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偏食突破大作戦1 ~先生たちの思い~

 偏食・・・簡単に言うと食べ物の好き嫌いのことです。
 小学校でも中学校でも幼稚園でも、「学校」であるからには、そこで行われる活動は何かしら教育に結び付いています。なので、子供たちにとっては楽しい食事の時間でも、先生たちにとっては休憩時間という訳ではなく、その時間中も「食育」という教育活動を行うことになります。
 「食育」と言うと範囲が広いので、今回はその中でも「偏食」にテーマを絞ってつぶやいていこうと思います。

 大人になっても多くの人がもっている食べ物の好き嫌い。皆さんはどんな食べ物が苦手ですか?また、それをどの程度食べられますか?
 お金をもらっても口にしない、自分からは食べない、食事として出された分は我慢して食べる・・・嫌いのレベルは様々でしょうが、人前だったらちょっとがんばろう、という人も多いのでは?実はそれ、幼児も同じです。保護者の方から、「幼稚園では食べているみたいだけど、家では(その食材を)全然食べないんですよね・・・」といった話を聞くことはよくあります。
 ただ、(大人もそうですが)子供たちだっていつでもがんばれる訳ではありません。その食材の嫌い具合、お腹の空き具合、嫌いな食材が出される続き具合、その日の気分など、状況に左右されることはままあることです。なので、この偏食を巡っての「食べる」、「食べない」、「残す」、「一口食べる」等の子供たちvs先生の壮絶な駆け引き(大袈裟?)は、毎日のように繰り広げられていくことになります。

偏食の理由

 そもそも、食べ物の好き嫌いはなぜ生じるのでしょう?幼児たちの姿を見ていて、つとむ先生なりに分析してみました。

①味覚が未発達だから

 一般的に子供の味覚は大人に比べて敏感です。このため、酸味や苦味を大人が思っている以上に感じています。大人になるにしたがってこの感覚は鈍感になっていきます。大人になった皆さんの中には、子供の頃は「どこが美味しいの?」と思っていたギンナンやゴーヤを、今では美味しく食べている、という方もいらっしゃるのではないでしょうか?
 ヒトが原始的な生活を送っていた頃の名残(酸味は腐っている物、苦味は有毒な物として検知する)と言われていますが、乳児(0~2歳)から幼児(3~5歳)になるにつれて味覚が発達し、これらの敏感さは無くなっていきます(発達して鈍感になるってなんだか不思議ですが)。

②トラウマがあるから

 牡蠣にあたった、たまたま体調の悪いときにその食材を食べ嘔吐した、といった経験があると、大人でもその食べ物が嫌いになったり、口にすることさえできなくなったりします。特に嘔吐の経験は、トラウマとなって残りやすいように思います。

③食べず嫌いだから

 上記①や②の理由が続いたり重なったりすると、「自分は野菜なんて絶対に食べられない」と思い込み、初めて目にする野菜でさえ口にすら入れなくなります。幼児も4歳児(年中児)になる頃には自我が芽生え始めるので、その時期にこの③が理由の偏食が発生していると、頑として食べなくなります。

それでも先生たちが奮闘するのは・・・

 それでも先生たちが偏食とうまく付き合えるようになってほしいと奮闘するのは、栄養バランスの偏りを無くしたい、その食べ物の美味しさを知ってほしい、作ってくれた人(産地の方や調理した方)に感謝してほしい、命をいただくことのありがたさを感じてほしい、社会的なマナーを身に付けてほしい、というのもありますが、それ以上に、人間関係で困らないでほしい少々の困難には逃げずに立ち向かってほしい、ということがあります。

 食べ物を選り好みする人は、人間関係も選り好みします。多くの場面で「コミュニケーション能力」が問われる昨今、好きな人とだけ付き合うようではいろいろなところで不具合が生じるでしょう。
 また、子供たちの将来には様々な困難が待ち受けています。「嫌だな」と思うことでも、「一口くらいは食べてみよう」、「半分がんばってみようかな」と挑戦してみることで学ぶことはたくさんあります。「嫌いだから食べない」を繰り返していると、困難に直面したときに最初から逃げたり(逃げることが全てにおいて悪い訳ではありませんが)、簡単に心が折れたりします。なので、嫌いな食べ物を好きになれとは言わないまでも、せめて出された分は、或いは先生と相談して約束したこの分だけは、がんばって食べてほしいな、と現場の先生たちは思っている訳です。

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