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58 認知・意味付けから行動の背景について考える

ものごとの全体像を捉えるフレームワーク「氷山モデル」を参考に、これまで行動の背景要因を記事にまとめていきました。今回は、最も最下層である「意識・無意識の前提」について考えてみたいと思います。


意識・無意識の前提とは

意識・無意識の前提の説明です。

そして、さらに深いレベルには、そのシステム構造の前提となっているいろいろな意識・無意識レベルの前提や価値観があります(メンタル・モデルともいいます)。そもそもの目的や前提のレベルで、誤った目標を追求したり、勝手な解釈や他責、過度の一般化などが見られる場合には、根本を問い直す必要があります。この例でいえば、販売員の間で「後先のことを考えずに、自分の目の前のノルマを達成できればよい」と意識または無意識レベルで思っているのかもしれません。こういった意識レベルに働きかければ、自律的に学習し、つねによりよいパターンへの変化を創り出す個人や組織を作り上げることも可能です。

このように、行為者の視点がどのレベルにあるかによって、行動の特性が変化します。できごとレベルならば反応的な行動、パターンのレベルならば予測や計画に基づく行動、構造レベルならばより創造的な行動、そして意識・無意識の前提レベルならば学習と生成的なあり方からの行動となります。

氷山モデル 「根っこにある構造と意識・無意識の前提の相互作用に切り込む」参照

この説明によれば、構造の下に意識・無意識の前提が存在します。
この意識・無意識の前提や価値観は、いわば人的要因や環境要因から刷り込まれた認知・あるいは意味付けと捉えることができそうです。

認知・意味付けから考える

つまり、「いい、悪い」「好き、嫌い」という感情の凸凹です。
例えば、初対面のあいさつを思い浮かべてください。
過去、初対面で色々な人と仲良く交流することができた、上手くいった、楽しかったというたくさんの成功体験がなされた人は、自然とオープンマインドになり、自分から話しかける、仲良くなる、打ち解けようとする行動ができます。
一方で、初対面でガチガチになるとか緊張するとか、怖い、恐怖を覚える人もいます。それは、過去に初対面でうまく打ち解けられなかったり、傷ついたりした失敗体験を重ねている可能性があります。余計に、「こうゆうことがまた起きるのではないか」と畏れてしまっているのです。
このような認知の違いで大きく行動が変わってくるのです。

小学校入学までに、幼少期までの家庭環境、幼稚園・保育園での保育環境、地域での関わりなど様々な人的要因、環境要因から様々な認知・意味付けがなされてきます。
さらに、小学校でも担任、クラスメイト、上級生や下級生、課外クラブなどで同様な認知・意味付けがなされてきます。
ここで、注意・叱責や失敗体験を多く重ねてきた子どもは、ネガティブで誤った認知・意味付けがなされ、認知がゆがんでしまうことがあります。
想像してみてください。ずっと怒られてばかり、「勉強ができない」とほめてもらえず、休み時間にも補習をする、がんばったことは認めてもらえない、こんなことが続けば

もう、おれはだめなんだ
勉強なんてやったってだめなんだ
どうせやったって失敗ばかりなんだ

という気持ちになってしまうのは仕方がないことではないでしょうか。

ある小学校の例から認知・意味付けの大切さを考える

ある小学校の例を挙げると、4年生の頃、大きく荒れていました。その評判は広い地域で知れ渡っており、「この学年は悪いからな!」と子どものいる前で話す保護者もいるほどです。子どもたちは、

「学校では、ちゃんとしなくていいや」
「俺たちは悪なんだ。これがかっこいいんだ」

などゆがんだ認知の意味付けがなされ、授業中の離席や暴言にとどまらず、体育館に勝手に入って遊び散らかすなどの不適応行動を起こしていました。このため、特別教室はすべてカギがかけられ、勝手に入れないような対応を取っていました。

5、6年と学年が上がるにつれて、人的要因、環境要因が改善され、
学校が楽しい やればできる 学習や、学校行事を頑張ろう みんなと仲良くしよう
と改善が見られました。

「俺たち、4年生の頃、全く授業になってなかったもんな!」
「俺たち、4年生の頃、悪かったもんね!」

など、まるで他人事のように話す子ども実際にいます。嘘のようで、本当の話です。
つまり、ゆがんだ認知の意味付けから正しい認知へ書き替えられたのです。

ポジティブとネガティブな認知・意味付けがなされた場合の違い

「大人は信用できない」「教師は信用できない」
という意味付けがなされている場合は、もう、そもそもこの子には色々な声かけや指導がそもそも入らない状態になっています。

「どうせぼくは勉強なんてやったってだめなんだ、できないんだ」
「やったってどうせ失敗ばかりなんだ」
という学習に対して失敗体験ばかり起きて意味付けがなされている場合、そもそも学習をしようとしない場合が考えられます。

表れてくる行動がポジティブだった場合は、当然とがめられたりすることはありません。
一方、ネガティブだった場合、他人に危害を与える場合、子の場合、不適応行動になり、指導の対象になるのです。
指導の対象となる行動は、
暴れる
跳び出す
大声を出す
抜けだしたり、逃げ出したりする
パニックや暴言
他害行動
などでしょうか。
また、無気力という形で表出し、「全くこの子は勉強しないな」となることも往々にして考えられます。

「ADHDだけある子どもは可愛いものだ」

「ADHDだけある子どもは可愛いものだ」

と小児科の専門医が話されていたことがとても印象に残っています。
ADHDの特性に、認知という意味付けがなされ、それがポジティブのであればよいのですが、
学校なんて楽しくない、教師や大人っていうのは信用できない
というネガティブな意味付けがなされている場合、
ADHD+ネガティブな認知により、指導の対象となる問題行動という形で表出されるのです。

まずは意識、無意識レベルの前提を確かなものにする人的、環境要因をととのえ、温かい養育がなされ、活躍できる場があり、達成感や成就感があり、楽しい学校生活や家庭生活を送ることが大切なのではないでしょうか。

今回の記事は、以上になります。
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