瑠璃の言の葉

父が書道師範でもあったため、子供の頃より書や経典に親しんで来ました。 心が崩れそうにな…

瑠璃の言の葉

父が書道師範でもあったため、子供の頃より書や経典に親しんで来ました。 心が崩れそうになった時、スッと姿勢を正してくれた言葉や人の想いを感謝で書いて行きたいと思っています。 書はInstagramにて。 http://www.instagram.com/ruri_kotonoha

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自己紹介

はじめまして。 瑠璃の言の葉と申します。 どうぞよろしくお願いします。 はじめに私のことを少しお話しいたします。 我が家は主人と私と子供は3人。近年、3人とも独立しました。 一時は主人の両親も介護のため同居しての7人家族でした。子育てしながらの介護、看取り、2人の子供の発達障害から来るエピソードなど話せばきりがありませんが、noteでは心が崩れそうになったとき、すっと私の姿勢を正してくれた周りの人や先人の言葉、教えを振り返りながら、書くことで感謝していけたらと思います。 生

    • 暮らしに生かす、み仏の智慧〜言霊

      最近のニュース番組で、ある牧場の牛舎を紹介していました。 その牛舎ではいつもモーツァルトをBGMとして流しているそうで、モーツァルトを聴いていない時よりお乳の出がとても良くなるそうです。 微生物を扱うチーズ作りの工房や、花を育てている農家でもその試みをされているという話を聞くと、生きとし生けるものには、何やら目に見えぬ穏やかな波長が必要で、それはその生き物の生きる力をいっそう高めているのではないかという事がわかります。 言葉にもモーツァルトの音楽のように、言霊という目に見え

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      • 観音様と私

        日本昔話は誰でも1度は読んだ経験があると思いますが、昔もそうであったようにポチがワンと鳴くような話は意外と普通の暮らしの中に転がっているものです。 それにたまたま気づく時もあれば、多忙の中で気づかずに過ぎる事もあります。 枯れ木に花が咲いたり、おむすびが転がったりはしませんが、この話はそんな感じで読んで頂けると嬉しいです。 子供の頃、私はよく父の書斎で遊んでいました。 父はサラリーマンの傍ら書道の師範ということで書道教室を開いており、家の敷地の中のその部屋を書斎と呼んでいま

        • 今も心に残る懇談会〜先生が母親たちにしてくれた授業

          子育てをしていると、本当に多くの方々との出会いがあるものです。 公園で出会う親子、学校の友達、その親御さん、先生.…。自分一人で行動していても出会えなかったであろう人達に、子どもを通してのご縁が繋がり、広がっていきます。 その中には、迷い涙する事もありますが、心からお手本としたい出会いや出来事もたくさんありました。 すべてがこうした方々のお陰で今日があり、自分も新米お母さんとして育てて頂いていました。 ここからのお話は今から25年ほど前の、長女が小学1年生の時のお話です。

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          夏とお盆と怪談と

          梅雨明けとともに暑い日差しと真っ青な夏空が帰ってきました。 さあ、夏休みはすぐそこです。 大人になって長い休みが取れなくなればなるほど、懐かしく思い出されるのは子どもの頃の夏休み。自由でとても時間がゆっくりと流れていました。 皆さんはどの様な夏休みでしたでしょうか。 世代によって頭に浮かぶものは様々に違うと思いますが、夏には思い出として深く残るものがたくさんあるものです。 私にもたくさんの思い出がありますが、その中のひとつをお話ししてみようと思います。 ここからのお話は昭和4

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          肥薩線に乗り遅れた父の話~昭和20年8月

          先日の自己紹介で何気なく父の話を書きましたら、ぽろぽろと色々思い出された事の1つを書いてみたいと思います。 今から4年ほど前の事。 熊本に住む叔父に会うため、姉夫婦と共に叔父を訪ねる小さな旅をしました。 叔父の家は熊本ですが、鹿児島県寄りの小さな町にあります。 せっかく鹿児島空港に降り立ちましたので、指宿、知覧を回ってから人吉、叔父の家というコースの3泊4日の旅でした。 皆さんは肥薩線をご存知でしょうか。 鹿児島県の隼人駅から熊本県の八代駅までの124.2㎞を結ぶ路線です

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