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私の音楽遍歴⑩音楽への没頭が繋いだ縁

2010年4月14日、自分の6人編成のバンドでライブをするため、僕は新宿の老舗ジャズスポット'J'にいた。

メンバーは、早川惟雅(as)福代亮樹(ts)Mike Zacharnuk (tp)増田実裕(pf)大塚義将(bs)の当時20代のメンバーと私。
メインに演奏したのは大森明さんの
オリジナル曲。
なぜ大森さんの曲を取り上げたかというと、
シンプルなのに、とても想像力を掻き立てるような曲たちに感心していたからだ。
(しかもキチンとジャズ、ビバップの伝統に則したつくりになっている)
この'叙情ビバップ'とも言える美学を
ぜひ若い世代(自分も含め)に継承していきたい、、と。

この時のメンバーを含む、5-10歳年下のギラギラした若手ジャズメンとの、エピソードは
別の回に述べるとして、
今回は、その2010年4月14日に出会った、
後に私の妻となる女性との話をしようと思う。。

彼女が店に友人に連れられて入ってきたとき、
僕は店の入り口のそばのカウンターで、談笑していた。
その瞬間、身体にゾワッと、電流のような仄めきが走ったことを、鮮明に覚えている。。

彼女はステージの右斜め前に友達(私の友人でもあった)と座った。
ステージ開始前、
来てくれた友人に挨拶に行き、その際に初めて彼女と、言葉を交わした。
話の内容は、私と同じ九州出身だということ、、音楽が好きでジャズも聴くけど、ライブは久しぶりだということ、など普通の会話だったと思う。
彼女の第一印象は、、ウェーヴがかかった長い髪だったのと、西洋的な、ゲルマン民族みたいな顔立ちをしていたので、、
なんか『ジャニスジョプリン』に似てるなあ、、と思ったことを憶えている。

その日の演奏は楽しかった、、(今となっては、伝説の)20歳の、天才アルトサックス奏者
ハヤカワユイガの強烈なブロウに全員が触発され、、燃え上がっていた。。
ベーシスト大塚義将が、、(後年のクールな姿からは想像しづらいのだが)唸り声を上げながら、on topビートで、激アツな演奏をしていたのも強く印象に残っている。

その後、彼女と、紆余曲折あり2010年夏から、交際を始めることになるのだが、、まあ、普通の男女交際にあるような
陳腐な話は控えておくことにして、、

とにかく、彼女は当時の僕の
想像を超えた女性だった。。

幼少期から、周囲の人々と上手く人間関係を築けず、、自己嫌悪、自己不信、他者不信のコンプレックスの塊、、
恋愛でも、2005年に東京に彼女を捨てるように、置き去りにした後は、、、
(深く内面で傷ついたんだろう、、
女性に対する接し方から
純粋さが失われていたと思う。)
自暴自棄的な、刹那的な、甘えた、でも相手を根本的に信用しないような、女性から見たら最悪な態度で
接するようになっていたと思う。。
とにかく、僕は他人から見捨てられることに
慣れつつあった、、悲しいことに。

だが彼女だけは違った、、
そんなヤバい状態の僕を、簡単に見捨てずに、いてくれた、、。

育ちの違いなんだろう、、
彼女は他人と信頼関係を結ぶことが、
当たり前の、極めて健全な育ちをしていたからだ。。
だが彼女にも挫折があった。
20代前半の頃に、音大受験を本気で志したが(入学できる実力も身についていたのに)
諸事情により、夢を諦めたまま、、
その後の人生を流れのまま生きてきていた。

一流企業のビジネスマンなど、彼女を求める
男性は、たくさんいた。

なのに、何故、僕のような男に
彼女は捕まったのか、、、
その理由は、、わからない。
(結婚10年目だが、、後悔していると
よく言われるがw)

のっぴきならない、痛々しい純粋さは、
他の打算的な男にはない魅力だったのか、、

とにかく、彼女との年月によって
僕の闇は少しずつ少しずつ、確実にまともな方向に進んでこれた。

そして今でも、ジャズミュージシャンで、
複業を掛け持ちして、日夜駆けずり回る僕を側目にながめながら、悠々と専業主婦を貫き、
2人の娘たちの、心を安心で満たしてくれている。。(家庭教育にも熱を入れて、子供達は勉強する習慣がついてきた)

天は我を見捨てたまわず、、

でもこのミラクルは、
僕があの日、大森さんの音楽に
心酔し、あの日のライブをやったから、、出会えたミラクルなのだ、、。

どんな苦しくも、辛くても、
自分の心に嘘をつかず、、
何かに一心に心を向けていたら、
驚くような形で報われるときが来る。。

まあ、人間同士、夫婦ですから
世間一般でよくあるような
陳腐な話は、当然のように
あるのですが、

明日僕が死んでしまったときのために、
彼女との記録をここに記しておくことにする。

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