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風に揺れる芒 五日目

 陽光が、眼瞼の晦冥を越え、炯々(けいけい)と夢幻を見つめていた私の眼窩に、射し込むのが、分かる。……朝、なのだろう。私は、醒覚(せいかく)した。やはり、私の眼前に、見知ったが、余り知らぬ女の貌が、全く実にこれもまた物々しく、事によっては勿体をつけつつ、其処に在ったのであった。相も変わらず、爽涼な冷気が、女から感得されたが、おそらく、既に、私はそれに浸り、浸り続け、そして終にはそれに久闊を叙せるが如くに馴事(なれごと)となったかの様である。さて、その様な些事は、至極今の私にとってはどうでも良い戯言であった。五日目にして、ようやくこの暗晦(あんかい)に一つの澪標(みおつくし)が立てられたかも知れないのだ。何と、私に於いても、全く、今日のこの出来事は半ば信じ半ば疑える程であり、信ずるに能わない程のことであった。……女と、この五日目を以て、意志を通ずるに能ったかも、知れない。
 ことの始まりはこうであった。この記録には、一日目からさして重要なことではないように思われたため、記述していなかったのであるが、私は、睡郷から現へと還り着くと共に、眼窩を重々しく、重鈍に、荘重に、厳粛に、或いは、夢見心地で、開くと、女に一つ、挨拶めいた何事かの言語群を、今まで擲(なげう)っていたのだ。挨拶めいた何事か、と記述したのは、挨拶というものは、阿と吽との一雙(いっそう)に於いて成されるものであるからである。私の場合、女の返答など、余り想望してなど、いなかった。というのも、今に至る迄、女は私を認識するには至った様ではあったが、しかし、それまでであったが故だ。また、これは実話を語った―或いは、騙った―文芸作品や映像作品に見られることではあったが、幽霊というものは、彼方から我々を畏怖させ、恐怖させ、戦慄させることによって、此方に干渉することはある。然れども、それらの作品から同じく察するに、此方から会話を行う等の干渉は、一部の特殊な人間の類別を除いては、不可能である、ということがあるのかも知れない、という私の憶念も、女からの回申を、私に期待させなかったのだ。……だが、現というものは、やはり人の想像を超越した全く遥かに奇なるものであるらしい。私は、おはよう、と、女に、或いは、己に、虚空に、全き何ものをも存せぬ空に、言葉を投げ、放った。そして、その言葉は、やがてその姿形を喪失し、再び無へと、帰するものと思われていた。……往時、女は、私を通じて、平時と変わらず虚空を凝視していた。……そして、頷く。……いや、彼女が頷いたのか、否かについて、私は言明するに能わなかった。ただ、女の頭が何の意味をも持たず、空虚に振るわれたのかも知れなければ、女が単に頭を振りたかったのかも知れず、そうではなく、己に纏わりつく何かを、倦怠を、或いは死を、己の存するという事実を、振り払い、遍く存在物から逃れさりたく、己の頭蓋を上下に振るったのかも知れず、さりとて、以上のどれでも無く、私の独言に近しい辞儀に、応えたのかも知れない。……私は、惑乱と驚嘆の狭間に在った。幽霊と、意を交わすということなど、あの何やら奇妙で、胡散臭く、勿怪じみた、しかし、何処か威厳を漂わせる霊媒の如き者にしか為せないことであろう。……しかし、私は、その様な者ではなかった。私は、単に何の因果によってかは知らないが、幽霊を見るに能ってしまった人間である。……けれども、或いは……。女は、確かに私の存在を知覚している。……そうであるのならば、女の認識の深度なるものが進行し、私の言語をも、認識するに能ったのではないだろうか。……今迄の四日間を見るに、女は、時を経ると共に、私の存在を認知していった。……一体如何様な構造によってそれが為されているのか、私の与り知る所では無かったが、兎も角、女が、私と意志の疎通が可能であるのか、確かめる必要があった。私は瞑目し、息吹を整復し、開眼すると、私の言葉が分かるか、と女に問うた。……女は再び、此方を凝望しつつ、天を仰望し、地を匍匐するかの様に頷いた。……なるほど、私は、どうやら、人間の想念を越え出でた領域へと、足を踏み入れようとしているらしい。私は、正に、現に、在る様だ。
 女は、私の眼前を浮漂しつつ、中空の内に留まり、無動の姿勢を維持している。……私は、女の双眸(そうぼう)に見入った。女の双眼は、最早、太虚も、雲外も、虚空も、虚ろも、深淵も、中空も、中霄(ちゅうそう)も、何をも、捉えていなかった。……ただ、女は、その眼中に、私の両の酔眼を、捉えていたのだ。……私は、女を見ていた。……女も、同様に、私を見るようになった、ということか。女は、今に至る迄、何処かを、一心に、見詰めていた。……私には、そう思われたのだ。……だが、それは彼女のその眼に何ものをも映じなかったが故であるのかも知れない。つまり、彼女は、私が彼女を見るに至ってから、刻々と、様々なるものを、認識したのかも知れない、ということだが……これについては、私には不明のことである。私は彼女ではない。故に、彼女の知覚は、私には分からない。論無く灼然たることであろう。しかし、彼女が真に私を識るに至ったであろう今、私は、こう、彼女に言わねばならない。はじめまして、と。私は、言を発した。……女が頷くことは、無かった。……女が頭を振るったのは、全くの偶(たま)さかのことであったのであろうか。……女は、やはり平時と同じく、何をも在らぬ中空に一心に眼を向け、それきりであった。……幽霊、であるから、この様な事象が存在するのか、私の知る所ではない。が、私には、こう思われた。……もしかすると、女は、疲れてしまった、のではないだろうか。……問が、尽きることは、この女が私の前に在る限り、おそらく無いらしい。
 さて、女は、それからというものの、私が太陰の終焉に眼を閉じるまで、やはり何処かへと目を向け、凝視し、凝視し、いや、或いは、何をもその眼中に在らぬ、と、散漫に朧を眺めでもするかの様に、中空を漂っては、地を這っていた。……私の言に応えたのは、全くの偶然であったのか、または彼女の気紛れか、何れにせよ、後日、更なる検証を行う必要があると思われた。……だが、もしも、彼女に、真に私の音声が及び、そして彼女がそれに応えていたとするのであれば、あの女には、まず私の姿が見え、そして私の声が聞こえた、ということとなる。……これは、一体どういった現象であるのだろうか。まず、私の思案の内に在ったのは、全くの形而下に於ける両要素の相違点であった。光速は、音速よりも非常に迅速なものであることは、良く知られ、人口に膾炙(かいしゃ)する所のものである。幽霊に於いても、それが例外ではなく、故に、私の姿形が、彼女に於いてまず初めに呈されたのではないか、という憶説が、一つである。或いは、音というものは、光の劣化したものである、という命題を掲げた厚大な記述を、眼にしたことがある。この命題がそのまま適用され、光が女の―もし在るとすれば、の話ではあるが―感官により精強に訴求し、それに比して微弱であろう音が、その後に彼女に知覚されたのではないか、という憶説も一つである。……しかし、此処に於いて問題となるのは、女は、私の声というものを、私から発せられる音素群を、そもそも聴聞しているのであろうか、ということである。女が、私の如くに、聴覚器を用いて音を知覚している、とは、考え難い。幽霊は、全き形而上の存在ではないが、しかし、全き形而下の存在ではないだろう。そして、幽霊は私の様に、鈍く、重く、指示を聞いては怠惰に安眠を貪る様なこの肉塊を、有してはいないのだ。……私の声が、女に、私と同じ様に聞かれるとは、私には到底思われなかった。それが故に、私に於いては、先に列挙した二つの憶念の、その何方もが誤謬の様に、思われるのである。けれども、そうであるとすれば、女は、一体、何を以て、私に二の句を、その頭蓋にて告げるに至ったのであろうか。……言葉ではない。……いや、言葉ではあるのかも知れないが、しかし、音声ではない。……或いは、言葉に載せられた、私の思念そのものに、応えたのだろうか。…………解は得られず、思念は逡巡し、袋小路を堂々と巡り廻る。……驚嘆と、思量に、些か草臥れてしまった様である。私室の照明を消し、おやすみ、と言った。……女が此方に眼を向け、頷いた様に、思えたが、これは私の欲が故のことであろう。……この様な暗夜の幽闇に在っては、彼女が、見えない。五日目を、これにて終える。

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