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[人材育成]理想の上司とは ーヘルシングにみる上司像ー


理想の上司とは

僕は漫画が好きだし、歴史が好きだ。小説も好きだ。漫画や小説にもいい上司はたくさん登場していた。何人か例をあげたいところではあるが、理想の上司ですぐにあがったのは、平野耕太著漫画「ヘルシング」のペンウッド卿だ。

海軍の指揮官をつとめる彼は自他ともに認める無能な男であったが、最期は大勢の敵に囲まれながらも指揮官の務めを果たし、敵もろとも自爆した。

敵が迫り来る中、司令部の機能もほとんど失い、インテグラは撤退を提案するが、彼は持ち場を離れることを拒否する。それは責任を果たすためであった。ペンウッド卿は司令部の部下たちには脱出を命じるが、部下たちは彼の命令を聞かず、「あなたじゃコンソール一ツ動かせないでしょ」「いつも通り座っててください 仕事の邪魔ですから」と司令部に残った。司令部に残ることは死を意味する。しかし彼らは笑って、ペンウッド卿と責務を果たした。

自分が死ぬと分かっていてなお、上司を支える部下。それだけの人望をペンウッド卿は持っていた。彼は特殊能力など持ってはいないし、ヒーローでもない。臆病で頼りない、頼まれたら断りきれない気弱な人物として描かれている。しかし、最後まで責任を全うする意志のある人物であった。

無能だが男の中の男

ペンウッド卿の死に触れた友人は、彼をこう評している。

「彼は無能だ だが 彼は男の中の男だ」

平野耕太著 「ヘルシング」より アイランズ卿


上司は有能である必要はない

僕はペンウッド卿に理想の上司像の一つを見ることができると思う。

それはなぜか。指揮官としてのつとめを最期まで全うしたということ。そして、その最期まで部下が自発的に彼に従ったということだ。

彼は無能かもしれない。だが上司としては理想的なまでに有能だった。

上司は別に有能である必要はない。管理職が個人として有能なのは以前の記事にも書いた。

個人として有能なのではダメなのだ。一線を引き、全体を見ることができなければ管理職、上司になってはならない。

有能な上司は無能

なぜ有能なはずの人間が上司としては無能なのか。理由の一つは責任を取ろうとしないからだ。部下に対して責任を取らない上司は部下からの信望は薄くなる。

無能な上司ほど動きたがる

無能な上司ほど、自分で動きたがる。断っておきたいのは、個人としては上司は有能であるということだ。

プレイヤーであることが抜けきらないのだ。だが、それは部下を心から信用していない証でもある。

部下にしても、信用も信頼もしていない上司のもとで働きたいと思うだろうか?

上司とは管理職とはプレイヤーではない。それほど自分で動きたければ出世しなければいいのだ。

上司にも言い分はあろう。「部下に任せられないから、自分がやるしかない」

そういう上司がいたら、言ってやろう「アホか。管理職など辞めてしまえ」

その椅子に座ったなら、座り続けることが仕事の一つだ。不安があろうと部下に任せる。信頼できる部下に任せるのもいいが、そうでない部下にも任せるのもいい。人が活躍する場を与えるのが上司の役目だ。

覚悟がいる。部下が失敗したら責任を取らなければならない。責任を取るということが管理職のつとめだ。

それをしない、責任を未然に回避するなどもってのほかだ。自分で動きたがる上司は自分で動くことで責任を回避しようとする。だから個人としては有能であっても上司としては無能なのだ。

理想の上司になることは難しくない

ペンウッド卿は天才でもなければ、頭が切れる人物でも、豪傑・英雄でもない。

小心で、臆病で、友人にもバカと馬鹿にされる自他ともに認める無能な人間だ。おまけに娘ほど歳の離れたインテグラに毎度のように無茶な頼み事をされるほどの気弱な男である。

だが、彼は男の中の男だ。そして理想の上司でもあった。

理想の上司になることは難しいか? 答えは否だ。

彼の性格は現代日本人の縮図のようなものだ。彼の人間性は多かれ少なかれ日本人は持っているはず。ただ一つ、責任感を除いて。

部下に対する責任、自分に対する責任を全うすること。義務を果たすことができれば、理性の上司になることはそう難しいことではない。


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