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観音様と私

日本昔話は誰でも1度は読んだ経験があると思いますが、昔もそうであったようにポチがワンと鳴くような話は意外と普通の暮らしの中に転がっているものです。
それにたまたま気づく時もあれば、多忙の中で気づかずに過ぎる事もあります。
枯れ木に花が咲いたり、おむすびが転がったりはしませんが、この話はそんな感じで読んで頂けると嬉しいです。

子供の頃、私はよく父の書斎で遊んでいました。
父はサラリーマンの傍ら書道の師範ということで書道教室を開いており、家の敷地の中のその部屋を書斎と呼んでいました。

私は父が大好きで、父が黙って「書」を書いている時も、近くで筆運びを見たり、書棚の本を手にとっては黙って読んでいる子供でした。
父の書棚には、「王羲之」の本や書体の本、お手本などがびっしり並んでいましたが、「のらくろ」(昭和生まれの人が知っている犬の兵隊さんの漫画です)や日本の昔話、学研の学習大辞典12巻、法華経の本、宮沢賢治の童話などが何冊もあり、子供ながらにその日気になった本を夢中で読んでいました。

もう昔のことで話の細かいところは忘れてしまいましたが、日本の昔話の本にこんな話がありました。

「あるところに貧しいけれど心の優しい女性がいました。
毎日お風呂で身体を洗ってあげる仕事をして暮らしておりました。
その女性は観音様を信仰していて、毎日出会う人は観音様だと思って尽くしなさい。と言う教えを守っておりました。
ある日いつものように仕事をしていると、最後に並んだ老人が目に入りました。その老人は身体のあちこちから膿が出ており、匂いも悪臭を放っていて一瞬この人を洗ってあげようか、迷います。けれども観音様の教えを思い出して、丁寧に優しく接して身体を洗ってあげました。
するとその老人はたちまち観音様の姿に変わり、良くぞ教えを守りましたね。と女性をお褒めになったのでした。」

うろ覚えなので多少間違っていたらごめんなさい。
けれどもこの話は子供心に本当に深く心に響いたのでした。
「どんな人も観音様だと思って尽くしなさい。」のところがです。
そんなふうにしていたら、いつか観音様に会えるんだ。と幼心に本気で信じたものでした。

姉の力になりたい

時は過ぎて、私は大人になりました。
社会に出るとともに家を出て、一人暮らしを始めていました。
父と過ごす時間は減りましたが、相変わらず家へ帰れば父の書棚の本を懐かしく読んでいました。

法華経の本がその中でも面白く、物語のように教えが書いてあり、本を読む感覚でよく読んでいました。
法華経の中の「観世音菩薩普門品第二十五」というのが観音経と言われるものですが、それもお経をあげるというよりは、物語を読むように読んでいました。

そんなある日の事でした。
先に嫁いでいた姉の子供が急に亡くなってしまったのです。
悲しいことに突然死で、まだ1歳でした。
お母さんなら我が子を先になくすほど辛いことが他にありますでしょうか。
子供の頃から本当に優しい姉でした。毎日涙しているとのこと。
姉の心を思うに、何をもってすれば良いか。
一連の仏事の後も、寄り添うことしかできずにおりました。
そうするうちに私はふと「そうだ。観音経を持って行ってあげよう。」と思いついたのでした。
観音様は三十三のお姿で私たちのまわりにいらっしゃる仏様です。
必要とあらば子供の姿にもおなりになると説かれてありました。
そしてお月様のように闇夜を照らすともいわれております。
ここで言う「闇」とは生老病死の苦しみ、愛別離苦の苦しみのことです。
私は居ても立ってもいられずに観音経を錦の布で包み、鞄に入れ、姉の家へと車を走らせたのでした。

受難を助けてくれたもの

姉の家は車で40分ほどの、自然豊かな田園地帯にありました。
その時私はただ姉の力になりたい。それだけで飛び出したので、なんと免許取り立てで運転技術がイマイチ。という大事なことを忘れておりました。
気持ちだけが先走り、姉の家まであと数百mというカーブのところで、農道に左の後輪を脱輪させてしまいました。

困りました。
当時は携帯電話は世の中にありません。
そしてたまに車が通る程度の田舎道です。
しばらく立ち尽くしていると1台、普通の乗用車が通り過ぎました。「大丈夫?」老人が運転席から聞いてくれました。「今、考え中です。ありがとうございます」その車は通過して行きました。

さあ、どうしよう。左の後輪をもう一度見ていたとき、不思議なことが起きました。
進行方向から1台の工業用車両が近づいてくるのが見えたのです。
大型車ではありませんでしたが、荷台にレッカー車の先についているあのかぎ針のような物がついています。瞬間に、「この車を止めなきゃ。」と思い、手を振って合図をしました。
運転していたのは優しそうな中年のおじさん。
私の車を見るなり「あー、やっちゃったねえ。引っ張ろうか?ロープ積んでるから。」笑顔でした。
そして私が今から要求しようとした事を、おじさんの方から全部話しかけてくれたのです。しかも、ロープまで積んでるなんて。

そこからおじさんは手際よく私の車にロープを結び、あっという間に農道のくぼみから脱出させてくれたのです。ほんの10分ほどでした。
おじさんには何度もお礼を言いました。後でお礼をしたいから電話番号を教えて下さいと伺いましたが、「いいのいいの。こんなこといつもやってることだから。お姉ちゃんもう落ちないように気をつけてね。」と笑顔で爽やかに帰って行かれました。
「観音様・・・?」

その後無事に姉の家に到着した私は、今起きたことを話しました。
この辺は、家もまばらな田園地帯。今工事しているところは無いそうで、「この道を工事車両が通る確率を考えたら、きっと何かの力が働いたんだね」と言って驚いていました。
姉は観音経を手に取ると、「ありがとう。供養に読んでみるね。」と言い、息子の遺影に手を合わせたのでした。私も「観音様と一緒に助けてくれてありがとう」と手を合わせてお礼を言いました。紫陽花が美しい初夏の出来事でした。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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