風に揺れる芒 一日目
事の始まりは、鬱屈と怠惰の領する、とある盛夏の一日であった。私はおそらくその当時の日の昇りから考えるに、丁度正午に程近い時刻に、両眼を覆う緞帳(どんちょう)を、億劫(おっくう)ながらも大儀そうに、物々しく上げたのである。すると、私の眼前に、知りもしない女の貌が、全く実にこれもまた物々しく、事によっては勿体(もったい)をつけつつ、其処に在ったのであった。さて、濡羽(ぬれば)の長髪を有した女の顔貌は非常に良く整っており―しかし、唇は蛭の様であった、という直喩は当たらないが―衆目を介すれば、それは正しく、美人と類されるものであった。そして、眼を下に遣ると、女は白い衣服―私の思うに、ワンピースというものであろう―を着用しており、其処から、細腕、白魚の五指と、半ば此方が窃視している様な、そんな背徳的で蠱惑(こわく)的な心持ちとなる、幽艶(ゆうえん)な美を湛える素足が、覗くのであった。年の頃はおそらく二十歳か、それを少々越した程に思われた。とはいえ、私にとって、そう思えた、と言う程のことでしか無い、ということも全く真である。私にとって、この寝ぼけ眼の面前に存する女は全く嬋媛(せんえん)であるが、何処か薄幸でありそうな、その様な人物であるかの様に、思われた。つまり、眼を遣れば、見惚れる程の、美人であった、という訳だ。だが、この女の容貌に気を取られるのは、全く贅言を要さぬ程、私には尋常の事であるようにも思われたのではあるが、此処に於いて、何故かは知らないが、私の内に、違和の念が、亀裂から垂下する清水が如くに湧き、残余する鈍重な眼痛が如くに、私に憑いて離れぬのであった。……そう、全く、その違和感は、私に憑いて離れなかったのだ。丁度、何かに、譬えば、幽霊に、憑かれたかの様に……。
私は其処に至り、己の違和の念の本色を得たのであった。私がこの女に抱いている不和の念は、私が共寝する関係の女を有しないことでも、この女の顔貌を見知らぬことでも、況(ま)して、私の枕下を女が暗き晦冥(かいめい)でも覗き見るかの様に凝望していることでも、無かったのだ。寧(むし)ろ、それらよりも前に、存することであった。私の知る限りに於いて、生物というものは、およそ三つの領界に住まうものである。この三界というのは、当為のこととして、海、陸、空であるということには多く言を要しないだろう。そして、この内、海には魚等の海の獣どもが、陸には犬等の陸の獣どもが、空には鳥等の空の獣どもが、それぞれの領域をしろしめしているのである。更に、これらの生類は、それぞれの所領を互いに侵犯することなく―鳥が陸に降り立つ例も有るが、どの様な規則にも例外は存する―その生を全うすることとなる。即ち、鯵は陸を以て暮らすこと無く、柴犬は空を以て暮らすこと無く、鴉は海を以て暮らすことが無い、という訳だ。人間もその例に漏れず、陸の有情として日々を思い暮らしているのであり、事実、私も、陸の成員としてその生活の大半を、定めとして受け入れ、謳歌している。……そもそも、全く奇幻なものではないか。私は横臥している。女の面目は、私の眼前に存し、私は眼下を見ることにより、女の母趾に至るまで、垣間見るに能う。……平時であれば、臥している私が、少なくとも直立した人間の全身を認識するのであれば、おそらくその身を起こさねばならないだろう。しかし、現にその当時に於いて、私は大殿(おおとの)に臥せった儘に於いて、女の全容を確認するに能ったのであった。即ち、女は陸に足をつけてなど、いないのだ。この場合、考えられることは、二つである。私が女と一夜を明かし、そして隣に女が寝ているか、或いは……女が……女が、「宙空に浮いているか」……だ。先にも述べた通りだが、私に後朝(きぬぎぬ)の別れを為す関係に在る女は、これは実に悲嘆に暮れるべきである事実かも知れないが、無い。そうであれば、必然的に後者の選択が、私の思案として最も適切なものとなるであろうことは、全く当然の如くであった。……だが、仮にそれを私の考慮の範疇に措定したとして、それは全く理路として当然のことであろうが、同時にそれは全くの妄語にも、荒誕不稽にも思われた。何故か。当然であろう。我々人間は陸の生物であり、陸に於いてのみ、生を享受するに能う存在である。つまり、人間は……少なくとも私の浅学の内に於いては……空に舞う、白雪の如き存在ではないのだ。……しかし、全くの無謬を以て、女は……私の眼前に存する女は、白雲の如く、中空を浮漂し、浮揚し、軽浮しつつ、其処に確かに在るのであった。私の違和の念は、正しくそれに端を発していた。……人間は、空に在らない。だが、現に、私の眼前に、浮く女が在る。……これは一体……。
人間、己が夢幻の内に在るか否か、という極めて遠大深遠なる問いの前にては、頬を抓(つね)る、という方途で、その解を得ようとする嫌いがあるようだ。……私は頬を抓った。……頬には鋭痛が走り、この状況が、正に現にて生起したものである、ということを思い知らされる。人間は、宙に浮かない。……しかし、人間は、ある存在へと転化すれば、宙を漂泊するに足る者となる。……だが、それはあくまでも俗説の一つとして人々に信じられ、実際にそうであるかは、不明のことである。しかし、現実に眼にした以上、私は、この様に結論せざるを得なかった。
この女は、幽霊である、と。
私は身を起こし、頬を再び抓った。……痛い。やはり、現実、か。
その後、部屋の扉が突如として開かれた。母である。覚醒と惰眠の間に在り、忘失していたが、既に時は昼食の刻であった。母は私を忙しなくその席へ召し出そうと、その取手に手を掛け、次いで力を掛けたのだ。……母の頭上に揺蕩(たゆた)う女のその姿形と、この奇態な光景は、実に奇妙な感興と、矮小故に、形を成さない憂懼(ゆうく)を、私をして起こさしめ、階段を一段、踏み外すこととなった。その後、昼食として用意されていた素麺を啜り、麦茶を呷り、一服つくと、やはり、母の頭頂に、白妙の衣に身を包んだ女が浮遊している様が、全くの具体性を以て私の眼中へと呈されるに、半ば辟易となる。……そういえば、母には全くこの女の貌が、認識されていない様に思われる。……私にしか、この女は見えないのであろうか。物は試しに、母に、女の姿が、或いは、全き見知らぬ女の、その中空に漂う姿が、見えるか、と、問を発した。……もう一度、寝床で横になることを勧められることとなったが故に、どうやら、私以外には、女の姿は確認され得ない様であった。問を終え、素麺は消え、麦茶が無くなると共に、二階の私室へと戻り、机上に浮かぶ女を、凝視する。服装、顔貌は、以上に述べた所のものであったが、一つ、気に掛かることがあった。……私は、この女に、触れるに能うのであろうか。手を伸ばし、女の、その素足に指を伸ばし……たが、私の示指は女の脚部が、其処に存在しないものであるかの様に、其処が全くの中空であるかの様に、光条の一閃が朦霧の帳を薙ぐかの様に、素通り、擦り抜けていった。……この女には、私は触れられない様だ。確かに、一般的な通念に於いては、幽霊は大抵、不可触の者である。そうであれば、真にこの女は、幽霊、というものであるという蒙昧な確証が、また一つとして増したこととなる。歓迎すべきことではなかったが、この女が幽霊である、ということがより瞭然となる程に、私の内に在った憂懼は失せ、その代わりとして晴れの日に眼にする様な、その様な躁的な狂乱が、私の内にその頭を擡(もた)げることとなる。
さて、この女が幽霊であるとするならば、所謂、心霊写真というものを、撮影するに能うのではないだろうか。昨今では、微小な光球も映り込むことがあるとされている様だが、またそれも、闡明(せんめい)とするに能うであろうか。私はこの女を写真機の硝子に収め、撮影し、女が写真の像となっていることを験し次第、友人にこれを送信した。そして、何が写っているか、と問うと、私の机上に無造作に、無骨に、繚乱した夥しい品々の数々を列挙したため、どうも、写真に収めたとて、この女は私のみに見られるものである、ということが、確認された。その後、友人に、件の女霊が視認されることを伝えると、半ば不審の眼差しを受けたが、墓参りに行くように忠告を受けた。……私の父祖に、果たしてこの様な麗人が在ったのであろうか。私は再び、何処か物憂げで、虚ろな倦怠の様な、その様な生の倦怠に耐えかね、死者と為ったかの様な、女の面輪(おもわ)に眼を向ける。……如何様にも、私はその推断を受容し難かったが、兎も角、翌日に御先祖の終の棲家へと参ることを、決めた。……女は尚も一心に何処かを凝望し、凝視し、或いは散漫に眺め、その気を何処かへと遣っているかの様な、そんな容貌を浮かべ、そして浮かんでいる。私は、女に誰何(すいか)したが、女は我知らず、と、尚も一心に何処かを凝望し、凝視し、或いは散漫に眺め、その気を何処かへと遣っているかの様な、そんな容貌を浮かべ、そして浮かんでいた。……此方からの問は、女の在る彼岸へと、伝達され得ない、ということであろうか。または、此方の存在を、女は認識するに能わない、ということであろうか。その時分、既に黄昏と暗夜の境であったが、女が消亡する気配も、溶暗する澎湃(ほうはい)も、煙滅する様子も、全く見受けられなかった。私には、全くと言って良い程、霊感なるものが無い。それが故に、霊的な事象には、これに至るまで、全く経験が無かったが、件の友人から伝え聞いた所によれば、霊というものは、突然見える様にも、なる様である。だが、それは大抵の場合、不時にして去るものであろう。即ち、朝には幽鬼を嘱目するに能ったが、夕には幽鬼が消散し、何をも見られなかった、という様に。しかし、私は、そうなっていない。……往々にして、この様な場合、それから導出される結句というものは、こう、なるのであろう。…………つまり、私はこの女に憑かれた、と。………………取り憑かれることにより、生出されるであろう、所謂、霊障といった類のものは、よく伝え聞かれることではある。……未だ、私の身には起こっていなかったが……。兎も角、丁度良い機会である、御先祖に顔を見せることとしよう。そう、私は思案し、一日目を終えたのであった。…………追記せねばならないが、幽霊は、光らないらしい。少なくとも、私に憑き、中空を揺蕩うこの女は、我々と同じくして、己の身を置く光陽の具合に合わせ、己の姿形を変幻させる様であった。……幽霊が、彼岸のものであるとするならば、此岸に於ける変化に対しては一定の状態を保ち続ける筈であるが、全く不可思議なものである。
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