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薄氷を踏みぬく | ヒマラヤをうろうろと 6

嗚呼、やってしまった。

胸下まで浸かったと同時に、下半身に急激な冷たさが。次いで感覚が一瞬にして遠くなってきます。まずい、とにかく上がらないと。

急いで周囲の氷に手を伸ばしますが、氷は割れていて安定しません。浮いている氷を手繰り寄せて、なんとか氷河上に戻りながらヒーヒー言っていると、シェルパのドミさんが急いで荷物を持ってきてくれました。彼も腰下まで濡れてびしょびしょになっています。

「寒いよ」
ドミさんは一言,私に向かって言いました。

***

5月、春のヒマラヤ。
秋のヒマラヤはモンスーン後の乾季で雨や雪があまり降りません。一方、春は本格的に始まるモンスーン期に向けて、天候が悪くなることも珍しくありません。
日中の気温が上がると、積もった雪が融けて雪崩が起きたりもします。氷河上に設営するキャンプは斜面から離れているので、雪崩の影響は受けません。それでも夜中、何度雪崩の音にビクついてテントから顔を出したでしょうか…

ある日、朝5時過ぎにキャンプを出発した私たちは、氷河上をひたすら上流に向かって進んでいました。目指すは、氷河上流の標高6000m付近です。氷河表面は複雑に隆起している箇所があるものの、シェルパのドミさんが慎重に選んだ道を進むのでストレスはそんなに感じません。

「それにしても、今日は一段と暑いな」、ドミさんとそんなことを話しながら、黙々と氷上を進みます。
高標高域は基本的に気温が低いのですが、快晴時のヒマラヤは日射がとても強いので、行動中は比較的暑く感じることが多いです。この暑さに油断して薄着で行動していると、日が陰った途端に痛い目を見るのですが…

5600m付近で簡単な調査を行い休憩していた私とドミさんは、氷河右岸側の様子を覗きに行くことにしました。右岸側は表面がとりわけ荒れていたので、ほんの少し近づくだけにしようと、休憩地点にザックを置き、2人とも空身で行こうとしたのです。

が,

数歩先を歩いていたドミさんの足元が急に割れ、まずドミさんの足元がすとんと沈みました。次の瞬間、私の足元の氷もバリバリと割れました。
「薄氷を踏む思い」って諺が確かありましたが、何かを思う間もなく私の下半身はドボンと水の中に浸かりました(意味は違いますが…)。

***

「お茶入れたよ」
テントの入り口を開け、ドミさんが甘いミルクティーを渡してくれます。まだ日は射していませんが、青空が広がっています。
昨日キャンプに戻っても止まらなかった震えも、一晩経ったら無事落ち着きました。落ちた後すぐに下半身に身に付けていた服を脱ぎ、レインスーツや奇跡的に持っていた靴下を履いたのが良かったのでしょうか。体調は悪くありません。

「ありがとう、寒かったから丁度良かったよ。」
お茶を受け取りすすっていると、ドミさんがスプーンの柄で私の登山靴を叩きながら言いました。「完全に凍ってるね。」

テントの中に干していた服も凍っているぐらいです。登山靴は完全に凍りついていました。ドミさんのブーツも凍った上に霜で真っ白になっています。

「今日は…、レストだね。」
少し考えながらそう言うと、ドミさんは嬉しそうに厨房用のテントに入っていきました。シェルパもたまには休みたいんですね。

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前回のお話はこちらです。もしよければご一読ください。