盗塁 (1分小説)
オレは、今日、2度盗塁を失敗している。
9回裏、一死一塁。
もう、後がない。
セカンドの守備についたオレは、二塁ベースの根元の部分を、誰にも気づかれぬよう、スパイクで蹴りあげた。
一塁走者の小谷は、読みどおり、盗塁のチャンスを見逃さず、走ってきた。
キャッチャーは、けん制球を投げ、オレは、あえてそれを後方へ避けた。
そして、二塁ベースを両手で引っこ抜き、胸に抱え込むと、ベンチへ全力疾走。
騒然とするスタジアム。
オレは、制止する同僚たちを振り切り、奥のロッカールームまでダッシュ。
ベースをバッグに入れ、駐車場へと急ぐ。
今頃、ネットニュースは、オレの奇行で埋め尽くされていることだろう。
「前代未聞の珍事!」
「消えた二塁ベース」
「引退覚悟の抗議か?」
そんなところかな。
ホスピスまで車を飛ばし、子ども病棟にたどり着く。
「雅也くん!」
オレは、ベッドに横たわる雅也くんの手を握り、サイン入りのベースを持たせた。
彼は、息も絶え絶え言った。
「試合、テレビで見てたよ。『ボクのために盗塁して』って、こういう意味ではなかったんだけれど。でも、久々に笑った」
「その元気があれば、まだまだ大丈夫だ」
コン、コン、コン。
ノックする音がして、ドアが開かれた。
小谷だ。
ユニフォームが汚れている。
奴は歩み寄り、ベースに手を触れた。
「セーフだ」
雅也くんが、むせるように笑った。
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