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渋沢栄一ゆかりの地

こんにちは☀
NPO法人大樹の輪の恵藤です!

今日は2024年の新1万円札の顔になる【渋沢栄一】について
簡単に記事にしようと思います😊

なぜこの記事を書こうと思ったかというと・・・



新板橋駅でふと目に入りもらってきました✊
渋沢栄一にフォーカスしたスタンプラリーをやっているようです。
所縁のある偉人が紙幣になるなんてとても喜ばしいですよね😊✨



江戸時代末期に農民名主身分)から武士一橋家家臣)に取り立てられ、のちに主君・徳川慶喜将軍就任にともない幕臣となり[3]明治政府では官僚も務めた。民部省を経て直属の上司である大蔵大輔井上馨の下で大蔵少輔吉田清成らと共に造幣、戸籍出納など様々な政策立案を行い、初代紙幣頭、次いで大蔵省三等官の大蔵少輔事務取扱となる。

井上馨と共に退官後は実業界に転じ、第一国立銀行(現・みずほ銀行)や東京商法会議所(現・東京商工会議所)、東京証券取引所といった多種多様な会社や経済団体の設立・経営に関わった。そのうち企業は約500社[4] にもおよび、「日本資本主義の父」[5] と称される。

同時に東京養育院等の福祉事業、東京慈恵会聖路加国際病院等の医療事業、東京大学文学部新聞研究室(現:東京大学大学院情報学環教育部)、商法講習所(現:一橋大学)、大倉商業学校(現:東京経済大学)、高千穂高等商業学校(現:高千穂大学)等の実業教育、東京女学館などの女子教育、台湾協会学校(現:拓殖大学)の設立、二松學舍(現:二松学舎大学)第3代舎長就任等による私学教育支援や、理化学研究所設立等の研究事業支援、国際交流、民間外交の実践等にも尽力した。また『論語と算盤』の言葉に代表されるその道徳経済合一の思想でも広く知られている[6]

Wikipedia


本当に日本の経済、発展に大きく貢献された方なのがわかりますね。
数年前には大河ドラマにもなっていたのも印象的です。


明治5年、渋沢翁は製紙事業を官営で⾏うことを建議し、抄紙会社の設⽴願書を提出して設⽴が認可されました。 ⼯場の敷地選定に際しては、渋沢翁自身も各地を調査したあと⼯場⽤⽔の⾯から王⼦に決定しました。 王⼦地域と渋沢翁との関係はまさに同社設⽴から始まり、渋沢翁は同社を近代的な機械⼯場の模範として広く知らしめたいと考えていたそうです。

渋沢翁が人生の拠点とした東京北区

王⼦製紙⼯場を構え、その⼯場を⾒晴らすために37歳の時に⾶⿃⼭の地に4,000坪の⼟地を購⼊し、別荘として構えました。 そして61歳で⾶⿃⼭に本邸を構え、⽣涯をこの地で過ごしました。

渋沢翁が人生の拠点とした東京北区


出身地ではないものの北区を拠点とし事業を発展させ、
最終的な居住地として王子を選んだのですね。




スタンプラリーは合計5か所を巡るようです!
ご興味のある方はぜひ見学と一緒にいかがでしょうか😚
飛鳥山公園のある王子駅からは徒歩20分、バス利用で11分程です。


サニープレイス福壽園(ふくじゅえん)
大切なペットと一緒に眠れる樹木葬
都営三田線「新板橋駅」徒歩6分・JR埼京線「板橋駅」徒歩11分

■ホームページはこちら
https://www.taijyunowa.org/kitaku/

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