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拝啓、化粧と縁遠かった日の私へ

はじめに

 本日化粧品の整理をした。
 私はどうにもドラックストアを通りかかると己の瞼や唇や頬が100000対くらいあるものだと誤認してしまう性質を持っているらしく、そして給料日前になるとその認識が加速の一途をたどるため、アイシャドウやリップ、チークが凄まじい勢いで増えていく。もちろん際限なく買えるほど私は高給取りではないので、そこそこ厳選しているのだが、厳選してもまあまあかわいらしくない額の金を使っている。すべてあたりというわけではないが、それでも選んでいる最中のワクワク感、買った直後の達成感、使用しているときの至福感は何物にも代えがたい。ちなみにプチプラもデパコスも好きだ。前者は比較的手軽に購入して着飾れる楽しさと企業努力の凄さを、後者は「ええのか?いま私はデパコスを装備しとる女やぞ」という無敵感を味わえるので、可能であれば毎月両方とも大量に買いそろえたい。
 そんなことをいまでは宣うようになった私だが、昔は化粧が苦手だった。正確に言うと「縁遠い」といおうか、とにかく「私には関係ない」という気持ちがものすごく強かったのである。

 ということで(?)本日は化粧品を「関係のないこと」だと認識していたころの思い出の話をしようと思う。ちなみに先んじて言うが、これは「化粧をしない女は女じゃない」といった思想のもと書いたものではもちろんない。ただこれを読んで、「ああこういう風に化粧を好きになる人もいるのね」という感想や「なるほどじゃあ明日ドラックストアで惹かれたアイシャドウでも買ってみようかな」というちょっとした展望を持ってもらえれば大変うれしい。ゴールデンウイークの暇つぶしの一環に、是非ご覧いただきたい。

多分かなしかったころ

 化粧が縁遠い、とは言ったが、正確に言えば化粧自体に興味はあった。ドラッグストアで化粧品コーナーを通りがかれば必ず足を止めてしまっていたし、着飾る女の子が出てくる漫画も好きだった。ただそれでも「苦手」だと思ってしまっていたのは、おもに私の瞼のつくりととある発言が原因だと思う。
 私の目はいわゆるぱっちりとした二重ではない。一重の、よく言えば切れ長だが、エキゾチック云々ではなく単純に目つきが悪い。「あんたの目は二重にしたらかわいらしくなりそうやねんけどなあ」と、コロナ禍で整形ブーム(?)があった際になかば本気で母から整形を進められたことがあるくらいである。ちなみに母は天然物の平行二重で、弟二人はその遺伝を多分に引き継げたため割とかわいらしい顔をしている。なので私の顔が不憫だったのだと思う。ある意味母心だったのだろう。ただ私は別に自分の目が嫌いではなかった。特段好きでもなかったけど、それでも変えたくなるくらいみっともないものだと思ったことはなかったのである。
 だからというか、私は自分の印象を変えるためにむやみに動くのを「負け」だと謎に認識していたのである。当時は大学生だったので、なんとなく化粧をするのが「あたりまえ」として認識されているのは薄々察していた。だからBBクリームと口紅、チークはかろうじて持っていたが、そのほかはノータッチだった。今現在の瞼を1000000000対くらい持っている気持ちでアイシャドウを買いあさる女と同一人物とは思えない。
 あとはもう一つ、父親のとある発言だ。たしか友人との付き合いでアイシャドウを買った直後くらいだったと思う。全く興味はなかったけど、とりあえず付き合いで買ったとはもったいなかったので一度だけ塗ってみたのだ。その顔を見て父親が「目がバケモンみたいやなあ」と言った。多分色の重ね方が悪く、隈がひどい状態に見えたのだろう。目の形に関してはあまりよく思っていなかった母親は、しかし基本的に私が着飾ることに関しては肯定的だったため「そんな言い方ないやろがジジイ!!」と怒っていたが、言われた瞬間すごく自分がみっともないように思えてしまった。多分かなしかったのだろうなあ。コンプレックスになるらしい目元も、そこに少し加えてみた手間を笑われたのも。ちなみに父親はすぐに謝ってきた。そのとき「いいよ」といえたのかはよく覚えていない。

いいやんね、一重でも

 と、いうような背景によって、「自分にはアイシャドウが似合わない」「だから自分には関係ない」「そもそも私の目は変えないといけないくらいみっともないんだから」という意識が無意識のうちに植え付けられていたようで、その出来事以来BBクリーム・チーク・口紅の3つ以外を触ることは全くなかった。ドラックストアの化粧品コーナーすら見るのが嫌になっていたのだ。かなしかったし、自分の目は形を変えなきゃみっともないものなの?という思いでいっぱいだった。
 
 その認識が少しだけ変わったのは、久しぶりに会った高校生時代の友人と遊びに行った時だった。友人の目は私と同じ一重だったが、私とは違ってしっかりと化粧を施していて、オレンジ色のアイシャドウがとても似合っていた。それを見て「その色可愛いな」と何気なく言ったところから会話のラリーが始まって、その時に友人が言った言葉がすとんと腑に落ちた。
「いいやんね、一重でも。瞼に色塗んの楽しいやん」
 どういう流れでそういう言葉が出たのかは覚えてない。ただその言葉を聞いて、私は「瞼に色塗るのってそんなに楽しいの?」と気になり始めた。きれいになりたい、でもかわいくなりたい、でもないきっかけだったが、その日友人と別れた後、スギ薬局でアイシャドウとアイラインを買った。その時買ったのはたしかヴィセのジェミィリッチ アイズ(BE-1)カラーインパクト リキッドライナー(BK001)だった。理由は見た目がかっこいい、色が使いやすそう、というものだったと思う。

瞼に色を塗るのは楽しい

 次の日、買ってきたアイシャドウを塗った。YouTubeのメイク動画を見ながら、自分の目の形に合わせて塗った。塗って分かった。瞼に色を塗るのは楽しい
 自分がきれいになるためとか、そういうところではなく、瞼に色がついていることがなんとなく楽しかった。しかもキラキラしてる。かわいい。それでアイラインを引いて、そのときようやく、「この目のかたちに似合うアイシャドウやアイラインのひき方を知ったらもっと楽しくなるのでは?」と思うようになった。そして興味が目元から肌そのもの、眉、口とと広がっていき、大学を卒業するころには普段使うメイク道具が「下地・コンシーラー・フェイスパウダー・アイシャドウ・アイライン・チーク・口紅」になっていた。その後「肌がきれいに見えるともっと楽しい」となってファンデを探す旅に出て、「肌が光っているとテンションが上がる」となってハイライトを買い、「彫りが深い感じも意外と似合うのでは?」となってシェーディングを買った。工程は増えたが化粧をするのが楽しくなった。そして今に至る。
 こうやって化粧にハマるにつれ、自分の目をみっともないと思うことがなくなった。瞼の色や目元の線によって印象を変えるのが楽しい。そうおもえるようになって、「一重でもいいやんね」と思えるようになった。

拝啓、化粧と縁遠かった私へ

 何が言いたかったかというと。別に誰かに向けての化粧ばかりがおしゃれではないし、それでもよくない?という話になるのかもしれない。
 いろんな人が「かわいい」という目の形は確かにあって、でもそうじゃないからと言ってべつにみっともなくないのだ。そしてそもそも、自分をよくみせることが出発点じゃなくてもいい。楽しいとかそういうので十分だと私は思う。
 だから拝啓、化粧と縁遠かった私よ。お前の目は別に悪くはないし、お前が思っているほど化粧を他人事にする必要はどこにもない。あれはあれでいいもんだぞ。化粧をしているとなんとなくだが、ちょっと強くなった気もしてくる。多分部族が抗争の前に化粧を施すのと心持は似ているかもな。それはめちゃくちゃ人によるだろうけど。一つだけええこと教えたるわ。
 
 瞼に色塗んの、思ってたより楽しいで。


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