DJ

ボクは昔、DJだった。
と、いっても全国のリスナーに向けておしゃべりをするDJではなく、もちろんクラブでレコードをスピンするDJでもない。
たった1人の好きな娘に、ボクの好きな音楽を届けるだけのDJだった。

あれは19歳の頃かな。
ボクは京都から夢見がちなまま東京に上京した。
最初は代々木の住み込みのレストランで働く予定でだったけれど、面接当日、今まで話していたこととはまったく条件が違った。
何のあてもないけれど、ボクはその話は断る事にしたんだ。
そうなると泊まる所もないから、とりあえず新宿の簡易宿みたいなところで寝泊りしながら仕事を探した。
数日が過ぎ、お金が底をつき始めた頃、最終手段として新聞配達の寮にお世話になることになった。
その寮での人間劇もすごく面白くて、生まれて初めて夜逃げを手伝ったり・・・家出を手伝ったり。
長くなるので、その話はまた今度にしよう。

そんな練馬区の寮で、毎日新聞配達をするだけの毎日だった。
憧れた東京で夢を叶えるサクセスストーリーとは程遠い現実。
でも、そんな退屈な毎日にでも、ボクにはとても楽しみな事が1つあった。
それは、京都に残してきた好きな女の娘からの手紙だった。
その娘とは、お金がたまったら東京で一緒に暮らそうと約束していた。
当時はメールという手段もあったけれど、ボク達は週に1度か2度、文通のような事をしていた。

そんな文通が半年くらい続いた頃、ふとボクは、その娘に大好きなロックンロールを届けたくなった。
思い立ったらいてもたってもいられない性格。
その夜、早速CDプレイヤーで好きなロックンロールを流して、小さなカセットテープレコーダーに録音した。
もちろん音楽だけではない。
ボクはその曲の思い出や、曲の紹介なんかを話しながら、たった1人のリスナーのために音楽を流した。
新聞配達の寮は壁も薄く、隣の声が丸聞こえなので、ボクは暗く小さな声でロックンロールへの思いを話し続けた。
そんなカセットテープを手紙と一緒にあの娘へ送り続けて、村井DJ全集は10数本にもなっていった。

暗い声のDJと、好きでもない曲を送り続けられてあの娘は少し迷惑だったかな(笑)
でも、「あの曲よかったよ」なんて返事がくると、ボクは嬉しくてたまらなかった。
まるで本物のDJがファンレターをもらったかのような気持ちだった。

そんな毎日が慌ただしく過ぎていき、新聞配達の寮にきて1年が過ぎようとしていた。
ボクはやっとたまったお金で自分だけのアパートに引っ越すことになった。
そこか らはいろんなバイトをして、少しずつだけど、好きな音楽や詩を書く事ができるようになってきた。
そして、いろんな人達とも出会い、「なんの為に上京したんだ」なんて思っていた日々とは180度違う楽しい毎日だった。

そんな東京生活を楽しんでいるボクは、あの娘へ送る手紙の数も、DJカセットの数も日々どんどん少なくなっていった。

そして、ある日ボクはカセットに録音しなくても、同じ部屋で同じ音楽を聴いて、すぐに感想を聞く事ができる娘と出会った。
ボクはその娘に夢中になった。
東京で出会えた彼女。
ボクの話を夢中になって聞いてくれる彼女。
いつからか、ボクは変わってしまったのか。
今まで通り届くあの娘からの手紙を、読むことさえしなくなっていった。

それから数年が過ぎ、ポストを見ると久しぶりに京都のあの娘からの手紙が入っていた。


「村井くん、元気ですか??近況報告!!!!!私、結婚する事になりました!村井くんと結婚する夢は叶わなかったけれど、彼は村井くんと違って真面目で優しくて、私だけを見てくれます(笑)
村井くんの夢は叶いそうですか?私、村井君の書く詩や好きな音楽が大好きでした。もう会えないかもしれないけれど、ずっと応援しています。
いい加減で、自分勝手な人だけど、大好きでした。さよなら!」

ボクはその場で、声をあげて泣いてしまった。


一緒に暮らす約束をしていたのに、何も言い出さなかったボクをあの娘はどう思っていたんだろう。
最初からこうなることを、わかっていたのだろうか。

今でもあのカセットテープを持ってくれていますか?
東京に行って変わってしまう前のボクを知っているあの娘。
ボクの夢は残念ながらまだまだ叶いそうにありません。

今でも好きな娘はたくさんいるけれど、君は特別でした。
「そんな所がいい加減なの!」と、また怒られそうだけど・・・

結婚おめでとう。

短かったけれど、ボクは君だけのDJになれたこと・・・誇りに思っています。

さようなら


P.S.「大好きでした」って過去形じゃなくて「大好き」にして欲しかったな。

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