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小説:とある小倉のストーリー

プロローグ:余計なのかな・・・?私の半生or反省論文

 青い新球暦2022年春分節、悪性円環ウイルスの蔓延から徐々に解放された人ごみの中に、私は居た。居場処は祖国日本から遠く離れた、大英帝国の城下町ウェールズ。

 3人の幼子を抱え日常に勤しむ私には、でもその3人のうち2人が、実は子供自身周知している「里子」ということを、周囲には触れずに健気にいた。「健気に」って言葉は、私自身が使うものでない、とも思いながら。里子の2人も使うべきでない、そう、里子の本当の親が使わねばならなかったのだから、と思い返しながら。

 今日は、日本からの国際郵便で、ある身勝手なお願い事を文芸プロダクションにした回答が来ることになっている。あるお願い、それは、里子の親が「はからずも」切に望んでいたこと、里子にも本当は関係ないかもしれない、日本国内でのある冤罪者たる行方不明者の復権企画だったのだが、はたしてそんなことおこなって良かったのか?? 私は傍らにいる夫にも相談したが、夫からは「知る人が行うことだから、それは貴女の望むものなら、やってみたらいい。」と念を押されただけだった。「だけだった」というと、夫には申し訳が立たないが、実際夫が詳細をしらない以上、でも里子たちに真剣に向き合って「「お母さん」の思いを信じようね。」と日頃から教育現場で声掛けしている以上、今の私にはうれしさよりも、悔しいけれどプレッシャーにしか取れなかったのだから仕方がない。

 夫と結婚して間もない時まで、私は日本の一地方都市北九州の小倉の実家で夫と居候をしていた。普通に幸せを満喫し始めていたときに、突如来た恋手紙、それが先の行方不明者からのものだったから、私は本当は怒りを押し殺すのに苦労していた。そう、その当時その行方不明者は、私にとってストーカーチックな犯罪者にしか見えなかったのだ。その時は特に。あんなに平然と私が結婚していることも知らず平和ボケを貫く犯罪者にはほとほとあきれていたし、同期会で見たその無様な姿形には、滑稽さも感じていたから。まさか、学生時代、平気でがっつりタメ張って同じ職位にいたことなど、忘れたいくらいに。

まさか、新球暦2022年に里子をあずかることになっていたことなど考えもせず、生真面目に年賀状を書き込んだ過去など、同期会での行方不明者本人からの「年賀状、昔もらったよね。」との確認の問い合わせには真っ向からとぼけて、その事実を消し去りたくても消せなくて、もう悔しくて仕方がなかったから。

 ・・・でも、だ。私の前で無邪気にふるまう2人の里子を見ると、そして、新球暦2022年の現時点で突然FACEBOOKで行方不明者から、あんな、私を含めた既成事実を知っている一部の人向けの、思惑込みの写真での懺悔をされたら、もう私は止められなかった、涙も、他の実情を知らない同期生への事実の隠蔽も。恋にせよ愛にせよ、人には幸せの価値は様々あるのはわかっている。わかっていても表現は難しい、特にレクイエムを携えた私にとって、それが、行方不明者のそれとははるかに違うものと解釈していたとしても、それ以上にレクイエムの対象者の命は戻ってこないのだから。

 悔しいけれども、行方不明者は何を思うのか、もう単純にそれを間接にでも聞きたい一心で私は動き始めた。そもそも、そんな痴情沙汰の回想をしていると、郵便配達の馬車が家の前に止まり家のポストに投函した。来たのだ、回答が。来たということは、企画が始まってしまうということなのだ。あってはならないような、不謹慎に思えて仕方ないけれど、レクイエムの一環として、彼の復権企画をやり遂げることを肝に銘じて。学生時代当時の各々が「全くはからずも」伸ばした恋心の結末が、私に預けられた若い命にとって代わって託されている、その現実を目の当たりにしている以上は。そして、レクイエムに添えられた、遺言に託された行方不明者への本懐を間接ながら実らせるためにも。

あらすじ(設定)

プロローグ:前述掲載
私:新球暦45歳の女性(里子2人と実子1人と夫の5人家族)
夫:新球暦46歳の男性(私と夫は高校の同期で、夫自体は努力が実り社会性、私への想いも実り結婚に至る)
行方不明者<青野慶輔>:新球暦45歳の男(上記2人と同期・私とは当時放送部の部補佐役で、男女各1ポストの職位が一緒だった・夫とは接点なし・下記参照の里奈からは当時あおぴーと呼ばれていた・普段あまりに鷹揚過ぎてヒトに小ばかにされるぐらいのお人よし)
里親2人の母<木川里奈>:新球暦2022年に生きていれば45歳の女性だった、3年前に中華人民共和国出自の幼子2人を私に託し逝去
hero<福岡講治>:新球暦1994年時愛宕高校野球部エースピッチャー、当時人望高き好青年だった。
第1章:遠き史実1(「私が知らなかった」般若の面を纏う男と、そのとき気づかずに早逝の虹の橋への切符を持っていた兎の女性)
第2章:遠き史実2(「私が知らない」早逝の虹の橋切符を隠し持っていた兎の女性のその後旅立ちまで)
余白備考 :私の思い・・・。
間奏   :曲目
エピローグ:私が間接的に企画後にもらった、1枚の文芸プロ作成の冤罪者対談メモ書きから抜粋。


第1章       遠き史実1
(「私が知らなかった」般若の面を纏う男と、そのとき気づかずに早逝の虹の橋の切符を持っていた兎の女性)

※里奈は、私、慶輔と同じ放送部所属、副部長だった。
 青い新球暦1993年12月20日午後6時過ぎ、曇り空の夕闇の中、愛宕高校の伝統たる野球部のhero講治との交際が晴れて結ばれた里奈は、だが、それまでの放送部室での講治への生写真編集や恋文つづりを、兎角里奈自身を「副部長のくせに何やってんだ、部外活動なら他所でやってくれ。」と小馬鹿にする(実は私の知る限り里奈の前でだけだったようだが)口の悪い強気な慶輔の目の前でやっていたことを後悔することになった。

 その日午後6時30分頃、自慢げに「私講治サマと結ばれちゃった、あらっあおぴーもどこかで彼女作ったら?」と慶輔へ日頃の仕返しもかねて放送部室内で伝えた里奈。慶輔は「俺も好きな人いるんだぜ、全く、余計なお世話だ。」と素知らぬ顔だった。
 雪が降り始めそうな曇り空の12月のクリスマス前の季節の1コマ。
里奈:「ねっ、もう部室閉めて帰ろうっ? 今日ドラマ淡雪白書の最終回なんだから、急いでよぉ、もうっ、言葉のわりにいっつもとろいんだから、だから彼女の1人もできないのよ。」
慶輔:「わかったよ、ちょっとは俺の相談にも乗ってくれよ。せっかちだな、ったく。」
愛宕高校の丘の下のバス停「愛宕高校下」へ着いた二人。相変わらずまだ雪は降らないが、寒さは少しずつ夜の闇と共に深まっていた。
里奈:「ねえ、バス来ないけど、だいぶ待つわね、このままじゃ。結局部室出るのが遅かったからこうなるのよ。」
慶輔:「なんだよ、俺のせいかよ。」
里奈:「そうよ。当たりまえじゃない。」
慶輔:「まじかよ・・、ったく。」
里奈:「しょうがないわね、ここで立ってても寒いだけだから街まで歩きましょ? 一緒について来てくれるならそれまでは相談のったげるわ、あおぴーも悩んでるんでしょ、誰のことで悩むのかしらね、ほんと。」
慶輔:「わかったよ、じゃあ街まで行こうか。どうすりゃいいんだよ。」
里奈:「ああ、これがあおぴーでなくコウジサマだったらどんなにか素敵だったのに、、、行くわよ、急いで、ほら。最終回が待ってるんだから。」
歩きながらheroへのろける里奈。歩きながら偏屈顔悩みっぱなしのの慶輔。

・・・そうこうしているうちに30分経過。

 時は青い新球暦1993年12月20日午後8時過ぎ。歩き疲れてきた2人は、街近くの紫川にかかる、ネオンで浮かび上がる橋のたもとのバス停「勝山橋」まできていた。雲の隙間から細雪が降りだしていた。点々と雪が2人の制服の上にかかり始めた。
里奈:「ああっ、もう疲れちゃった。もうすぐバスも来そうね。あおぴーはどうする? ここで私、バスに乗る。最終回間に合わないもの。そうそう、悩みって結局誰のことよ、言わなきゃわからないってば。」
慶輔:「じゃあ、わかったよ、言うよ。」
里奈:「あっ、バス来たっ、もうその話、今度でもいいよ。じゃっ。」
魚町経由、雪が丘3丁目行の里奈の自宅方面のバスが来た。そして、止まり、自動ドアが開く。
慶輔:「ずっと好きだったんだ。」
里奈:「えっ、何?」
慶輔は人差し指を向けた、、、バスのドアステップに足をのせて慶輔にバイバイしようと振り向いた里奈に。
里奈:「えっ、わたしっ? えっ?ええっ?」

顔が驚きでゆがむ里奈。笑顔、とはいえない、笑えない、そんな、はにかんだといってもいい顔だった、と思う、あの時の顔は忘れられない、今(の慶輔)でも。
バスの自動ドアは閉まった。走り出すバス。
雪はまだ細雪のまま、ちらちらと降り続いていた。
慶輔:「告白、してしまった、これで、いいよな、しかたないよな、何も言わないより、うんっそうだよ、そうだよ、、、。」心の中で自問しながら、慶輔は小雪舞い散る中、次のバス停まで歩き、帰路へ着いた。
その時から、であった、慶輔が優しき般若の面をかぶり始めたのは、、、。

第2章       遠き史実2
(「私が知らない」早逝の虹の翼を隠し持っていた兎の女性のその後旅立ちまで)

 青い新球暦1993年12月20日午後9時のドラマ淡雪白書最終回では、当時駆け出しの男優が、脇役として主役に恋人を譲る名演を演じていたが、そのことを皮切りに青い新球暦2022年の現在では数居る男優の中で大御所的存在になっている。その日の慶輔の姿をその脇役にだぶらせることになってしまった里奈。のちに青い新球暦1994年7月13日高校野球全国大会地区予選準決勝で、校内の応援団全員が伝統復活を夢見て固唾を飲んで観戦していた中、相手打球を顔面に直撃、意識を失うほどの流血アクシデントに見舞われ敗北、校内全生徒が涙ながらに見ていられないほどの苦杯をなめざるを得なかったheroたる講治とは、その大会直前に里奈は別れ、むしろいつの間にか慶輔の灯台下暗しでの存在に憧れてしまったこと自体を、里奈は野球部の伝統崇拝の愛宕高校校内の風潮や大学入試にかかわる時期に不謹慎ととらえられていた自らの想いとで天秤に懸けざるを得なくなり、結果慶輔にもそれ以降直接接点を持てなくなってしまった。自戒の念につながった結果、受験にもプライベート的にも里奈の負担となり、国外脱出を兼ねて近隣の中華人民共和国内治外法権だった香港の大学へ、進学&卒業&就職した里奈。その後北九州市の姉妹都市でもある中華人民共和国大連市の男性と里奈は既婚となり2人の子供を設けるも、祖国日本国の皆・特にheroへ、慶輔へ、都度自戒の念に囚われることで祖国へ戻れずに転々と各国への転居を繰り返していた。
 しかし、末期乳がんに侵された里奈は、最期の地を過去の転居先の1つだった大英帝国と定め、2人の幼子を偶然大英帝国へ転居してきた私に託し、祖国への思い、heroたる講治そして慶輔へ、思いを1つの遺言にして逝去。享年42歳。

遺言:「講治さんは私の立派な彼氏だった、旦那も子供も居るから、もう過去のことだけどね。でもね、私の「憧れの」彼氏は青野慶輔さんだけだったんだ。そのことは死ぬ前に会ってでも一言伝えたかった・・・もし、どこかで機会があったら伝えてほしいの、そしてもし彼が今、生活に苦しんでいるようだったら何とかして助けてほしいの、私のせいでも色々おかしくなってるかもしれないから。お願い、ね。」

 あまりにも若くして亡くなった里奈について、若き日の奔放な里奈の性分を知る私および近親者たちは、過去の自らの出来事が起因とはいえ、短かった里奈の生涯の生前の各々の事実に接してしまったこと自体を、口述をすることすらためらいの念を禁じえなくなっている。

余白備考:私の思い・・・。
「ドラマと現実との史実がドラマチックに重なりすぎると、目頭にぼんやりと貴女達の瞳が重なるのは私だけ?」
間奏:曲目
「脇役は脇役になりきっていたはずなのに、鎮魂と社会性うんぬんだけで脇役主役が
入れ替わる不条理な交響曲、エルガー作・威風堂々」

私が託された里奈からの遺言で、青野慶輔の現状が目に余るものであった場合、何かしら社会的救済の対応策を打つということを、文芸プロダクション経由で、里奈へのレクイエムの一環として行おうとした私なのだが、行動に出たあの時は、どうなることやらと案じるだけであった。


エピローグ:私が間接的に企画後にもらった、
1枚の文芸プロ作成の冤罪者(青野慶輔との)対談メモ書きから抜粋。

「思い出はけっして作りこむものではない、思い出は結果生まれるもの」
「言葉の端々で揚げ足取り、スクープ取りは疲れるでしょう?、気取らないようにしているから馬鹿なことば遊びや馬鹿ふるまいが好きなんだ、今の自分は。」
「事実は小説よりも奇なり、だよね。」
「命あるもの、その大切さは、伝えないとね。」
「馬鹿にみえることでも、相応の新しい世界があるんだよ、意外とね。」
「努力は実らなくても、やれたって事実・事柄があるじゃない?、人それぞれだから大丈夫だよ。」
「他人が己の価値を決める必要はないんでない?。各々で自身の価値作ろうよ。」
「面白半分って、半分はいい加減だけど、それが「良い」加減なんだよ、特にこの文面ではね。」
「さかうらみ、ねたみはいらないな。むしろ、さかうらみ、ねたみは食べちゃおうか? 美味しいかも。」
「⇒どうしても物の道理についてを、馬鹿にしている「お前からだけは言われたくない」ってのはわかるけれどね、この文面だから許してね。」
「おごった人ほど、おごって成り立つことの正当性の壊滅におびえるんだよ、結果、ね。」
「恋にしたってさ、愛にしたってさ、物事への道理に、自他ともにいままで気づかなかったことがあるなら、気づけたら儲けもん、の感性でわりきろう。」
「わからないことは無理にわからなくてもいいんだよ。構えないで。」
「⇒まずはわかったとき、その時で大丈夫、いそがないで大丈夫だよ。」
「天狗の何が悪いのさ、人さまの天狗の鼻の場所を探すより、天狗な態度で人に当てつけなければまずはそれでいいんでない?」
「⇒高飛車な鼻をさがすより自己消化がまずはいちばん大事。」
「罪を憎んで、人を憎まず、諭せるのなら諭し、気づけるのなら気づいてもらい、罪人は許そうよ。」
「ともかくも、より「良く」向上心をもちたいね。」
「おこる、ってなんだろな、いかる、てなんだろな、そこに愛がこもれば結果オーライ♪」
「生きてる時点で儲けもの、というと、その右肩上がり的な言葉が気に入らない人からの発言だったら、すぐさま角を出す人たちもよく居るようだけど、そんなひとはそれなりさ。」
「⇒なんとかなるさ生きてれば、って言い換えようか?」
「気づかせてくれて、ありがとう、社会性のプレゼントも、本当にありがとう、精進するよ。」
「生きてる限り、もちろんがんばるさ。」
「後悔あったらあったでもいいじゃない、良いことは、次の世代にも伝承しよう、ね。」

青い新球暦1994年3月14日のホワイトデーでの放送部女子生徒全員への放送部男子生徒全員からの義理チョコ返しのクッキー配りについて、当時の校則に依り、そもそも遊び半分程度での軽はずみさ、私物の校内への持ち込みが公に見受けられるとして、「情状酌量の余地なし」という判断に基づき、首謀者たるメモ書き対談の冤罪者たる青野慶輔の社会性復権は、権利はく奪が相当という結論に、司法取引を通して結果、決まったのだった、私の思惑外れで。(完)

サポートにつきまして、ご一考いただいた上での参加、誠にありがとうございます。 サポート内容に対してより一層の記事・文面を作成し、精進してまいります。 今後ともよろしくお願いいたします。