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風に揺れる芒 二日目

 空調の、凛気を纏った、だが、何処か無機質な涼風が頬を撫で、そして部屋の主を睨め付ける内に、私は眼を醒ました。すると、私の眼前に、良く知りもしない女の貌が、全く実にこれもまた物々しく、事によっては勿体をつけつつ、其処に在ったのであった。…………依然、状況は変わらず、か。一夜を女と「共寝」し、「後朝」を迎えれば、その全ては夢幻か、或いは幻相と化し、私は日常へと回帰する筈である。……その様な、非常に澹然(たんぜん)とした、浅薄な願意も、また私の内に在ったのであるが、最早それは無残にも、霧散するに至った、という訳だ。あいも変わらず女の容貌は、全く憎らしい程に整っている。……しかし、これ程の美貌を湛える羞花閉月(しゅうかへいげつ)と共に畏日(いじつ)の朝暾(ちょうとん)に浴するのは、悪い気はしない。さて、この日に私は墓へと参ろうと、昨日意志していたのであった。また、同日に私は旅行へと赴こうと予定していた。故に、旅路へ向かう前に、父祖に対晤(たいご)を請おうと、為したのであった。
 私の先祖の墓は、とある山中に在る。幾度も訪れている場ではあるが、全く、神聖と不気味が邂逅し、久闊(きゅうかつ)を叙している様な、そんな勿怪(もっけ)立った場だ。余り、訪(とぶら)いたくなどは無かったが、私の眼前にやはり女が軽浮している以上、興は乗らなかったが、来ざるを得なかったのだ。女は、昨日と同様に、白括りの衣にその身を包み、あいも変わらず足のみは裸身であり、白沓(はくとう)をその身に纏うことは終ぞ無かった。私は墓石に水を掛け、線香を立て、瞑目(めいもく)し、手を合わせた。……友人の推断の通りであれば、これにて私の面前から女は消散する筈であるが……………………その瞳に、太虚(たいきょ)でも映じているかのような、その様な深淵を覗き見る、虚ろな、事によっては茫漠とした、顔貌。……弔慰が、不足していたのでは無かろうか。私は墓石に水を掛け、線香を立て、瞑目し、手を合わせる。…………私の、勘の方が正しかった様である。……出来るのであれば、これで、煙滅し、そしてこの女が私の祖先の内の一人であった、という結尾であれば、良かったのだが。……これから推察するに、女は、別段、私と何らかの関係の在った何者か、ではなく、むしろ、唐突に、突如として、青天に霹靂(へきれき)が舞うが如くに、私に取り憑いた、そういった類の霊であるのだろう。……さて、それは、多分に私に於いては懊悩(おうのう)の物種と成り得るのであった。即ち、この女が私から去る条件が、全き不明のものとなり、またこの女の本色へと迫る方途も、灰燼(かいじん)の暗夜へと失してしまった、という故にである。これは、女が私に永劫、憑き続ける可能性が存する、ということを暗示している様でもあり、少々であるが、狼狽と鬼胎の念を私に抱かせた。……だが、これ程の沈魚落雁(ちんぎょらくがん)を、生を受くる間、己の眼中に常に捉えられるのは、それはそれで良いのでは無いだろうか、と、狼狽は鳥鳴に、鬼胎は期待へと変転し、墓を後にする。では、行こうか、と、女に一声掛けたが、その返事は無い。しかし、女は確かに私に憑いて、共に旅路を行く。一体何故に、この女は私に取り憑くこととなったのであろうか。私には、それが杳(よう)として知れぬことであった。
 友人に、余り心配をかけるのは、忍びないことである。私は友人には墓参りをしたら消えた、といった旨の内容を送信し、車へと乗り込む。友人は、よくあることであると納得した様であった。一刻の後、さて、旅情に浸り、水簾(すいれん)の齎(もたら)す清涼に身を窶していた所、一つ、気が付いたことがある。彼女は、幾ら飛沫が己に飛ぼうとも、その響応(きょうおう)を全く受けない様であった。彼女は、常に一定の体表を保ち、私の五指と同じく、水沫もまた彼女を素通る様である。……昨日のことと、これを考慮するに、おそらく、彼女には、何らかの実体あるものは、干渉するに能わないのであろう。故に、光の影響は受けるが、我々、有形の有情からの介入は、一切受け入れないのではないか。……等と、思案した矢先に、一驚を喫した。浮揚したと思えば、その次の刹那にて、彼女はしっかりと、その両の素足を、地につけ、立ち、そして歩んでいたのである。……一体、これは、如何様に釈すればよいのであろうか。幽霊は、基本的に、実体を有するものとは、干渉しない、といった仮定は、最早此処にて、実に、脆弱に、惰弱に、潰え去ったのである。つまり、此岸から彼岸へは、何らの干渉も、おそらくは行うに能わないのであろうが、彼岸から此岸へは、何らかの形式に於いて干渉が可能であるのだろう。……が、よく眺むれば、彼女は歩いているのではなく、その足を、ただ地へと近付け、歩む様な動作を行い、その肢体を移動させているのみの様であった。……つまり、浮遊しているのであろうか。しかし、彼女の足跡が、地に刻まれていた様にも、思われる。……これは……。……問は、積もるばかりであり、一向にその解を見せようとしていないことのみ、全く明哲にして瞭明のことであった。全く、幽霊というものは、不可思議な者である。というよりも、人間はその生の終末を迎えれば、この様に、二界の覇者と、成り得るのかも知れないが……。
 その後、夕食の席にて日読みの酉(とり)が供され、私の家族は良い気分となり、恰も私の前に漂泊する幽鬼が如くに浮かれ、酒乱が如くに騒いでいた。これならば、どの様な問を為したのであれ、おそらく一笑に付されるであろうと、やはり私の眼前を浮漂し、揺蕩っている、件の女が見えないか、問うてみた。……その結果だが、夏の疲れを疑われ、寝床へ入ることを、此度も勧められたため、再び、女が私以外の人間には不可視の者であることが、確認された。……夏の疲れであれば、どれ程良かったことであろうか。私は夏に疲れている訳ではなく、夏に憑かれているのである。……だが、これもまた、歴とした現であるのだ。現実には、「現実的」な何事かしか、起こらぬものである。平時、我々はその様な無意識的な仮定を持って、日々を享受している。だが、それはあくまでも無根拠な一つの確信、即ち、原信憑に過ぎないのだ。我々は、幽霊に取り憑かれる以前に、その様な信念に、夢魔が如くに纏わり付かれ、取り憑かれているのである。しかし、その信念が幾ら強固で堅固な、岩塊の如きものであったとしても、現というものは、全く複雑怪奇な様相を、我々に垣間見せ、あわよくば、その内へと我々を誘(いざな)い、その信念をいとも容易く破砕しようと試みるのだ。我々は平時、その誘いに猶予い、躊躇(ためら)い、逡巡し、そして引き返す。そうせねば、我々の日常性にとっては不都合であるのであり、時として、それは我々の持つ世界に対する像を一変させ、我々の世界観に厖大(ぼうだい)な変更を迫ることとなるが故に、である。……だが、時に、幾多の縁によってその道の帰り路は閉ざされ、前へと進まざるを得なくなる。そして、その道の先に居たのが、この、私の前の中空に舞い、地を我々の様に這い、虚空を凝望する佳人であったとするならば……。万の縁が一の事象の因となり、また一の事象が万の縁となる、それが、私の在る世界である。この幽霊もまた、その様にして私の前へと、その姿を現出させたのであろう。一の必然の為せる業か、或いは、万の偶然の為した業か……。何れにせよ、彼女は、私の眼前に存し、在る。それが、厳然として、荘重(そうちょう)な面持ちを掲げつつ、私の前の現として、呈されるのであった。旅情が、私の内にて去らぬ儘(まま)に、女は、私を誘う。或いは、更なる、遠き旅路へと……。その様な予感めいたものが、私の心中を領しては離れず、私が瞑目し、意識を迷夢へと追いやるまで、居着き、彼女の開かれた、だが、朧気(おぼろげ)な視線の先を、私に思わせるのであった。彼女は、明日の朝光の内にも其処に在るのかも知れない。しかし、明日の暁日(ぎょうじつ)には、私から去るのかも知れない。……私には、それは杳として知れないことだ。だが、彼女の現れた縁、そして彼女が私から去る縁も、おそらく何処かに存するのであろう。……それは、一体、何なのであろうか。……問は、尽きず、二日目を後にすることとなった。

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