第7話 動き出し
どちらが声をかけて上に行ったのか、あまり覚えていない。エリリカだったかもしれないし、アリアだったかもしれない。とにかく二人は、五階にあるエリリカの部屋まで移動していた。
エリリカは自分の部屋に着くなり、いきなり床に崩れ落ちた。
「お疲れ様でした」
「うっ、ひっく・・・・・・ありが、とう」
アリアは優しく声をかける。エリリカは一層強く涙を流した。アリアには、エリリカが無理をしていることが分かっていた。「大丈夫」「無理しないで」という言葉より、今の言葉が最善なのだ。アリアが支えているからこそ、エリリカは堂々としていられる。
しばらく泣いた後、エリリカは涙を拭いて立ち上がった。泣いたことで気持ちが消化され、少し落ち着きを取り戻す。声を上げて泣き続けたせいで、エリリカの声は若干嗄れている。
「ごめんね。かっこ悪いところ見せちゃった」
「気を張り続けると疲れるだけですわ。せめて私の前だけでは、そのままのエリリカ様でいて下さいませ」
これは心からのアリアの気持ち。眉を下げて笑っているが、エリリカが無理をしていることは見え見えだった。王女たるもの、どんな時でも国民を導かなくてはならない。だからこそ、自分と二人きりの時には肩の力を抜いて欲しい。
思いが通じたのか、エリリカは気の抜けた表情を見せる。
「アリアが傍にいてくれるから、強い私でいられるんじゃない。あなたがいなかったら何もできないわ。アリアにはずっと見守っていて欲しい。私からのお願い。お父様とお母様がなぜあのようなことになったのか。それを突き止める手伝いをして欲しいの」
「私はずっとエリリカ様の傍におります。どのような結果が待っていようとも、あなた様と共に」
「ありがとう。ねぇ、アリア」
「はい?」
エリリカの声色が、真剣なものから甘いものに変わった。アリアは緊張してしまい、肩に力が入る。
「大好きよ」
エリリカの凛とした、優しい声で囁かれる。耳が熱くなり、全身がむず痒い感覚に襲われる。
「っ・・・・・・。そう言って頂けるのは光栄ですわ」
「もうっ! それだけなの。もっとこう『私もエリリカ様のこと大好きですぅ』とかさ~」
「そ、そのようなことは言わないです。もう手伝いませんわよ」
「わぁ~、ごめん。冗談じゃない」
元気が戻ってきたからか、アリアをからかう余裕が出てきたらしい。半分は空元気だろうが、調子が戻ってきた様子を見て、アリアはほっとした。
エリリカは両腕を組んで、事件についての考えを巡らせる。
「何から考えるべきか迷うわね。私に気を遣わずに、意見があったらアリアも言いなさい」
「かしこまりました。早速で言いづらいのですが、お二人は毒で殺されたと考えて間違いなさそうですわね」
「それくらいはっきり言ってくれた方が助かるわ。真横で見ていて、ワインを飲んだ瞬間に倒れたのを確認した。ワインに毒物が入れられたと考えて間違いないと思う。あとは、クレバ医師の解剖結果で裏づけを得るだけね。クレバ医師が優秀な方で助かったわ」
エリリカは両手を合わせて拝むような仕草をした。クレバ医師は国の医療を支えるだけでなく、司法解剖もできる。彼に任せておけば、早くに正確な情報を提供してくれる。
死因は後回しにして、アリアは疑問に思っていることを口にする。
「なぜ、エリリカ様だけが毒をお飲みにならなかったのでしょうか。そもそも、お二人だけを狙っていたのか、三人の中の誰でも良かったのか。それも分かりませんわ」
「グラスの色を思い出してみなさい」
アスミがグラスを運んできた時のことを思い出す。いつも三人が愛用しているグラス。三人の内、エリリカのグラスだけが薄い緑がかった色をしていた。対してフレイム夫妻は、二人とも赤みがかった色のグラスを使っていた。
「毒を盛った犯人は、私だけが違う色のグラスであることを知っていたのね。だから、ピンポイントでお父様とお母様だけを狙えたんだわ。色を知らない、または三人とも殺すつもりなら、全部に毒を入れれば良い。言い換えれば、グラスの色を知ってる上に、私を殺すつもりがなかったから、赤色のグラスにだけ毒を入れたってことよ」
エリリカを殺すつもりがなかった。この言葉に、アリアはほっとした。彼女がいなくなったら、生きる意味を失くしてしまう。
「毒を入れる時間があった人も、聞き込みをしないと分かりませんわね」
「フレイム城の関係者からアクア城の関係者まで、グラスの色を知っている者は大勢いるわ。毒の入手経路から犯人を探るのは、クレバ医師の結果が出てからね」
「犯人の人物像を狭めるのは難しそうですわね」
ここでエリリカが、苦々し気な表情でメモをひらつかせた。真っ白なメモ用紙にわざと汚く書いた文字。たった一行なのに嫌でも印象に残る文章。無意識の内に、アリアは姿勢を正していた。
「どこの誰が、何の目的で、誰に当てて書いたかって問題もあるわね」
「『ワインに毒を入れた人物=このメモを書いた人物』と考えて良いのでしょうか」
「材料が少ない以上、それは早合点な気もするわね。毒を入れた人物は、その現場を何者かに見られていた。何者かは毒を入れた人物に便乗してメモを貼った、ってことも考えられる。別々な人物ってのも偶然が過ぎる気がするけど、論理的に消せない可能性は捨てるべきではないわね」
このメモを持ってきたアスミの表情を思い出す。お盆の裏に貼られていたというメモ。得体の知れない犯人は、一体何を考えているのか。筆跡からは全く読み取ることができない。
「あとは、『お前たちは罪を犯した』って文章の意味ね」
エリリカは小さな声で呟く。まるで自分に言い聞かせるように。
アリアはあえて、その言い方には気づかないフリをした。
「この『お前たち』というのが、どの方達のことを指しているのか分かりませんわ。それさえ分かれば、この文章の意味も犯人に繋がる手掛かりも掴めそうですのに」
「ワインの側にあったんだから、お父様とお母様のことを指している可能性が高いわ。あんまり考えたくないけど。もしくは、罪を犯したのが第三者で、二人を殺したことが第三者への警告になるって可能性もあるわ。この場合は、お父様達が第三者の犯した罪に関わっていることになる。どっちにしろ、『コジーとエリーは罪を犯した』と犯人は思っているはずよ。毒殺までしたのだから、そこには何かあるはず。やはり、真実を知らなくては」
エリリカの瞳がキラリと光る。自分の両親が殺された。しかも、自分の知らない罪を背負っていたかもしれない。彼女はこんな状況でも冷静に判断できる。こんな状況でも瞳の奥にある輝きは消えない。
アリアは自身の心にひっそり誓った。この方が堂々といられるように隣で支えよう、と。
「さぁ、明日からの行動に備えて話をまとめましょう。
一つ、犯人は二人だけを狙って毒を入れた。つまり、私を除く二人にだけ動機があった。
二つ、『メモを書いた人物=毒を盛った人物』なのか。そうだとしたら、メモの意味は何か。
三つ、犯人は誰がどのグラスを使うのか知っていた。
四つ、犯人には乾杯以前に毒を入れる機会があった。
あえて当たり前のことも言ったけど、人物像を絞る手掛かりは今のところこの四つね」
エリリカは、人差し指から順番に指を立てていく。アリアは四つの項目をメモに書き込み、白いエプロンのポケットにしまった。
「今日はこんなところね。明日は関係者に話を聞いて回りたいわ。まずはアスミに、ワインを持ってきた時の状況を詳しく聞きましょ。クレバ医師の検死結果が出たら、お父様達の葬儀も行いたいわ」
エリリカは窓の外を見る。空はすでに、真っ暗な闇に覆われていた。パーティーが始まった時は、明るかったはずなのに。
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