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どうして民主主義が大事と言われるのか

歴史の話 第三回

 今回は、歴史の話から、どうして
民主主義がそんなに大事だと言われるのか
について考えてみようと思います。
と言っても、通り一遍にフランス革命から
「勝ち取った権利なのだ」なんて話にする
つもりはまったくないです。
おそらく、もっと気持ち悪くなるような話に
なります。

1.悪者を倒せば世の中良くなるのか?

 いきなり裏切るようですが、フランス
革命の話です。といっても、表向きでは
なく、裏向きです。
 冒頭で書きましたが、よく、民主主義は
フランス革命によって勝ち取られたものの
ように言われます。でも、実際のところは
そんなに格好いいものではなかったのでは
ないか、と思われます。

 フランス革命で何が起こったかを簡単に
言えば、まず、
「王や貴族を既得権益者とみなして倒した」
でしょう。あいつらは私欲を貪る悪いヤツ
だからやっつけよう、というやつです。
 で、その悪いヤツが倒されて、めでたし
めでたしだったのかと言えば、そんなことは
ありません。やってきたのは混乱でした。
既成秩序を否定しても、それがただちに
新たな秩序が生まれたことになるわけでは
ない、ということです。
 そして、その混乱の中で、また(まだ?)
「悪いヤツがいるからダメなんだ」と、
悪いヤツ認定した者を次々に断頭台へ
送り込むという恐怖政治をやったのが、
ロベスピエールです。
 要するに、人々が思い込みやすい、
「悪いヤツをやっつければ世の中良くなる」
は、現実的には、正しいとは言えない訳
です。そんなカミサマ以外生存できなそうな
社会をヒトがやっていけると思ってしまう
こと自体、正気の沙汰ではないと筆者などは
思ってしまうのですが。

 もう一つ、一連の「悪いヤツ」討伐と
混乱を通して、人々は、
「巨大な存在だと思っていた悪いヤツが
実はただのしょぼい人だった」
「自分たちは今まで、こんなしょぼいヤツに
丸投げしていたのか」
「そんなしょぼいヤツが保っていたもの
さえ、自分たちだけでは維持できないのか」
といったことを目の当たりにしてしまったの
ではないでしょうか?
 少し付け加えますが、ここで「しょぼい
ただの人」と言っているのは、首を斬ったら
死んでしまう同じヒトという意味もあり
ますが、他にもまだ含みがあります。
それは、例えば、人口一万人の街の領主が
百万円の税金を私的利用して贅沢していた
として、それを還元しても一人百円にしか
なりませんよ、ということです。
 贅沢をしている王侯貴族を倒せば暮らしが
良くなるように思いがちですが、経済的な
面では、しばしばそれは裏切られるのです。
(もちろん、だからといって私的な流用が
正当化できるわけではありません。)
そういう意味で、倒してみた後になって、
「思ったよりしょぼいヤツだった」という
実感を得ることになったのではないかと
推測されます。

2.「すごい人」に任せたらいいのか?

 そして、この後ナポレオンの時代がくるの
ですが、これも人々が思い込みやすい、
「なんかスゲー人に任せりゃいい」です。
その結果は大戦争を起こしました。まあ、
筆者の分析では、ヒト余りを解消できない
まま国家統一したら外征するしかなくなる
という、豊臣秀吉と似たようなことなので、
ナポレオンが悪いわけではないのですが、
それはまた別の話です。
 ここで重要なのは、「なんかスゲー人に
任せりゃいい」が失敗したことによって、
人々は以下のように感じたのではないか、
ということです。すなわち、「スゲーと
思っていたけど、ただのヒトだった」という
ことと、もう一つは、そういう「ただの
ヒト」に丸投げしてしまった自分たちの
心地悪さです。

 短期間に「悪い奴を倒せばいい」と
「すごい人に任せればいい」の両方ともが
失敗に終わったことが、フランスを
民主共和制へたどり着かせた要因だったの
ではないかと思われます。
 つまり、倒せば世の中良くなるような
悪い奴なんていないし、全部丸投げできる
ようなカミサマみたいな人もいないの
だから、結局自分たちでやるしかないん
だよね、ということです。

3.逆方向からの推測
  ――ドイツ第三帝国と大日本帝国

 この、「結局自分たちでやるしかない」に
たどり着かずに、「カミサマみたいな
すごい人に任せましょう」と「悪い奴らを
やっつけましょう」をとことんまでやって
しまったのが、ドイツ第三帝国と大日本帝国
だったのではないかと思われます。
 まあ、「悪い奴らをやっつけましょう」は
どこの国も言うことですし、フランスも
ナポレオンが大量の戦死者を出して負けて、
国内に人口増加の余地が生まれたから、
「結局自分たちでやるしかない」に
たどり着けただけのことなのですが。

 どうしてこの時ドイツや日本で(実は
イタリアなどもですが)そういうことが
起こったのでしょうか?
 簡単に言うなら、世界恐慌のシワ寄せが、
(賠償金を抱えていたり、新興国だったりで)
比較的経済力が弱かった国へ来ただけです。
ちなみに恐慌とか不景気とかいうのは、ヒト
(労働力)よりもモノやカネの方が価値がある
状態のことです。

 戦争というのは、安くなったヒトを消費して
高くなったモノやカネを獲得しようとする
こと、と言えます。または内部で過剰に
なったヒトを外に放逐して、内部のヒトと
カネやモノ(つまりはヒトが生きるための
リソース)とのバランスを回復しようと
すること、という言い方もできます。

 そういうリソース不足の社会というのは、
どのようなものでしょうか?
 それは、端的に言うなら、凝集していく
社会です。自分たちより先に消費されるべき
ヒトを作り出す社会、中心から遠い者ほど
放逐されやすくなるから内部へ内部へと
凝集しようとする社会、足りないリソースを
効率よく運用するためにリソースを使う者を
限定していく社会、みんなで考えるだけの
エネルギーが確保できてないから考える
ヒトを限定する社会……つまりは貧して
鈍して蜂の巣みたいになった社会です。

 ヒトラーやムッソリーニが悪いとか、
帝国軍部が独走したとか言われますが、
実際のところはもっと気持ちの悪い話で、
リソースとヒトとのバランスを取ることすら
できない、ヒトの認識力の甘さ、粗雑さが、
そもそもの原因のように思われます。

4.結論

 どうして民主主義が大事だと言われるのか?
 それは、民主主義とは、個人が社会に
対してコストをかけることを意識づける
ための制度だからです。意識的にコストを
かけようとしなければ、節約とか効率化とか
負荷をかけない、やらないで済ます選択を
しがちになってしまい、そうなると王や
皇帝へ押しつける蜂の巣のような社会に
なってしまうからです。

 資本主義先進国で民主主義が機能不全に
なっているのは、社会にかけるコストを、
資本主義により欲望肯定された人々が
負担しなくなっているからです。投票にすら
行かないというのは、わかりやすいコスト
負担の回避の一例です。

 民主主義というのは、譬えるなら、
庭のようなものです。できた当初から、
誰もどうするのが良いのかわからないまま、
試行錯誤で花や樹を植えたりしていた庭
です。それが今では手入れが行き届かなく
なっていき、歩道も見えなくなったり、
入り込めない草叢もできてしまったり
しているのです。
 それでも、「日本」なら「日本」という
庭は、今ここにあるこの庭しかありません。
ちゃんと手入れをしないと、中にできた
蜂の巣に占拠されちゃったり、危険だからと
外から火をつけられて焼け野原に
なっちゃったりするかもしれません。

 「じゃあどうすればいいの?」という
方へは、「まずは投票しましょう」と
答えます。
 「投票したいと思う人がいないから、
投票しない」では、「投票したいと思う人」
は永久に現れません。なぜなら、自分が投票
しないなら、その投票されない状態に
最適化した候補者が当選し続けるだけ
だからです。
 当選させたい人に投票するでも、当選
させたくない人を落選させるように投票
するでも構わないので、投票をしましょう。
有権者の「こういう人に票が集まる」
「こういう人には票が集まらない」という
メッセージの総体として政府ができる、
というのが民主政治です。メッセージの
量や質がしょぼければ、当然しょぼい
政府ができあがります。
 現代日本の何がまずかったのかと言えば、
一つの政党に丸投げし続けたことと、
政権交代した時にそのしょぼさ(これは
自分たちのしょぼさでもあったのですが)
から目をそらして逃げてしまったことでは
ないかと、個人的には思っています。

 日本は多党制なのですから、与党が
過半数割れしても即政権交代になるとは
限りません。特に今のように野党が分裂して
いるのなら、与党がどこかと連立政権を
つくる可能性の方が高いのです。だから、
もっとたくさんの政党や議員に連立政権の
一員として政権運営をする経験を積んで
もらう、というあたりが現実的にできそうな
ことなのではないかと思われます。
ほんとは30年くらい前からそうしていて
くれてれば良かったんですけどね…
というところで、今回の話は終了です。

主な参考文献

『資本主義のパラドックス』 大澤真幸著
筑摩書房 2008

『資本主義の終焉と歴史の危機』
水野和夫著 集英社 2014

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
加藤陽子著 新潮社 2016

『現代を読み解くための「世界史」講義』
神野正史著 日経BP社 2016

『粛清で読み解く世界史』 神野正史著
辰已出版 2018

『人口論』マルサス著 中央公論新社 2019

『<世界史>の哲学. 近代篇. 1』
大澤真幸著 講談社 2021

『<世界史>の哲学. 近代篇. 2』
大澤真幸著 講談社 2021

 歴史の話は今回で終了です。ここまでの
総括をして未来を考える話をした後に、
「だいたいこんなもんじゃねーの?」な
人類史や日本史の話をするかもしれません。

 次回は与太話の方で三国志ネタ、
「劉備仁君伝説を考える」
をやる予定です。

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