冷めたお味噌汁
小さい頃、家族なのに馴染めないと思い込んでいた。
父と母は私のことは好きじゃなくて、姉ばかりが好きだと思い込んでいた。
今振り返ってみると、私は相当愛想のない子どもだったし、扱いにくかっただろうな、と思う。それをひしひしと感じていた幼い私は、家族が集まる食事の場がとても苦手だった。三人の会話の話に入ることができず、一言も放さずに食事を終えるのは日常的だった。
それから数十年。家族との食事の時間が恋しくてたまらない。
きっかけは高校生の時。両親が一日中働いていた時期の事。
両親が仕事を掛け持ちし、一日中働いていた時期があった。
私が部活動を終え帰宅すると、母はすでに次の仕事へ行った後。ダイニングテーブルには、ほとんど毎回用意してくれていた晩御飯についての説明が、置手紙で残されていた。今の時代、ラインでいいのに。そう思いつつも、それを大事に読んでいたのは、心の底では愛情だと気が付いていたからだと思う。
その後すぐに父も帰宅し、二人で食事をとった。しかしゆっくりはしていられない。私はテレビを観ながらゆっくり食べる一方で、すぐに父は「ごちそうさま」と立ち上がった。次の仕事の時間がやってきていたからだ。
顔を上げると右手にお箸を持ったままの私に、申し訳なさそうに謝る父の姿。そして、いってきます、と手を振り背を向けた姿が映る。左手には母がつくり、父が温めてくれたお味噌汁。下を向くと、私の泣きそうな顔が反射していた。情けない。高校生なのに。寂しい、と思うなんて。柄にもなく涙が止まらず、お味噌汁はさめてしまって。続けて思い出したのは、父と同じように謝った母の姿。
「ひとりでご飯食べさせてごめんね」
あの時は「テレビ観てるし、全然大丈夫」と返した。
「寂しくない?」
あの時は、なんて返事したんだっけ。
学校のお昼ごはん、ばかみたいに友達と笑っていた私はどこに行ったのか。
誰かと一緒に、食事を囲む幸せを、どれほど当然なものだと勘違いしていたのか。
姉に続いて実家を離れた今。家族そろっての食事は稀になった。
今では疎外感を感じることもなく、和気あいあいと笑顔が絶えない食事時間。生きているなかで、好きなものを食べることにこしたことはない。
ただ、誰と食べるのかも、慎重に考えたい。おいしいね、って。そうだね、って。笑いあえる人と、これからもごはんを食べられますように。