すのこ

新潟のとある研究所の片隅でシコシコと研究しています。専門は氷河学ですが、今は防災関係の…

すのこ

新潟のとある研究所の片隅でシコシコと研究しています。専門は氷河学ですが、今は防災関係の研究が主。1989年神奈川県生まれ、(ほぼ)東京育ち。スティーブンキングの本や原作の映画が好きです。

マガジン

  • ヒマラヤをうろうろと

    ネパールヒマラヤでトレッキングしたり調査した時のこぼれ話を書いております。時間軸は特に気にしていません。お時間あるときに是非どうぞ。

最近の記事

MOROHAを聴くといつも自分に刺さる。正直言って痛い。でも何とか前を向こうという気持ちになる。 長期出張が終わって、明日からまた日常が始まる。

    • 天狗礫(2) | ヒマラヤをうろうろと9

      キャンプ中は、氷河の融け水を飲料水として使っています。 そのまま飲むのは勿論良くないので、前日寝る前に沸騰させたアツアツのお湯を水筒に入れておきます。すると翌朝丁度良い温度の水になるわけです。カトマンズで安物の水筒を購入しておくと(200-500円ぐらい)、保温効果が大変しょぼいため水筒自体が熱々になります。これを湯たんぽとして寝袋に忍ばせることで足先が冷えるのを防止しています。お湯は毎晩コックのゴパールが作ってくれるのですが、彼は突然小屋を出て行ってしまったため、火の番をし

      • 秋の週末

        少し前SNSに久しぶりに写真を投稿したところ、見ず知らずの方から「ド下手な写真」という率直なコメントをいただきました。 正直いい気持ちではありませんでしたが、写真をよく見てみると、まあ確かに構図もイマイチですし、奥行きもうまく捉えられていないのでのっぺりとした感じは否めません。色合いが暗かったので明るさを調節してたのですが、自然な色合いを出せていない気もします。 なるほど、確かに上手とは言えない写真だな、と納得しました。何でも評価されるんだなぁ。 所で週末は長野でパラグライ

        • 全て日常のうち

          noteを書くのも久しぶりとなりました。 コロナの影響で桜も見ぬまま春を迎え、長い梅雨が過ぎ、気づけば夏となっていました。 その間特に目新しいこともなく、日々淡々と、でも確実に毎日が過ぎていきました。健康に丁寧に生活しようと、日々のトレーニング量を増やしたり、自炊の頻度を増やしてみましたが、今のところ自身に特段変化は見られません… 1つ大きなことは、車の免許を取ったことです。お恥ずかしいことに、私はこれまで自動車免許を持っていませんでした! 言い訳をするならば、これまで

        MOROHAを聴くといつも自分に刺さる。正直言って痛い。でも何とか前を向こうという気持ちになる。 長期出張が終わって、明日からまた日常が始まる。

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        • ヒマラヤをうろうろと
          9本

        記事

          天狗礫(1) | ヒマラヤをうろうろと 8

          調査も終わり、氷河から一番近い標高4200 mの村に滞在していたある夜のこと。 私は山小屋の隅でお茶をすすりながら、データの整理をしていました。 砂糖と粉ミルクがたっぷり入った見るからに不健康なこのお茶は、山行中だと何故か最高においしく感じてしまいます。例えるならば、海の家やスキー場で食べるラーメンやカレーといったところでしょうか? 板を一枚挟んだ隣の台所では、コックのゴパールがヤク(高地にいる牛のような家畜)の糞を焚火に放り込んでます。標高が高い村では薪がないので、牧

          天狗礫(1) | ヒマラヤをうろうろと 8

          極東はカニと海氷まみれ

           しばらくロシアはサハリンに滞在していました。 サハリン、中々行こうと思わない場所なので、事前に色々調べようと思っていたのですが、結局何も調べないまま渡航してしまいました。持ち合わせていた知識と言えば、1)その昔流刑地であったこと、2)第二次世界大戦前まで島の半分が日本領だったこと、ぐらいでしょうか。 出発前日、「ウォッカはこれ以外で飲むな。」と上司の方がとても小さいショットグラスをくださいました。これのおかげて本当に助かりました。 (ロシアの人と乾杯すると、グラスを一気に空

          極東はカニと海氷まみれ

          大丈夫、きっと報われる

          先日実家の東京に戻っている途中、以前所属していた研究室の学生(留学生)から相談の連絡が来ました。 メールには、研究に関する具体的な質問に加え、どうも最近修士課程での生活に疲れていることや、博士後期課程への進学を辞めるかもといったことが書かれていました。幸い彼は数度のメールのやり取りで大分元気になりました。身近に話相手がいなかったのでしょう。 精神衛生状態を良好に保つことは、一般的な社会人の方々だけでなく学生にとっても非常に重要です。特に大学院生は先の見えない研究生活や就

          大丈夫、きっと報われる

          気づけば日曜夜に

          先月初旬に、英語で書いた論文をとある雑誌に投稿しました。この原稿は6月からぽつぽつと書き始め、8月から本腰を入れて取り組みました。 私は遅筆なので、原稿を書くのにほとんど夏中費やしたことになります。その査読結果が先日返ってきて、残念ながらリジェクト(掲載不可)になりました。 私たち研究者が論文を発表する際には、長い手続きを踏む必要があります。まず論文を雑誌に投稿すると、雑誌の編集者が論文に目を通し、論文の質を大まかにチェックします。 この時点で内容があまりにお粗末な場合や、

          気づけば日曜夜に

          雪国へ

          11月から新しい職場で働くことになりました。それに伴い、10月末に名古屋から新潟県長岡市に引っ越しました。長岡市は人口約27万人と新潟県では2番目に大きな地方都市です。他方、世界有数の豪雪地帯でもあり、冬の間は生活面で結構大変そうな予感がしております。 10月下旬の名古屋はまだ暖かく、夏仕様の服や寝具で過ごしていましたが、さすがは長岡。引っ越しと同時に毛布と布団を使い始めました。 こちらでは駅から徒歩13~4分ぐらいの距離に住むことにしたのですが、地元の人曰くその距離は

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          語学はこぼれ落ちるように

          私は18歳の時に初めてネパールの地を踏んで以来、個人旅行や仕事を含めると現在までに10回以上通っています。 一度行くと結構な日数滞在することが多いので、延べ一年くらいはネパールにいた計算になります。 私はネパールのご飯も、街のごちゃごちゃした感じも、牛は神様なのに水牛はパクパク食べる細かいことは気にしないネパールの方々の国民性?も結構好きです。 なので、彼らと意思疎通を図るためにネパール語を覚えようと勉強したりしてみました。が、どうしても覚えることができません。 勿論、「

          語学はこぼれ落ちるように

          真っ直ぐに歩きたかったけど

          8月は大学のオープンキャンパスがあり、構内で高校生をよく見かけました。私の居室 (学生と相部屋) は大学の隅にあるのですが、暑い中こんなところまで見学に来るんだと驚きました。 大学の学部或いは専門学校でも、高校卒業後の身の振り方というのは、なんとなく、というかかなり自分の将来を見据える部分があるかと思います。これこれこういう仕事がしたいから、私は経済学部にしておこうとか、僕は機械いじりが好きだから工学部にしようとか(身近にそういう人はいませんが…)。 一方で、17・18歳

          真っ直ぐに歩きたかったけど

          休息日には | ヒマラヤをうろうろと 7

          午前11時にもなると、テント内の気温が少し上がり過ごしやすくなってきます。寝袋の中で着ていたダウンジャケットを脱ぎ、外に干そうとテントから出るとシェルパたちが少量のお湯で洗髪をしているところでした。 そういえば、三週間全く触れていない髪の毛はニット帽の中で頭皮と一体化し始めています。耳を澄ますと毛根の悲鳴が聞こえてきそうです。 お湯でさっぱりしたい気持ちに駆られますが、それは下山後の楽しみにとっておくことに決め、テント内に戻ると寝袋に潜り込みます。 キャンプでの休息日。

          休息日には | ヒマラヤをうろうろと 7

          薄氷を踏みぬく | ヒマラヤをうろうろと 6

          嗚呼、やってしまった。 胸下まで浸かったと同時に、下半身に急激な冷たさが。次いで感覚が一瞬にして遠くなってきます。まずい、とにかく上がらないと。 急いで周囲の氷に手を伸ばしますが、氷は割れていて安定しません。浮いている氷を手繰り寄せて、なんとか氷河上に戻りながらヒーヒー言っていると、シェルパのドミさんが急いで荷物を持ってきてくれました。彼も腰下まで濡れてびしょびしょになっています。 「寒いよ」 ドミさんは一言,私に向かって言いました。 *** 5月、春のヒマラヤ。

          薄氷を踏みぬく | ヒマラヤをうろうろと 6

          ヒマラヤをうろうろと 5

          夏の北アルプスが、或いは週末の高尾山が常に賑わっているように、シーズン中のクンブ地域の山道は、視界のどこかに必ず人が入るぐらい、トレッカーで溢れています。 人種は本当に様々ですが日本人もかなり多く、後輩が下山した後日本語を話すことが無くなった私は、たまにすれ違う日本人の方々の会話についつい聞き耳を立ててしまうのでした。 ところが、ゴーキョから峠を越えてさらに西の谷に入ると、途端に人の気配が無くなります。いや、山中はこうあるべきですし、人がいない方が好みなのですが、あまりに

          ヒマラヤをうろうろと 5

          ヒマラヤをうろうろと 4

          「一緒にいた相棒はどこだい?」 シェルパの一人が話しかけてきました。彼はアメリカ人トレッカーに同行していて、ルートが似ていることからこれまで何度か宿泊するロッジが一緒になっている顔なじみです。が、話をするのはこれが初めてでした。 「帰ったよ。ギブアップだ。」 私がそういうと、一緒に行動しているシェルパのドミさんがシェルパ語で何やら補足をしてくれています。それを聞いたシェルパは、ニヤリとしながら首を振り、食堂から去っていきました。 *** エベレストBCのあるクンブの谷か

          ヒマラヤをうろうろと 4

          ヒマラヤをうろうろと 3

          カサカサと上着に何かが当たる音がしたので目を開けてみると、雪が降っていました。 床が冷たいなぁと思ったら、床ではなく大きな岩。疲れて氷河脇の露岩上で昼寝をしていた様子。 下流からは黒くて厚い雲が湧いてきているし、いつの間にか夕方になっています。そろそろロッジに引き上げたほうが良さそうです。 ヒマラヤに入ってから2週間が経ち、私たちはエベレストから流れるクンブ氷河脇のゴラクシェップという集落に到達していました。私の場合、大体一度の調査で1ヶ月ぐらい山に入っているので(シャワー

          ヒマラヤをうろうろと 3