【私の音楽遍歴】⑬『妻子を抱えても無謀を貫くバカ』


2011年暮れ、僕は付き合っていた彼女と世田谷区役所に出向き、婚姻届を提出した。

以来、11年半、一家の大黒柱を継続しているわけだが、
当たり前だが独身の時とは全く違う生活になった。

そして子供が生まれるとなったとき、、、
多くの普通の感覚を持った男は夢をあきらめ、堅実な仕事に就こうとすることがほとんどだろう。

だが、33歳の僕が選んだ道は『夕方までに終わる、家の近くにある会社』で
『レンタルマットの配送や環境整備用品のルート法人営業』の仕事だった。
理由は、夕方までに帰宅して練習やライブのための時間を捻出したいからだった
非正規雇用の契約社員からのスタート。
今思えば、ただの配送の兄ちゃんで、社会人として何のキャリアアップにもならないようなただの肉体労働だった。

今でこそ人並みにオフィスワークの仕事をPCを駆使してできるようになったが、その時は『PCの前で1日中座って仕事なんて、ドラマーとしての能力や感性がおかしくなるんじゃないか』と勝手に思い込み、オフィスワーカーなら年齢的にいくらでも非正社員→正社員になる道はあったはずだが、その可能性にも気が付かず、2003年と同じように、新聞の代わりにレンタルマットを担いで新宿中を駆けずり回る生活に戻ってしまった。

結局23歳から新聞配達5年、レンタルマット配送4年。。。
人生のうち9年間も、ただの肉体労働に時間を費やしてしまった
これは後悔しかない。
なぜか、、当然だが肉体労働は疲れるから、思うように練習ができないからだ。



その後経験したホワイトカラーの非正規労働の方が、よほど精神的ストレスも少なく、練習にも取り組めるとわかった。これを最初から知っていればなあ。。

というわけで?w

以前の音楽遍歴の投稿から随分間が空きましたが、
2012年~から今にいたる(2016年だけ福岡に戻りましたが)までのエピソードを記録しておこうと思います。

バカだなー、、子供生まれた時点でふつうはサッサと就職するだろ!往生際もわからないドアホやな、、
と思った人には不快なストーリーかもしれませんが、、
こんなバカが今でもなぜか、2人の娘と妻を一人で養いながら、音楽的に充実した活動を継続できているか、面白いと思ってくれたら幸いです

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