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緑女

「根拠はあるのか」
「栄養が足りてないからそういう偏狭な考えになる」
「やるなら1人でやれ。押し付けるな」

 彼等の言い分は大抵こうだ。ネット上での言い争いは日常茶飯事。顔も知らない人からの誹謗中傷はもう慣れっこ。

 私はヴィーガン。動物性食品は一切口にしない。勿論、皮製品などの動物由来の服飾品や生活用品も身の回りにはない。過ぎたるは及ばざるに如し、却って健康に良くないのでは? などという人も多いが私は至って健康。毎日すこぶる調子が良くエネルギーに満ち溢れている。30半ば過ぎてもこのボディラインを保ててるのはこの生活スタイルのお蔭であろう。

 私はこの素晴らしさを多くの人に知ってもらいたい。その一心でSNSに投稿し続けているだけだ。いつの間にか私を教祖のように崇める人達が大勢増えた。しかしそれを見て嫉妬深く何も成せない連中はアンチと化した。私を攻撃する事で鬱屈した日常を忘れるのであろう。
 
 
 

 私がこの生活習慣に目覚めたのは小学生の頃。そこには実家の家業が少なからず影響している。私の実家は地方の片田舎で小さな牧場を営んでいる。子供の頃、牛達は私の遊び相手であった。ある時、普段食卓に並ぶ肉料理がどこから生まれるのかを知った。吐き気が止まらなかった。

 要するに、家畜を食べるより家畜が食べる飼料で何倍もの人間の腹を満たせる。そういった数字の論理より、もっとエモーショナルな部分が元々の動機なのだと思う。

 だからであろう。

「植物にも命があるんですよ。植物を食べるのは構わないのですか?」

 そんなよくある理屈に胸が抉られたのは。

 生来負けず嫌いの私はネットの海を泳ぎ回った。しかしそこに書いてあるどんな答えも私の心の雲を晴らすことはできなかった。諦めかけた私に1つの光明が刺した。それはある研究所の噂。その研究所では人知れずあらゆる発明を行なっている。時には倫理的に問題がありそうなモノまで…。

 早速アポイントメントを取り訪れる。目がギョロリとした白衣の博士とペットなのであろうAI犬が出迎えてくれた。どうやら他に職員はいないらしい。少々不安ではあったが電話で話した内容に感情を乗っけて説明する。

「まだ実験段階なのだが…」

 博士はそう前置きすると、世界中の植物を凝縮したかのような真緑の薬を私の前に置いた。どうやらその薬を服用すれば植物のような食生活。つまりは水と日光だけで生きていけるとのことであった。

 私が受け取るのかどうか。博士があまりにジロジロと顔を覗き込んでいたから、その場で1粒飲んでやったわ。

 その日から空腹というものが私の中から完全に消え去った。異常な位に水が美味しい。日光浴が気持ち良い。

 私は理想の人生を手に入れた。全ての生物を犠牲にすることなく生きている自分。まるで神にでもなったかのような気分だ。多くの屍の上に立っている周りの人間が益々哀れに見えた。

 異変が起きたのは1週間後。頭痛が鳴り止まない。博士によると都会暮らしの日照時間の少なさが原因ではないかということだ。仕事に未練はあったが前々から都会の存在そのものに違和感を感じていた私は、会社に辞表を出し実家へ戻ることにした。
 
 
 
 地元の駅に降り立つ。都会の澱んだ空気と違いスッキリと澄んでいる。駅舎を出ると都会人が余程珍しいのか随分と虫が寄ってくる。田舎に帰ってきたことをしみじみ実感しながら実家へと歩を進める。

 ジャケットの下に着ているシャツがじんわりと汗ばんできた頃、実家の牧場が見えてきた。相変わらず虫がたかってくる。牧場の古ぼけた木柵に肩肘を乗せ、滋味溢れる自然の恵みを享受していると、牛達の鳴き声が聞こえてきた。私に気付き出迎えてくれているようだ。嬉しくなった私はキャリーバッグを置いて牛達に向かって大きく手を降る。
 
「ただいまー。帰ってきたわよー」
 
 微笑む私に、牛達はまるで焼き立てのステーキを前にした人間のような顔で駆け寄ってきた。
 
 
 
 
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