つい通学路から逸れて寄り道をしてしまう。2人のことを考えながら歩いていたから気が付くと随分遠くまで来てしまっていた。

 そこは町外れの丘の上。目の前には大きく古めかしい建物があった。

「こんな所にこんな大きな建物があったんだ。何の建物だろう。病院のような、教会のような…」
 
 よく見ると今はあまり使われてないようにも見える。庭の草もボーボーだ。夜に来たら肝試しにはもってこいかもしれない。

 外門をくぐってすぐの所にベンチが置いてある。遠くまで歩いたことだし、ちょっと一休みさせて貰おうかな。誰もいなさそうだし。

 ベンチからは町が一望できた。きれいな景色だ。しばらくぼんやりとそれを眺めていたが、気付いたら頭の右と左からお父さんとお母さんが現れて昨日の喧嘩の続きをしていた。

「ハァ…」

 僕の口が自然と大きな溜め息を産み出した時だった。

「私の研究所のベンチで知らない少年が溜め息をつく。はて、これは?」

 驚いて振り向くと、すぐ後ろに目がギョロリとしたおじさんが立っていた。

「…! ご、ごめんなさい、勝手に入っちゃって…」

「なに構わないよ。ここは眺めが良いからね」

 おじさんは怒っている様子ではなく腕を組み何か考えているようだった。よく見るとこのおじさん白衣を着ている。それにさっき研究所って言った?

「おじさん、ここ研究所なの? なんの研究をしているの?」

「まぁ…。色々だな」

 僕はもしかしたらと淡い期待を抱き、おじさんにお父さんお母さんのこと、黒いモヤのことを一気に吐きだした。

「なるほど、黒いモヤ…。少し待っていなさい」

 そう告げたおじさんは建物に入ると15分程で何かを手に戻ってきた。それは白いメガホンのようなものだった。

「これは私が発明したものだよ」

「発明?」

「ふふっ。これは君の声を白いモヤに変える発明品。想いが強ければ強いほど大きなモヤになる。このメガホンでお父さんとお母さんに君の気持ちをぶつけるんだ。白いモヤで2人の中の黒いモヤを中和させるのさ。代金はいらない。君にあげるよ」

 そのメガホンはまるで厚紙のような素材から急ごしらえで作ったような物であった。

「これ、本当にそんな効果があるの?」

「会ったばかりで何だが信用して貰うしかないな。後は君にそれを使う勇気があるかどうかだ」

 おじさんの言う通りさっき会ったばかりだけど…。100%信用してる訳ではないけど…。何と言うか今の状況を変えるきっかけを貰ったような気がした。

「わかった…。やってみるよ。ありがとうおじさん」

 僕はメガホンを握り締め、少しだけ軽くなったランドセルを背負った。
 
 
 
 
 夕食を終え部屋で宿題をしていると、今日も2人の怒鳴り声が聞こえてきた。ドアの隙間から黒いモヤがズルリズルリと入ってくる。いつもなら布団に逃げ込む所だけれど今日の僕には武器がある。メガホンを手に僕は力強く自分の部屋のドアを開けた。

 黒いモヤがなだれ込み僕の足にまとわりつく。1歩1歩が居間に近付くほどに重たくなる。けれども僕は諦めない。黒いモヤを倒すんだ。このメガホンで。

 居間のドアノブに手を掛け勢いよく開け放った。2人が驚いた顔でこちらを振り向く。全身が氷のように冷たいが手は汗でビッショリだ。堪えきれずに涙が溢れる。震える手でメガホンを口に当て、思いきり息を吸い込み、お腹の奥の、奥の、奥の方から声を絞りだした。

「お父さん! お母さん! もう喧嘩は止めて! 僕やだよー! 仲良くしてよーーーーーー・・・・・・
 
 
 
 
 
・・・・・・「あの出来事がなければ僕は今の仕事に就いてないかもなぁ。懐かしいですね、博士」

 AI犬チョコの毛繕いをしていた博士はこちらを振り返った。

「うむ。ところで折橋君、ご両親はご健在かの?」

「ええ、お陰様で。あれから一度も喧嘩することなく近所でも有名なおしどり夫婦です」

「効果覿面じゃった。ということか」

「それはそうなんですが…。あの時、僕目をつぶっていたんで白いモヤを見てないんですよね。あれからずっと思っていたことなのですが…。あのメガホンは本当に発明品だったのですか? 只の紙のメガホンだったんじゃ…」

 良い機会であったので積年の疑問をぶつけてみた。けれども博士はニヤニヤしながらチョコの毛繕いをして何も答えてはくれなかった。
 
 
 
 
▶次頁 赤いスープ

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