第6回 タールニ・ディネルカ・ヴィジェースーリヤさん
こんにちは!
社会福祉法人サンシャイン企画室の藤田です。
前回第5回が遠い彼方にいっちゃって、でもでも忘れず帰ってまいりました「わたしと介護」の第6回でございます。
今回はなんと広島は中区幟町にあります介護福祉の専門学校「トリニティカレッジ広島医療福祉専門学校」の介護福祉学科の生徒さんでありますスリランカからの留学生タールニ・ディネルカ・ヴィジェースーリヤさんにお越しいただき、ご本人はもとより、母国でありますスリランカのこと、そして介護のことについていろいろとうかがってまいりました。
タールニさんはトリニティの他の学生さんと一緒に2022年度・2023年度の2年間「地域貢献」という授業の一環としてサンシャインに毎週水曜日の午前中に来所され、サンシャインの近所にお住まいの方々をサンシャイン1Fの「交流スペース」にお招きしての交流会(「サン燦トリカレの会」)を開催したり、地域の方々のお家まで出かけて食事を作って差し上げたりといった活動をされてこられました。
そんな縁でお知り合いにならせていただいたタールニさんに、今回はこんなインタビューまでさせていただきました。本当にありがとうございます。
前置きはこのぐらいにして、ではまいりましょう!
今日はトリニティカレッジ広島医療福祉専門学校の生徒さん——と言ってもこの3月(2024年3月)に卒業されるわけですが——スリランカからの留学生のタールニさんにご来所いただき、タールニさん自身のこと、スリランカのこと、日本のことなど、色々とお話を聞かせていただきました。とても日本語が得意なタールニさんですが、以下のインタビューではより読みやすい形で掲載させていただいています。
タールニさんのこと
藤田 まずお名前をお聞きしていいですか?
タールニさん(以下敬称略) はい。タールニ・ディネルカ・ヴィジェースーリヤといいます。「タールニ」というのが名前で、「ディネルカ」がミドルネーム(わたしはひとつだけど中には3つ4つある人がいます)、「ヴィジェースーリヤ」が姓(お父さんからもらった名前)になります。タールニの「タル」はシンハラ語で「星」という意味で、「ディネルカ」は「光」という意味です。スリランカでは名前は生まれた時間に関係してつけることが多いです。わたしの名前は「光る星」なので、きっとわたしは夜に生まれたのかなあと思います(笑)。わたしの名前をシンハラ語で書くと
となります。
藤田 ありがとうございます。なんだかレースの裾の模様みたいで素敵ですね(笑)。これは表音文字っていうことになるんですか?
タールニ そう。全部で60くらいあります。
藤田 タールニさんはスリランカのどこ出身なんですか?
タールニ わたしはスリランカの東の方。(紙にササッとセイロン島の地図を描いて)こっち(西の方)は首都。スリ・ジャヤワルダナブラ・コッテと言います。コロンボのすぐ近く。コロンボは有名。
藤田 そうそう。刑事コロンボで有名ですね(笑)。ところでタールニさんは中学とか高校とか、あるのかな?
タールニ 日本と違うけど、小学校が5年、中学が6年、高校が2年あります。義務教育は中学まで。わたしは高校まで行きました。
藤田 へええ。日本だとこのあと大学とかありますけど、大学とかもあるのですか?
タールニ あります。高校の卒業試験で合格したら、上の人達は国立大学に入れます。
藤田 はああ。そうですか。それでタールニさんは高校を出られて、どういう経緯で日本に来られたんですか?
タールニ わたしは中学の最後の学年から高校にかけて日本語を学びました。語学の授業の中にスリランカ語(シンハラ語)と日本語、どちらかを学ぶか選べるときがあって、日本語を選びました。それから高校を卒業してからは少しずつ日本語を教えるようになったのですけど、日本のことを深くは知らないので一回ぐらい留学したいと思い、日本語を教えたり通訳をしたりしてお金を貯めて、(今はもうないけど)東京のTIJという日本語学校に入学したのです。21歳のときでした。そこで1年9ヶ月勉強したのですが、なんだか寂しく感じていました。それから帰国して日本語の先生として働きました。技能実習生とか特定技能とかの資格で日本に行きたいという学生さん相手に日本語を教えていたのです。日本語能力試験のN4とかN5ぐらいの学生が相手でした。でもわたし自身経済のことで悩んでて、日本に行った方がいいかなと考えるようになりました。でもそのままでは就職して働けないのでどうしようかと思っていたら、トリニティの留学制度のことを知ってさっそく申し込みました。
藤田 へええ。でもそれまでトリニティのことはまったく知らなかったのでしょう?不安はなかったですか?
タールニ 介護の仕事に就くために世界中から日本へ来てますよね。それで自分もそうしようとしたのですが、介護の勉強ってこんなに難しいとは思わなかったです。トリニティから教科書を13~14冊ぐらいもらって、こんなにあるの?と思って、本当にビックリしました。トリニティがどんな学校なのかまったく知らずに来たけど、いいことたくさん学ぶことができた。それは一番うれしかった。
藤田 じゃあ日本で働きたいとは思っていたけど、介護の仕事をしようとは思ってなかったわけですよね?
タールニ そう。介護をやりたかったのは心の中にあったんです。何をして働こうかなと考え始めた頃、人と関わる仕事がいいなあとは思ってました。いつもお母さんとそんなことを話していました。高齢者や子どもと関わるような仕事をしたいなって。でもコロナの時代が終わって、少し経った頃、おばあちゃんもお父さんも少しずつ体の機能が低下してきて、緊急搬送で病院に運ばれるようなこともあったのですけど、そのときどうやって介護したらいいのかわからなくて困りました。ですから、介護を学んでおくと、将来的にはお母さんやお父さんの世話とかできるようになるから大事だなって思いました。
藤田 スリランカの人は大きくなっても家族と一緒に住むって聞いたんですが、そうなんですか?
タールニ 3世代一緒に住んでいる家族もよくあります。首都とか街の方では、お父さんお母さんとその子どもだけの家族のこともあるけど、おじいさんおばあさん達が亡くなるまでは子どもたちが見守りとかその介護をすることが多いです。
藤田 スリランカには介護の施設とかはあるんですか?
タールニ あることはあるけど、いいイメージはない。虐待とかあるって聞くということもあるけど、(それ以前に)施設に入れる家族って、いいイメージはない。なんで自分のお父さんお母さん捨てる?って。
藤田 なるほど。少し前の日本もそんな感じでしたね。それでトリニティに入って、今回卒業されるということですが、介護福祉士の試験はどうでした?うまくいきましたか?
タールニ はい。試験までの勉強の時間は足りなかったと思うけど、無理に勉強して、泣いたり頑張ったりいろいろで。でも試験はうまくいった。思ったよりうまくいきました。過去問よりも(今回の試験では)考える問題が多かった。でも自己採点で90点ぐらいありました。
藤田 それはすごいです。90点あれば大丈夫ですね。
タールニ でもまだ正式に発表されてないから。
藤田 いやいや。大丈夫でしょう。大体正しいですからね。メモっておけば。
タールニ でも先生が言われてましたが、昔の学生でマークするとき一個ズレてたみたいなことがあったとか。
藤田 ああ、そうそう。それはありますね。でもまあ大丈夫でしょう。それでこの春からの就職先はもう決まってるんですか?
タールニ わたしたちの場合は日本の学生たちと違って、学校に入る前にスポンサー?が決まっていて、卒業したらそこで5年間働くことになっています。
藤田 なるほど。そう聞きますね。ええと、話は戻りますけど、タールニさんは最初、日本には東京に来られたのですよね。でもここは広島ということになりますが、(東京に比べて)どんなお気持ちでしたか?
タールニ 東京は結構寂しく感じました。にぎやかで、騒がしくて。そんな中で寂しくなるって一番嫌なんです。それよりも景色がいい所がいいんじゃない?と思って。広島は山とか川とかたくさんあって、いいんじゃないでしょうか。東京はストレスになった。個人的には緑の周りが好きなんです。ビルがたくさんある周りよりも緑がたくさんある所が好き。
山本 先程から感心しながらお聞きしていたのですけど、タールニさんすごく日本語お上手ですね。本当にすごい!
タールニ ありがとうございます。
藤田 ホントです。わたしも助かります(笑)。それで春からはそのスポンサーさん?のところで働かれるわけですね?
タールニ はい。今その近くの社宅に住んでます。家賃は無料です。今はそこでアルバイトとして働いています。
藤田 その社宅には仲間はおられるんですか?
タールニ はい。スリランカ人はいないけど、EPAの方が10人ぐらいおられます。インドネシアとかから。
藤田 ははあ。仲良くやっておられますか?
タールニ 施設で働いている時間を除くとあまり関わる時間がないです。専門学校に行っている間は週に18時間アルバイトをやっています。平日に2時間で、土日で8時間です。なのであまり時間がないですね。
藤田 はああ。それは大変ですね。学校もあるし。バイト代とかはもらえるんですか?
タールニ バイト代というのではありませんが、生活費として月に10万円もらってます。この施設はとてもいい施設で、病気とか困ったことがあったら、病院まで連れて行ってくれます。わたしは胃炎になったり、コロナにもかかりました。駐輪場でめまいがして倒れそうになって電話したらすぐに連れて帰ってくれました。ホントにいい施設。いい人ばっかりです。
藤田 そうですか。良かったです。もうすぐ専門学校を卒業されるわけですが、卒業したらその施設に就職されるのですね?そしたらお給料とかは?
タールニ それは日本人と同じになります。
藤田 そうですか。じゃあお給料がグンと増えますね(笑)。
タールニ そう(笑)。4月が楽しみです(笑)。
藤田 その施設は特養(特別養護老人ホーム)ですか?
タールニ 施設にはデイサービスもありますが、わたしは特養です。
藤田 そうですか。(トリニティの)O先生も仰ってましたが、その施設での(5年間の)仕事が終わると学校(トリニティ)で先生になられる?
タールニ そうそう。それも先日先生から聞いたんですけど、研修とかを受けたら介護の先生として働くことができる!
藤田 へええ。いいですねえ!
タールニ いい!ホントにいい(笑)!いいねって思った(笑)。
藤田 いいねえ(笑)。
タールニ でも将来はわからない(笑)。
藤田 そうか。やっぱりスリランカへ帰りたいよね?
タールニ ううん。帰りたくない。お母さんとかお父さんに会いたくて帰りたいんですけど、生活を考えたら日本が一番。
山本 うーん。なんか感動しました。すごいです、タールニさん。しっかり生活のことを考えておられるのですね!
藤田 結婚とかも考えてますか?
タールニ 考えてるけど、まだもうちょっとこのままでいいってお母さんには言ってる。お母さん、結婚しようしようって言うけど、まだまだ。わたしは長女で、弟と妹がいるんです。妹はもう結婚してるけど、弟はやりたいことがあるみたい。だから弟の将来のことを手伝って、やりたいことをやらせてあげたい。だからまだまだ結婚はしたくない。後2年ぐらい?家族のために頑張りたい。
藤田 あれれ?なんだかもうお目当ての方はおられるみたいですね(笑)?
山本 そうなんですか?おめでとうございます(笑)。
タールニ いえいえ。まだわからない(笑)。人間って変わるものだから(笑)。
スリランカのこと
藤田 それでは今度はスリランカのことをお聞きしたいと思います。この間、タールニさんから(トリニティの)O先生へ、スリランカと日本との関係性を描いたドキュメンタリーのYouTube動画を紹介されたそうですね。それを観たO先生はすごく感動されて、わたしも先生にそれを教えていただいてその動画を観させていただきました。でもこういうことがあったなんてわたしはちっとも知りませんでした。
藤田 この話はスリランカでは有名なんですか?
タールニ 歴史の時間に教わります。そのジャヤワルダナ大統領のスピーチは、鎌倉に銅像と一緒に記録されていますよ。
藤田 へええ。そんなことまったく知らなかったです。
タールニ わたしも(鎌倉には)行ってませんけど、動画で見ました。ジャヤワルダナさんの名前が英語っぽいのは、最初キリスト教徒だったんだけど、後で仏教徒になったからなんですよ。
藤田 へええ。よく知ってるなあ。わたしたちは学校で現代史は教えられてないからなあ。
タールニ 日本人がそうしたことを知らないっていうことを、スリランカ人はよく知ってる(笑)。東京の日本語学校にいってたときもこの話をしたら、学校の先生知らなかった(笑)。
広島に来て平和資料館を見学すると、日本の人は可愛そうねって思う。涙が出るくらい。
藤田 そうですね。あのあたりのことをわたしたちはまだ整理できてないんだろうと思いますよ。だから学校で教えてない。
ところでスリランカのことですが、スリランカではタミル人とシンハラ人との間の抗争が長くあったっていいますね?
タールニ タミル人がタミル人の中でLTTEっていう、何ていうのか言葉がわからないけど(イーラム解放の虎ですね?)、そうそう。それがタミル人やスリランカ人やイスラム人を殺害したりとか、いろいろあったみたいです。
藤田 詳しいねえ!
タールニ 大変でした。
藤田 内戦は終わったけど、コロナが起こって国家として破産したって聞きましたけど?
タールニ 内戦を終わらせた大統領がその後いろいろやったんですけど、その人が中国から借金して、そこからどんどん破産へ向かっていった。たぶん将来の子どももそれを払わないといけない。その後は内戦を終わらせた大統領の友だちが大統領になって、今はなんとなく収まっているみたいです。でも物価がすごく高くなって、生活できない人がほとんどだって聞きます。
山本 それは大変ですね。お父さんお母さん大丈夫?生活は?
タールニ こっちから毎月仕送りしてるから大丈夫です。
藤田 国としてのスリランカは、これまで知らなかったけど、調べてみると大変ですね。だから(タールニさんは)日本で生活したほうがいいと思われるんですね。そういう人は多いのですか?
タールニ 多い。イギリスとか、オーストラリアとか、ニュージーランド、カナダとかへ出ていってます。日本への留学も多い。
藤田 中でもどこが一番多いのですか?
タールニ 前は日本が多かったけど、(スリランカが)破産してからは経済的な理由で外へ出ようという人が多くなって、そうなるとイギリスとかが多いです。みんなは行けないけど、行ける人は(外国へ)行って、家族を助けるという人が多くなってる。生活するならスリランカがいいけど、経済的にはこんなふうに(外国から仕送りとかして)なんとか手伝ってあげるっていう方がいいと思います。
藤田 中学のときから日本語を勉強して、スキルを身につけて
こうして日本で働いているっていうのはすごいことですね。ホントたくましいです。
タールニ たくましい?
藤田 タフだなっていう
タールニ たふましい?
藤田 いやいや、英語のタフ(tough)という。
タールニ ああ(笑)!でも責任が重い。
藤田 そうですねえ。今の話もそうだけど、スリランカの人は家族愛がすごいですよね?結婚しても一緒に住んだりするんでしょ?
タールニ そう。うちの妹も同じで、結婚して、子どもも旦那さんもみんなうちのお父さんお母さんと一緒に住んでる。
日本のこと
藤田 こうしてタールニさんは、東京に2年、広島にも2年、日本におられるわけすが、日本に住んでて、このあたりスリランカと違うなあとかって思ったことはありますか?
タールニ 日本は安心して暮らせる環境があって、女性として大事に?尊敬して接してもらえる感じがして、それ日本人ならふつうだねって思うのだろうけど、スリランカから来てみると、本当に安心して暮らせると感じる。東京にいたときも、アルバイトして夜中に帰ることがあって、そこに酔っ払ってる男の人がいても、触られるとか、そんな心配がない。安心して暮らせるねえって思う。スリランカだと夜はちょっと危ない。だからお母さんも夜になったら外にでたらだめって言われてました。
藤田 そうだよね。そう言えばついこの間のことなんだけど、宇品を車で通ってたら、自転車の人がきて、若い男の人だったんだけど、そこに止まってスマホでなんかしてて、なにしてるんだろうな?思って見てたら、そこに落ちてた財布を拾ってね、それから走り出すわけ。財布はこんなに分厚くて、それをどこかに入れるでもなく、手に持ってハンドル握って、どこかに行こうとしてるのね。それ見て、ああ、多分スマホで近くの交番を探して、そこへその財布届けるんだなってわかったの。それがこんな分厚い(5cmぐらい)財布なのよ。ふつう中を見てさ、お金があったらお金だけ抜いていかない?って思って(笑)。日本はそんなとこがスゴイなと(笑)。
タールニ うんうん。スリランカならそうするかも(笑)。日本はそんないいことがある国。日本て。
藤田 でも暮らしてて人間関係とか親しみやすさとかどう?
タールニ そう、それ!スリランカだと、仲良くなると個人のこともなんでも話すけど、日本に来たら、個人情報ってよくあるので(笑)、よく気をつけないといけないねえって思う。ここで水曜日やるサン燦トリカレの会でも、写真とか撮ってもSNSとかに流せないのは決まりっていうことはこっちに来てわかった(笑)。でもよくよく親しくなると、心はこんな人ねってわかる。心はやさしいなって思う。
藤田 こちらに来られて、日本人で親しくなった方はおられますか?
タールニ ええ。今働いているところの部長さん、悩みとかあるといつも聞いてくれたし。たぶんトリニティの最初の面接のときもいてくれた。その人がいるから、安心ねって感じる。お父さんみたい。今は2年間続けてきて、一緒に働く人とか、親しくなった人は2人いる。
藤田 タールニさん個人的には趣味とかあります?
タールニ 趣味?趣味は寝ることなんですけど(笑)。寝ることが一番好き。どこでも寝られる。
藤田 趣味で寝ることってあんまり聞いたことないなあ(笑)。
タールニ 勉強があったので、2時間3時間寝て、また勉強することがあったので、寝ることが一番いいなあって(笑)。その他にも、本読んだりも好きですけど、人の性格がわかることが好きなんです。人間から得られる情報がわかることがいい勉強だと思う。
藤田 へええ。そんなところは山本さんと似てるねえ。山本さんもそんなことが大好きみたいですよ(笑)。
タールニ 楽器とかも好きなんです。前フルートやってたんですけど、うるさいといけないから持ってこなかった。あとクロスステッチが好きです。編み物も好き。
これからやっていきたいこと
藤田 これからのことなんですけど、やりたいことって何かありますか?
タールニ やりたいことは、たくさんある(笑)。
藤田 たくさんあるの?どんなことですか?
タールニ 国のことも考えて、技能実習とか特定技能の学生さんたちを教えるクラスをもったり、(彼らを)日本に紹介するための仕組みを作りたいです。でもまずは日本語能力検定試験のN1を取りたいと思っています。今年の7月(2024年7月)に試験があります。それを受けたいと思います。N1は難しいです。漢字とか。3つのテストがあります。言語知識・読解と聴解があります。
藤田 難しそう。わたしなんか日本人なのにN1通らないかもしれませんね(笑)。その試験は広島であるんですか?
タールニ はい。この前は広島大学でありました。前からの目標なんです。N1を取るのが。
藤田 はああ。そうですか。他にはありますか?やりたいことは?
タールニ 今学んでいる介護をスリランカへ伝えたい。何も知らないで日本に来るとわからないことが多くて困るので、そうならないように、そうした学校をスリランカに作りたいです。そんなことをいろいろ考えるけど、どこから始まるかはわからない。
藤田 そうですね。でもタールニさんは頑張り屋だから、トリニティのO先生とか、Y先生とか、きっと協力してくれますね。
タールニ はい。でも実はあと2つあるんです。やりたいことが。いいですか?
藤田 もちろんです。言ってください。
タールニ スリランカのお店を広島に作りたい。インドのお店はたくさんあるんだけど、スリランカのお店はないんです。だから作りたい。レストランを。
藤田 いいなあ。食べてみたいなあ。でもインドの料理と違うんですか?
タールニ 違う。同じものもあるけど、違う。タミル人の作る料理はインド料理と似ているけど、それ以前からスリランカにいるシンハラ人の料理があって、それが美味しい。
藤田 スリランカの人は右手で料理を食べるよね?
タールニ そう。手で混ぜて食べると美味しくなります(笑)。ごはんの上に乗せて。
藤田 いやあわたしも実は手で食べるのが大好きで(笑)。でもカミさんのお母さんはそれが嫌だったみたい。もう亡くなったけど。藤田さんはいい人だけど、漬物を手で摘んで食べるのがいやだって(笑)。わたしは箸より手のほうがキレイな気がしてね(笑)。そういえば箸はどうですか?使えますか?
タールニ いや、難しい(笑)。スリランカで箸を使うことはないから(笑)。
藤田 そうですか。そう言えばもうひとつやりたいことがあるって言っておられましたね?
タールニ それは結構将来のことなんですけど、お父さんお母さんいない人、そんな子どもとか、レイプされてふつうの社会に交わりたくないなんて思う人。そうした人の暮らせる場所を作っていきたい。スリランカで。それはたぶんお父さんお母さんも手伝ってくれる。
山本 わあー、すごいです。タールニさん、なんか人間力が。すごい。そんなことをやりたいって思う人はあまりおられませんよ。
タールニ わたしの国は困ったことが多い。そんな困ったことが多いからなくしていきたいと思う。
藤田 なるほど。ありがとうございました。では最後に、これ言い忘れたとかこれだけは言っておきたいといったことはありませんか?
タールニ 最近実は介護のことを考えるんです。介護は「仕事じゃなくて心で動いたら」いい介護になるんじゃないかって。でないと困るのは利用者さんだから。心で動いたらいいね、いつも。そう思います。人との関わりだから。そんなことを今はよく考えます。今度の3月24日(2024年3月24日(日))に、広島介護福祉士会の発表にも出てって言われてるので、このことについて発表したい。
藤田 いいねえ。よかったらサンシャインでやろうとしてる育成の研修でも話してくれるとありがたいなあ。
タールニ いや、でもわたしそんな経験がないから(笑)。
藤田 経験なんかなくても、タールニさんと同じような歳の人だってたくさんいるわけだから。素晴らしい刺激になると思います。
タールニ 教えることはできないけど、仲間として情報の共有はできると思います。
藤田 もちろん、そういう形で結構です。よろしくお願いします。いやあ素晴らしいです。すごいお考えをお持ちだと思います。今日は長い間ありがとうございました。この春から働かれるわけですが、よかったらまた来てお話を聞かせてください。また、同じようにスリランカの人とか、スリランカの人でなくてもいいのですが、こうしたインタビューに出ていただける方がおられたらぜひご紹介ください。
山本・藤田 今日はありがとうございました。
タールニ わたしこそ、ありがとうございました。こういうことは思ってもいなかったことなので、とても楽しかったです。ありがとうございました。
はい。いかがでしたか?タールニさんは遠くから来られた方なのに、わたしは彼女にどういうわけかずいぶん近しい印象を感じました。そこにかつての日本人らしさを見出したのかもしれません。
スリランカという国が日本の戦後独立にこれほど大きな役割をもっていてくれたことも今回初めて知ることができました。しかもそうした事態が仏教を通じてなされたことには少し驚きを感じます。
大げさかもしれませんが、仏教が両国に根付いていることで日本とスリランカはこうした関係になることができたのですね。とても不思議な感じがします。
今回のインタビューは単に介護士さんの体験談ということ以上に、国と国、そして仏教の教えといった、もう少し大きく広いイメージをもたらしてくれました。そしてそうしたことが相まって、タールニさんのおっしゃる「心の介護」に通じることになれば素晴らしいことではないでしょうか。そのための「新しい道」を教えてくださったようにも思います。
タールニさんのこの春からのご活躍と同時に、またぜひここに登場してくださいますよう祈っております!タールニさん、ありがとうございました。
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