どうして「地獄への道は善意で敷き詰められている」のか?
「だいたいこんなもんじゃない?」の人類史
今回は、「地獄への道は善意によって敷き詰められている」という警句の意味するところについて、考えてみます。きっかけは、物語などで結論めいて語られる、身近なものへの愛情です。それを基調にすれば良いのなら、人類はとうの昔に恒久平和を実現しているはずなのではないか、という疑問があり、その答えの一つとして、この種の逆説的な警句から考えてみようとしただけです。
極論ですが、ヒトも生物であることから逃れられないことから、こういった警句が生まれたと考えられます。
1.ヒトという生物について
まず、大前提として、「ヒトも生物である」ということがあります。
生物の定義について、ここでグダグダやるつもりはありません。自己増殖する物質の固まり、程度の考えで充分だと思います。
生物は増殖もしますが、損耗もします。ヒトが生物であり、その数を増やしてきたということは、自然の損耗を上回る増殖をしている、ということになります。
ここで言いたいことは、「生物が適応環境下にいるということは、損耗を上回る増殖や分散をしているということを意味するのではないか」ということです。つまり、適応環境下にいると見なせる現在までのヒトは、多く産まれてくる設定になっているのではないか、ということです。
こういうことを言うと、少子化はどうなんだ、という反論がありそうですが、それについてここで始めると長くなりすぎるので、それは次々回でやります。
次に、ヒトの生物としての特徴を考えてみます。
ヒトという生物の特徴を簡単に現すなら、「適応範囲が広い」ということになるのではないでしょうか。地上に限定されているとはいえ、その地上において単一種でこれだけ広範囲に生息できている生物はヒトくらいなものです。
ここからもう少し踏み込んで、適応範囲が広いということが、どのような
要素によって成り立っているのかを考えてみます。すると、「雑食」、「高い免疫力」、「高い繁殖能力」といったものが挙げられそうです。
エネルギー源を特定のものに頼らず、特定の気候や病気などではなかなか全滅もせず(全滅した事例も多々あったでしょうけど)、気温などに左右されずに繁殖可能、ということです。
この特長に見られる汎用性の高さというのは、動物のブリーディングなどからすると、雑種の特徴なのではないかと思われます。だから、あくまで個人的意見ですが、ヒトはホモ属の「雑種の中の雑種」みたいなものとしてできあがった生物ではないかな、という気がしています。実際、ネアンデルタール人など、同時代に生きていた他の人類と交配した形跡があるようです。
2.都市や文明の形成について
前提が終わったところで、人類史をみることにしましょう。ヒトはどうやって世界中に広がったのでしょうか?
ここでの鍵は「ヒトはサルの近縁にある生物」ということだと思われます。つまり、サルの生活形態である「群れ」「なわばり」「分散」で大まかな説明はできてしまうのではないか、という仮定で考えてみます。
すると、いきなりおかしなことが起こります。「狩猟・採集生活=非定住」、「農耕=定住」というイメージがそもそもおかしいんじゃないか、という話です。
なわばり生活は固定の住居を持ちませんが、少し範囲が広いだけの定住生活とでも呼ぶべきもののように思われます。なわばりの外へは出ませんから。
こう考えると、アフリカ原住民と世界中へ分散した我々との差に関して、簡単に説明がついてしまいます。ミトコンドリア・イヴの子孫から分散してできた群れが、アラビア半島に近いところをなわばりとし、海を渡って分散する個体を出し続けたとか、だいたいそんなところです。
つまり、ヒトが世界中へ広がったというのは、群れからの分散行動の結果なのではないでしょうか、ということです。おそらく、いつだってヒト(サル)は、同じなわばりで暮らそうとしてきた生き物なのです。
この考え方で、集落が形成されていく様も再現できるかもしれません。周囲に群れが多くなり、分散が困難になっても、資源があるなら生物は繁殖制限しないでしょう。つまり、本来分散するべき個体を分散させずに受け入れたり、周囲からの分散者を受け入れたりして群れを大きくする選択をすることも、条件次第ではありえるのです。しかし、そのほとんどは資源が枯渇するなどして長期間は維持できず、衰退したことでしょう。
こういった生物としての基本的な行動は、火を使うようになろうが、農業をするようになろうが、ほぼ変わらなかったのではないかと思われます。ただ、群れ(ムラ)が持つ資源は増え(といっても水や燃料は外部依存ですが)、人口も多くなったでしょう。この時期に、群れ(ムラ)を大きくする選択をしてうまくいけば都市になります。
それでもやっぱり長期間の維持が難しいことには変わりなく(人口が多い分だけ外部依存の水や燃料の枯渇する危険はかえって増しています)、多くの都市は衰退したでしょう。しかし、道具や流通の発達などで、長期間維持することに成功する例が出てきます。これが文明というものなのではないかと思われます。
[補足]人種と生物種について
ここまでの話に則るなら、人種というものに関する考えは、なわばり意識からきているものと推測されます。自分たちの群れから遠すぎる者とは交配したがらず、適度な近さにある者を選好しようとする行動でしょう。お互いに交配や繁殖が不可能な人類がまだ出現していないのだとしたら、それは物理的に交配が不可能そうなチワワとセントバーナードほどの違いも生じていない範疇でガタガタ言っているだけの話と思われます。
やっかいなのは、そうした選好を重ねていくと、気がついたら繁殖不可能なほどお互いが遠くなってしまっていることがありえることです。おそらく、ヒトが進化とか種の違いとか呼んでいるのは、実際にはこうした「気がついたら繁殖不可能なほどお互いが遠くなっていた」現象なのではないかと思われます。
3.怪物と英雄の伝説
世界中に流布している怪物の伝説や、怪物を討伐する英雄の伝説は、こうした分散行動の痕跡を物語っているように思われます。怪物とは、周辺部へ分散させたけれども、新たな群れをつくるでも死んでしまうでもなく、山賊などになってしまった者達のことです。
怪物によくある設定は、酒や食料や女性を奪ったり要求したりする、攫った女性に子を産ませて増える、住民は搾取されても受け入れるしかない、といったものです。分散される個体は、若い(ヒトで言う反抗期の)オスが多いです。彼らが集まって山賊化すれば手がつけられないでしょう。自分や身内の子がいることもあるでしょう。
だから、これを討伐できる「英雄」は余所者でなくてはならないのです。まあ、「彼(ら)」も分散行動中の個体なんでしょうから、住民のリアルな感覚では、「毒をもって毒を制する」みたいなことだったのでしょう。
4.歴史時代
歴史時代になっても、この基本的なところは変わっていないように思われます。ここではいくつかの世界史上の出来事を挙げ、この観点からの説明を試みてみます。
・古代文明
おそらく、大河の水資源と水運による食料・燃料の長期的な確保により成立した。(そのため、現在ではその地域の土地の多くは状態が悪い。)他の地域でも都市を形成したところはあるが、長期間は持たせられずに衰退したと考えられる。
・ゾロアスター教
火を統制するための社会規定。おそらくなわばり(ムラ、都市)を焼失させるようなことをするバカが後を絶たないために考えられた。
・ユダヤ教
群れ(ムラ)を維持するために考えられた社会規定。必然的に分散者(棄民)を生み出してしまう。
・キリスト教
ユダヤ教に棄民された者たちの社会規定。「棄民だってヒトだ」から始まった「愛の宗教」だったはずなのに、後に自分たちも「○○はヒトじゃない」とか言ってしまう。
*教祖様がユダヤに棄民されたいきさつについては、こちらの「「厩戸」が意味するものとは?」と「[蛇足]某教祖様の場合」を参照。
・帝国
資源が少なかったり、人口が多かったりで社会を支えようとするエネルギーが少なくなると、社会はエネルギーを集中させ、集権化していく(「貧すれば鈍す」)。帝国とは、そうした人口を支える資源の調達と、大量発生した分散者を同時に処理している状態のこと。国家の衰退期。通常、資源は内へ、人は外へが常態化するが、たまに分散者を「内部で処理」してしまう秦帝国のような恐ろしい事例もある。
・暗黒の中世
「怪物」や「英雄」が跋扈する時代。人口増加を「怪物」化させて退治したり、戦争したり、疫病によって消化し、結果としてプラスマイナスゼロになった。
・十字軍
血みどろの抗争をしていた欧州各国が、示し合わせて東への分散を図ったが、抵抗に遭い、新たななわばりの獲得に失敗した。
・大航海時代
レミングのように分散のため海へ飛び込み、首尾よく新たななわばりを発見できた。ちなみに船乗り≒荒くれなのは、船乗りが分散者=「怪物」だからで、それゆえに原住民に対しては、制圧という手段以外にありえなかった。原住民をヒトと見なしてしまえば、「新たななわばり」ではなくなってしまうから、とも言える。
・フランス革命
なわばり内における人口増加により、内圧の高まりや生活の悪化が起こり、既存秩序を崩壊させてしまった。政治責任は王にあるとも言えるが、勝手に増えたのは民衆の方だから逆ギレとも言える。崩壊させても当然状況は変わらないから、混乱を経て結局帝国化し、戦争で人口を減らしてようやく落ち着く。
……このくらいで充分でしょうか。産業革命とか近代とか現代でも使えるエネルギー資源の量が増え、技術が進歩し、抱えられる人口が増加しただけで、やってることの多くは「群れ」「なわばり」「分散」で説明できてしまいそうです。社会や国家や地域やイエなど、群れやなわばりのレイヤーがいくつか重なり、都合の良いように使い分けているだけです。
環境やエネルギー資源の限界が見えてきてしまっている今となっては、問題をひたすら先送りし続けてきただけ、という見方までできてしまいそうです。
5.結論
というわけで、「どうして地獄への道は善意で敷き詰められているの?」への答えは、「適応環境下では、生物は増えるようにできているから」でした。原理的に少し多く産まれてくる以上、閾値を超えれば、戦争や疫病や飢饉といった「地獄」が到来します。
蛇足ですが、マルクスはこの「少し多く産まれてくる」を経済的な面から喝破し、「資本主義は搾取によって成り立っている」としたのかもしれませんね。『資本論』があんなにも長大になったのは、経済とか社会とか、ヒトの内輪の理屈からそれを説明しようと頑張っちゃったからなのではないかな、と思います。読んでないから完全な当て推量ですけど。
主な参考文献
『人口論』マルサス著 中央公論新社 2019
『言ってはいけない』 橘玲著 新潮社 2016
『もっと言ってはいけない』 橘玲著 新潮社 2019
『世界は美しくて不思議に満ちている』 長谷川眞理子著 青土社 2018
『モノ申す人類学』 長谷川眞理子著 青土社 2020
『ヒトの探究は科学のQ』 長谷川眞理子著 青土社 2020
『進化的人間考』 長谷川眞理子著 東京大学出版会 2023
『<世界史>の哲学 東洋篇』 大澤真幸著 講談社 2014
『<世界史>の哲学 近世篇』 大澤真幸著 講談社 2017
『<世界史>の哲学 近代篇 1』 大澤真幸著 講談社 2021
『<世界史>の哲学 近代篇 2』 大澤真幸著 講談社 2021
この流れで、未来社会を考える、あるいは考えるための材料を提示する、ということをやり、おしまいにできたらと考えています。蛇足が一つくらいつくと思いますが。
ただし、次回は日本史でやり残したことを、「だいたいこんなもんじゃない?の日本史」とでも題してやろうと思います。
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