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かけがえのない世界に一人だけの子供として見れるのが本当の教師だ

最近の特別支援教育の流れからか、
子供を科学的、客観的に見とる教師が
増えたように思います。
私も、その1人ですが…

ASDやADHD、 LDをはじめ、愛着障害等、
様々な見方で子供を見てその特性や傾向を
判断しようとします。

確かに、それは客観的に子供を捉えようとすることであり、間違ってはいません。
しかし、私が警鐘を鳴らしたいのは、

子供一人のかけがえのない存在としてその子を見ているか?

ということです。
オーダーメイドの教育が叫ばれていますが、それは
障害の特性で一括りにするのではなく、
一人の人間として、その子を見て、一人ひとりに合った教育を行っていきましょうという意味です。

科学的に検証できるあまり、子供を愛する感性を減らしてしまっていては、
教育の失敗につながるのではないか?ということを言いたいのです。

もちろん、私もできていないことが多々ありました。
ASDの特性のある、こだわりを持って我慢ができず、すぐに暴れてしまう子供という
レッテルを貼り付けてしまったこともあります。
当然、指導がうまくいくはずもありません。

指導や支援の手立てとして、発達障害の特性に応じたものを当然計画はしますが、
いざ子どもの前に立てば、一人の子供です。
思い切り愛し、思い切り可愛がり、成長のために全力を尽くすことが
教師の役目であると私は考えます。

子供をどんな眼差しで見ているのか?

一人の障害のある子として一括りにしていないか?

かけがえのない世界に一人だけの子供として見ているか?

教師は、常に念頭に置いて関わりたいものです。

今日の記事は以上になります。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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