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持続可能社会ってどんなもの?

未来を考えるために 第二回

 今回は、未来を考えるための材料として、持続可能社会について考えてみようと思います。「材料」と前置きしたとおり、考えるだけです。筆者はすでに高の知れた未来しか残ってない終活中人間なんですから、材料を残すくらいがせいぜいです。また、人によってはかなり気持ちの悪い話になると思いますので、そのつもりで読んでいただけたらと思います。

○それは不老不死社会のようなもの?

 結論から言えば、もしも不老不死社会が実現したなら、それは持続可能社会たりえるかもしれません。が、それは人々が想像しているようなものではありません。
 例えば、ある時全世界のヒトが全て不老不死になったとしたなら、胎児は永遠に胎児のままで、老人は永遠に老人のまま、ということになります。戯画的に言えば、子どもは永遠に親に抑えつけられ続け、嫁は永遠に姑にいびられ続けちゃいます。こう書けばわかるように、今の社会のまま持続するわけではなく、別のかたちになることでしょう。なにせ不死でもあるのだから、育児や介護を放棄しても、相手が死ぬこともないのですから。

 ちなみに、よく想像されるような、「みんなが成年くらいで老化しない」という大変都合の良い不老不死の場合はどうなるでしょう?
 人口は簡単に爆発することになるでしょう。18禁コンテンツ的な見方をするなら、自分が成体になってもすり込み対象がそのままなんですから近親姦が大量発生するかもしれませんね。死ぬ心配がないのなら、遺伝的異常とかも気にしないでしょうし。こちらもどんな社会になることやら、といった感じです。

 どちらにせよ死ぬ心配がないのなら、地球環境がどうなろうと、宇宙空間で生きることになろうと、太陽に焼かれようと、ブラックホールに吸い込まれようと、死なないのですから関係ありません。これなら持続可能です。まあ、そんな存在は、今のヒトから見たらヒトと認識できないものでしょうけど。

○それは宇宙へ広がっていくもの?

 SFのお約束、宇宙開発についても考えてみましょう。これについても、筆者は悲観的です。
 理由を簡単に言えば、「どうしてべんきょうするの?」の回や「どうして「地獄への道は善意で敷き詰められている」のか?」の回でふれましたが、ヒトは現在の環境に適応したかたちで誕生した生物と考えているからです。当然ですが、その環境の中には重力や気圧(大気組成)も含まれます。つまり、ヒトは1G・1気圧に適応している生物なのです。(この単位そのものがヒトが地表を基準としている証左でもありますが。)テラフォーミングとか言いますけど、ヒト以外の動物や植物だって1G・1気圧適応型なのは変わりません。SFでは遠心力で重力に代用するようなのが書いてあったりしますが、地上で遠心力が強くなるのは、回転と方向を変えた重力の掛け算によるものだと思われます。だから重力が微弱なところではものすごく回転しないと同じにならないような気がします。以前にも書きましたが、筆者には中高教科書レベルの知識しかないので、確かなことはわかりませんけど。
 宇宙の観測で出てくる単位の大きさも大きな問題です。例えば、速度の基準は秒速○kmです。時速3600km以上が当たり前の世界ということです。SFでは目視やレーダーで回避行動をとってますけど、実際には目視では不可能だし、レーダーも地球上では考えられないほど広い範囲を計測できるものでないと意味がないということです。こういうところからも、ヒトは地球上の環境に適応したものであって、宇宙は適応範囲外のように思われます。

 このように考えた結果、居住空間としては、宇宙へ進出するより地球上の砂漠とか地下とか空中とか水中とかの方がまだ何とかできる可能性が高そう、という結論に、筆者はなりました。宇宙は、観測や実験以外では、がんばっても資源の獲得くらいがいいところのように思われます。

○行き着く先は人口とリソースのバランスの問題なのでは?

 結論は、「生んで、殖えて、地に満ちた後の世界へ」に書いたとおりです。ヒトも生物ですから増殖と減少を繰り返すのは当然としても、問題となるのは、その振れ幅をどうしたいのかと、人口と資源や居住可能地域などのリソースとのバランスをどうとるのか、ということになるように思われます。
 振れ幅が大きくてもいいのなら、これまでどおりがある程度は続けられます。ただしそれは、飢餓や戦争や疫病などの「悲劇」も必ず含まれます。それでもある程度しか続けられないのは、二番目のリソースとのバランスを欠いていると思われるためで、長期的に見れば、居住可能地域が減少していくものと推測されます。「どうして「地獄への道は善意で敷き詰められている」のか?」で言及した、都市や文明の発生と衰退が今後も繰り返される、ということです。

 実は、今までどおりを続けても大丈夫な方法が、他にないわけでもないのです。小説やマンガなどで使われているネタですが、増え続けるヒトを資源として活用する社会です。ヒトを食料や発電や燃料などのリソースとして活用するということです。これなら今までどおりにバンバン産まれてきても何とかなるかもしれません。まあ、人権という岩盤規制を緩和した社会ということにはなりますけど。

○持続可能社会とは?

 多くの人が持続可能とか循環型とかでイメージしているのは、振れ幅が小さい方のことだと思われます。こちらの方が何となく穏便なように思われるのでしょうけど、おそらく、そんな甘いものでは済まされません。こちらが乗り越えなければならない課題は、ヒトとしての本能みたいなものだからです。どういうことかというと、「子を設けること」を重視するような慣習、繁殖条件が整っていることを善政と思ってしまう意識、そうったものを何とかしましょう、という話になってしまいますよ、ということです。(余談ですが、現在(西暦2024年)の日本の政治や社会が良くないと感じられてしまう要因、逆に昭和が良かったように感じられてしまう原因は、おそらくこの「繁殖条件が整っていることを善政と思ってしまう意識」にあると思われます。)
 このような、社会の根幹にあるような意識を変更して、どんな社会がイメージされるでしょう?
 現時点の筆者が漠然と考えているのは、「誰もが○○できる(になれる)、でも、みんなが○○する(なる)べきではない社会」といったものです。○○できる(になれる)は、子を持てるとか、お金持ちになれるとか、そういうものが入ります。でもこれは流動性が高くなりそうなので、あまり説得力はないです。でも、「生んで、殖えて、地に満ちた後の世界へ」にも少し書いたように、子孫を残した者たちの模倣や自己肯定しか後の世代へ伝えられないなら、地獄は何度でも訪れることでしょう。繁殖の断念自体は別に新しい概念でも何でもなくて、宗教の出家や修道(不犯戒、童貞や処女の重視)に見られることでもあり、後述する少子化という方法もヒトは編み出しています。強制によらない繁殖コントロールの実現(繁殖しない/できない個体も必要とされる社会の実現)というのができないものか、と夢見てしまいます。

 まあ、冒頭で書いたように、筆者自身は残り時間が少なくて終活している身ですから、ただのお節介でしかないのですけれど。

○「少子化」現象の分析と可能性

 最後に、前々回で先送りにした少子化について書いておきます。適応環境下にあるはずなのに、どうして人口が減るのか? それは、長寿化と社会的経済的な要因とによるものと思われます。
 長寿化が少子化を招く理由は簡単です。「上が詰まっているから」です。モデルケースとして、「定員6人の家」を想像すればわかりやすいかもしれません。この場合の定員というのは、「土地や資産など、その家のリソースで養える人数」ということです。例えばここに三世代の夫婦が住んでいるとしたら、次の世代が生まれるためには、最初の世代の内少なくとも一人が寿命を迎えなければなりません。このように考えると、何歳頃に結婚して子が産まれるかと、何歳頃に寿命を迎えるかはリンクしている可能性に思い至ります。なので、長寿化しているのなら、晩婚化も少子化も仕方のないこと、ということになります。
 もう一つの社会的経済的要因というのは、ざっくり言うと、「ヒトの値段」の問題です。これまで当たり前とされていた、日々の生活に困らない程度に暮らしながら土地と家を買って子育てするということにかかるコストが、一人二人働いたくらいでは賄い切れなくなってしまった、ということです。暮らしも土地も家も子育ても、以前と比べてそれぞれ数倍から数十倍のコストになってます。収入も増えているとはいえ、それと釣り合うレベルでないのは明らかです。ピケティさんが指摘したらしい、資本家への資本の集中というのは、こういうことなんじゃないかと思われます。読んでないので当て推量ですけど。
 また、先進国が少子化しているといっても、人類全体としては人口は増え続けています。つまり、先進国の少子化というのは局地的なもので、後発国へ人口増加を移転しただけ、という見方もできます。それに、試算の仕方もわからないような複雑な計算が必要でしょうけど、日本においても「社会経済的に予測される出生数」よりは多く産まれているのは、ほぼ確実と思われます。適応環境下ですし、国が借金をして=国民にリソースを投下してますから。
 というわけで、少子化自体は大した問題ではありません。絶対数の多い上の世代が寿命を迎えていけば、どこかの時点で増加に転じますから。それが問題として扱われるのは、資産が下落トレンドになるなどによって困る人達が騒いでいるだけのように思われます。もっとも、その困る人達には、巨大な借金を抱えている日本国政府も含まれてしまうのですが。
 人口論的には、少子化は、戦争や疫病によらずに人口を減らせるのですから、人類史上初の快挙、福音とすら言えます。ただし、ヒトの値段を生活や繁殖以下にすることによってしか実現しないのなら、ある種のディストピアでしかありませんが。

主な参考文献

 これまでの記事の総括的な内容ですので、新たな参考文献はありません。宣伝も兼ねて、関連の過去記事を挙げておきます。

「かみさまって、いるの?」
「どうしてころしちゃいけないの?」
「どうしてべんきょうするの?」
生んで、殖えて、地に満ちた後の世界へ
歴史は繰り返されているのか?
どうして民主主義が大事と言われるのか
考えることと感じることの限界
どうして「地獄への道は善意で敷き詰められている」のか?

 次回は、未来を考えるためにの第三回として、法やルールについて考えてみようと思います。
「どうして罰則がなくても法やルールは守られるべきなのか?」
といった問題提起でやると思います。

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