ステラおばさんじゃねーよっ‼️84.海洋散骨旅〜おむすび
👆ステラおばさんじゃねーよっ‼️84.海洋散骨旅〜月夜の人魚-3 は、こちら。
🍪 超・救急車
宿に戻ると、外は土砂降りになった。
鳥海島ではこの時期、台風の盛りであるのを失念していた。
稲妻は天空をところどころ不定期に裂き、轟く雷鳴は脳天を痺れさせ、不安な気持をいっそう増幅させる。
宿泊部屋のふすまを開けると、身支度を整えた知波が部屋でひっそりと待っていた。
「おはよう。朝から長めの散歩だね。でもぎりぎり降られなくて良かった!」
知波は笑顔でカイワレに話しかけた。
「そうだね。長過ぎて疲れた」
そう言ってカイワレは板間に寝ころんでしまった。
「朝ごはん、いいの?」
知波はカイワレを揺すったが、既に寝息を立てている。
よほど疲れたのね、と思いつつさっき女中が押入れに片づけた上掛け布団をふたたび取り出し、無造作に寝ころぶ息子へそっとそれを掛けた。
そしてカイワレが起きたらすぐに何か食べられるよう、おむすびを作ってもらう事にした。
⭐︎
カイワレを起こさないように、台風で薄暗くなった部屋でレース生地のカーテンをかぶり、窓際に寄って知波は読書した。
その本は、《大人の恋》というタイトルの恋愛小説で、カイワレの前では開けない本だ。
恋のお相手は息子の仕事関係のお得意様・若森で、知波もうっすら彼に恋している。
けれど四十路の自分がまさかこの年齢(とし)で恋をするなぞ想像すらしていなかったから、今どきの恋愛トレンドを知るところから入ろうと、この本を手に取った。
台風で吹き荒れる外の状況に反し、知波は暢気に自身の恋と向き合っていた。
いくつになっても恋をすれば、醜く弱い自心を詳(つまび)らかにされる。
今となれば、裸を見られるよりも恥ずかしい事でもある。
登場人物の男女の心の揺らぎやその駆け引きを客観的にのぞき見ながら、作中で躍動する男女の恋もようを追いかけた。
⭐︎
カイワレは充電切れのスマホの如く、ずいぶんと動かない。
カーテンの中では物語に描かれる淡い恋心を自分に重ね、カーテン越しからはすぐそばで横になる息子の寝姿をうかがう知波は、フィクションとノンフィクションのはざまで罪悪感を愉しんでいた。
「うーーーん…」
カイワレが大きな寝言を発し、掛け布団を振りほどく。
「大きな赤ちゃんですこと」
と呟き、布団をやさしく元に戻そうとする。
誰かの気配を感じ取ったカイワレは、急に身体を起こした。
「あれ、俺…寝ちゃってた?!」
知波は慌てて本を閉じ、鞄にそれを放り込んだ。
そして寝惚けるカイワレに、知波は何事もなかったかのように、
「2度目のおはよう!短かったけれどよく眠れた?」
とカイワレの顔間近で言った。
知波に顔をのぞき込まれたのが照れくさくて、カイワレは顔を背け、
「…うん」
とだけ応えた。
「お腹、空いたでしょ?おむすび用意してもらってるから準備するね」
あたたかな眼差しで知波はカイワレを見、そそくさと厨へ向かった。
カイワレはぼーっとしながら現実に引き戻されたのを実感し、しばらく瞳を閉じた。
想像以上に夏男からの告白が、カイワレには堪(こた)えた。
逃げ出してしまいたい…といつもの弱い自分が頭をもたげる。
水差しポットの水をコップに注ぎ、口を湿らせ気持を落ち着かせた。
部屋の静寂とはうらはらに、吹き荒れる雨風が外窓を叩く音や建屋全体が軋む音で耳孔を支配する。
それは嵐が過ぎ去るきざしとは程遠く、不穏なものでしかなかった。
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